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居場所になる人

訪看で訪問している方の中に、97歳のご婦人がいる。マンションで一人暮らしをされてて、疾患から自由に歩くことができないため、受診以外を自宅で過ごされている。

痛みがあったり、歩行に不自由はあるものの、針に糸を通す視力(裸眼)と普通の声で会話が可能な聴力を持っている。トイレも入浴も不自由ながらもら自立され、食事もご自分で準備されている。

室内は、センスよく調度よく品よく必要なものが置かれ、飾られている。とても落ち着く空間だ。訪問当初はリビングしか知らなかったが、空調の関係で隣の部屋が開放された。何とそこはミシンを3台備える洋裁部屋だった。

いつも、素敵なお召し物で身を包んでおられるので、どこで買っているのだろう?と想像していたが全て手作り品だった。昔は着物で生活されていて、その着物のリメイク品だった。色んなデザインもさることながら、自分の体型に合わせて工夫を凝らした改造をしてあり、ご本人の動きによく合ったお召し物は素晴らしく、毎回、驚かされる。

Instagramにアップしたり、作り方をブログに書いたり、出店したら確実にバズることだろう。が、そんなことはしない。ご婦人はどこまでも慎ましく、凛とされ、暮らしぶりの自慢や傲慢さが微塵もないのだ。

ご婦人はいつも、私はただの主婦で、主婦しかしてこなかったから、何もできない。と謙遜される。私達はいつも色んな話をする。今の現状、昔の暮らし、昔から今と変わったことで何がどう変わったのか。とにかく話が面白い。

ご婦人はよく戦時中の話や昔の生活の話をしてくださる
『昔は、いじめなんて一つもない、殺人もありませんでした。今は、そのニュースばかり。各クラスに1人ずつ障害を持ってる子がいましたが、誰もいじめたりなんてしませんでしたよ。』
『今は、沢山の障害の診断名があって、ちょっとでも人と違うと支援クラスや特別支援に振り分けたり、枠内に入れないと弾き出されたり、居場所がなくなってしまうみたいです。不登校や引きこもりが沢山います』
と話すと、
娘さんの時代は不登校はいなかったけど、孫の時代から出てきましたね、とあるエピソードを話してくださった。

お孫さんが1年だった時、同じクラスに髪の長い、とてもおしゃれなきれいな顔をした男の子がいた。お母さんもここら辺では履いてる人がいないピンヒールを履いた綺麗な人で、母子家庭だった。

男の子はいつも集団登校で誰とも話さず、下を向いて歩いているので、どうしたのかなーと思っていた。程なくして、男の子は学校に行かなくなった。詳しくは聞いてないが、それから男の子はご婦人の家に毎日来るようになったという。

男の子と遊んだり、勉強を教えるとかではなく、ただ一緒に過ごした。ミシンをするご婦人の横で静かに男の子は、ミシンをするご婦人のそばにいて、それを眺めていた。弁当を持参するようになり、一緒に食事をし、お孫さんが帰宅すると、お孫さんと遊んで帰る日々。

男の子はお正月も来たという。娘さんも娘さんのご主人もお孫さんも男の子を受け入れていて、当然のようにみんなでお正月を過ごしたという。しばらくして男の子は、不登校の子が通うフリースクールに通うため、東京に引っ越した。

男の子とご婦人のともに過ごす姿を想像して、温かくなった。男の子は学校だけでなく、家庭にも居場所がなかったのかもしれない。でも、ご婦人の家が居場所になったから、その後の人生で間違った方に行ってないことだろう。そう考えると胸が熱くなった。

できることではない。人を偏見や常識や色眼鏡で見ないこと、毎日、自分の場所に受け入れること、やりすぎないこと。自分が満たされていて、溢れた分でしか、人には尽くせない。
今の世の中、満たされず枯渇してるのに、人に尽くそうとして壊れる人が多いように思う。ただ、一緒にいることが簡単なようで難しい。
もし、ご飯を毎回用意したり、勉強や遊びの対応をしたら毎日は受け入れられないかもしれない。自分ができる範囲がよく分かっていて、力を入れず、当たり前の世界にするのがご婦人なのだ。特別なことをしたと思ってないし、生き方や人との距離の取り方、人との向き合い方が一貫してそうなのだ。

気分転換に何をしますか?と質問すると、毎日、映画を字幕にして見ます、と答えられた。
90代になると、ほとんどの人が見えづらくなり、聞こえづらくなり、心が篭りがちになり、テレビを見る人が少ない。
映画も恋愛、バトル物、ホラー、サスペンス、SF、推理などさまざまなものを見るらしい。97歳でバトル物が見られる柔軟性が素晴らしいな、と思う。
最後にご婦人は、名探偵コナンも好きで見ますと話してくださり、外に出ることも色んな人と接触することがない状況で、自分を律し、日々更新している姿に尊敬しかない。

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