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怒りの感情はどこから来るのか

上の子は中学生から遠く離れた全寮制の中学に入った。中学生なのに早いね〜とか、凄いね〜と言われるが、小さい頃から早く自立して生きていけるようにを念頭に置いて関わってきた。

今、何が必要でどうするべきか、考えて行動できるように。失望の世界でも常に希望の方に向かって考え、できれば、みんなを引っ張っていけるように。勉強なんかより、楽しく生きてほしい、そう、考えた。

入寮後、一晩寮生活、私達は別のホテルに泊まり、翌日の入学式後、少し話した。ホームシックどころか、「寮に入ってよかった。楽しくて仕様がない。あいつ(旦那)と離れられるし」と。旦那は思いの他、寂しがっている。じゃ、優しくしてあげればよかったじゃんと言うと、それとこれとは別だ。言ってあげないと後で上の子が困る。しつけだ。子供のためだと一点張り。

思春期に入り、私には従順で優しい息子も旦那とは毎日、ぶつかっていた。当時、小学生だった息子は、片付けができなかった。やろうと思ったらできるかもしれない。彼の優先順位はいつもそこではなかった。だから、いつもやれない、旦那に怒られる。わたしは必要を感じたらやるようになると考えていた。完璧な人間は気持ちが悪いと思ってしまうし。ましてや、子供だ。できることを伸ばしてけばいいじゃん!と思ってしまう。

幼少時、私は難病だったため、生きてるだけでよいという感じで育った。人が当たり前にできることができないことだらけの人間だった。自分に生きる価値がないと思っていた。色々できる周囲が羨ましかく、自己肯定感が低かった。

上の子は、友達が沢山いて、常にみんなを楽しませるアイデアを持ち、ムードメーカー的存在で、成績も良かった。私と旦那は真逆の幼少時、成績もよくなかった。

私は旦那に、『上の子は、片付けはできないけど、楽しいことを考えるのが得意だし、成績もいいよ。(旦那が小さい頃、)できてなくて、上の子ができることも沢山あるよ。できること伸ばせばいいじゃん。片付けられないことを許せない感情、怒りの感情の根源が一番の問題だと思うよ。今、見えてる目の前の現象は、自分が作り出しているんだよ。』と何度も話した。
旦那は『言ってる意味が全く分からない。じゃ、何をすればいいの?前に言われたみたいに自分の気持ちを書けばいいって訳?しつけだよ。言わなきゃ、分からないんだよ、あいつは。』となり、取り合ってくれなかった。なかなか伝わらない。

友達3人でその話をしたら、うちの旦那も同じーと共鳴した。これは、男性性が優位な人に多い傾向なのかよく分からないが、怒りの感情が強い人は、潜在意識に怒りが溜まってると思っている。
その怒りのルーツは必ずあり、そのルーツを1つ1つ丁寧に探り、気づき、手放す作業が必要で、それをしない限り、負のループは永遠に続く。多くは、自分を許せていない、自分に怒ってることが多く、実は自分で自分を苦しめているのだ。
旦那は、ちゃんとできない上の子が悪い。ちゃんとすれば、俺は怒らない。あいつが悪い。だから、自分が言って聞かせるんだ、と自分の正義をかざす。感情の抑制が効かなくなる。
息子はそれを感情的に言われると、伝えたい内容が入らず、直すどころか怒りと反抗心を募らせるだけなのだ。本当に自分が困った時に、直さなきゃと気づいて直すのだろう。 
旦那は、内観する必要があると思っていた。でも、これに関して変わるのは本人次第。外野が何を言おうと無理だ。時期が来るのを待つしかない。その時点の解決策は、物理的距離を作る、だ。

潜在意識に溜まった怒りは手放さなければ、必ず続く。もし、対象が変わって怒ることがなくなっても、別の怒りの対象が出てくる。

何故、片付けられないことを許せない自分がいるのか、何故、片付けられないことを怒るのか。その根源は必ずあるはずなのだ。ただ、それは自分で探るしかない。自分の潜在意識を探る旅なのだ。その方法は、呼吸法なのか、瞑想なのか、ホ・オポノポノなのか、ヒプノセラピーなのか、インナーチャイルドケアなのか分からないが、自分の合うのをやるしかない。

目の前の現象は、自分が作り出しているらしい。相手がそうしてくるから、怒るんだ、相手がちゃんとしてれば、怒らないんだ、相手が悪いんだ、と。原因や責任を相手のせいにしてしまう。

友達が、自分の住むマンションの目の前の家の人が、沢山の傘を何本も玄関前に乱雑に汚く置いていることが気になって仕方がなかった。管理人を通して何度も言っても、減るどころか傘は増える一方だった。
イライラは募る一方で、仕事も手がつかないほどに。ホ・オポノポノ(ハワイに伝わる問題解決法)をして、インナーチャイルドケア(自分の中の小さな子供にアクセスする方法)をしたら、小さい頃、厳格に育てられた自分と出会った。きちんとできない、片付けられない自分は、いけない、間違ってる、ダメと思うようになり、そんな自分に怒っていた。許せなかった。それに、気づき、手放し、許す作業を繰り返した。何が起こったか。前の住人が傘を片付けたのか

前の住人が傘を片付けてくれたのではなく、自分が、その汚い傘たちが全く気にならなくなるように変化したのだ。

よく自分が変わらなきゃ相手は変わらない。自分が変われば相手は変わるという。これは、自分が嫌と思うことをされ続けてるのに、自分に嘘をついて無理矢理いい人を演じたり、我慢したりすればいいと言っているのではないと思う。自分の負の感情の根源を探り、気付き、手放し、見方が変わることで相手も変わるのではないか、と思う。この作業を繰り返すことで自然に許すことができるようになるのだと思う。

何か、手放せてない感情は、奥深い自分からの気付きのサインかもしれない。

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