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子育てをがんばらない

わたしは子どもの頃から自分に自信が持てず、
自分軸がフラフラで弱い人間だった。

そんな私が結婚して子どもが生まれたとき、
出産後のベットの上で小さなやわらかな長男の顔を見ながら
思ったことは

「子育てをがんばらない」

ということだった。

もちろんネグレクトなどを行うという意味ではない。

ただ、子どもを第一に子どものために、と
子ども中心の生活をする必要はない。

母親になりたてのわたしは
そう自分を制した。

なぜそういう風に思ったのか、
もちろんそれには理由がある。

結婚する前、
知的障碍者施設で働いていた。

福祉について何も学んだことのないわたしは
いきなり現場に入り、
何もかもがわからないことだらけだった。

そんな頃に先輩職員によく言われたのは、
「彼らに教えるんじゃない。 彼らから教わることのほうがずっと多い」
という言葉だった。

当初、わたしはその言葉を聞くたびにとまどった。
障碍者に指導したり支援するのが仕事で、
教えているのは職員の側だった。

教えてもらうことなんてないのに……

と、先輩職員の言葉が
きれいごとの欺瞞に満ちたものにしか
聞こえなかった。

施設に3年ほど勤めたが、
3年経つ頃には、
先輩職員から言われた言葉の意味が
理解できるようになった。

「彼らから教わったこと」が
わたしの中にこれからの人生への
確固たる軸というものとして、
刻まれていた。

生まれたての我が子を見て
「頑張る必要はない」 と
決めたのも、そのころの経験から出た
思いだった。

施設に勤めるまでのわたしは
知的障碍者のことを
手助けが必要なことが多い人たち、
だと思っていた。

実際、接してみると、
できないことはもちろん多くあったけれども、
自分の意志や感情、というものを
どの人もきちんと持っており、
そして毎日を幸せに生きる、
という気持ちを持っていた。

わたしにはそうやって生きている彼らが
まぶしく見えた。

その頃のわたしには自分の感情や考えを
うまくとらえられずにいた。

自分自身をうまく肯定することができなかった。

ニコニコと元気にすごしている彼らのほうが
ずっと幸せそうに思えた。

しかし、一方で障害があることは
彼らを苦しめていた。

ふだん穏やかに過ごしている彼らが、
ふとしたときに自分の在る姿に気付き苦しむ。

知的障害があるから
自分が障害者であることは
分かっていない。

そう思う人がいるのか、
彼らのことを本人の目の前で
平気であざ笑う人がいるけれど、
彼らは理解しているし、
自分が嘲笑されていることも理解し、
そしてそのことで苦しんでいる。

知的障害は病気とは違い、
治療法がない。

一生障害と付き合って
いくことになる。

わたしは自分のことを幼少の頃から
幸せな人間だと思ったことはないけれど、
それでももし障害が自分にあれば、
苦しみはもっと深かっただろう。

本人のせいでもなく、
努力で克服できるものでもない。

それでも命のある限り
生きていかなければならない。

そういう彼らの辛さを
どうしようもない思いで感じていた。

退職してからもずっと施設の利用者のことと、
一緒に働いた職員のことを忘れたことはなかった。

我が子を出産した時、
新鮮な感動と興奮と喜びとともに、
この子を幸せに育てなければならない。

その思いとともに
この子にはこの子の生まれ持ってきた能力と性格がある。
わたしはその能力を育てていけるように、
親としてサポートしよう。

その一方でこの子を大事にしすぎるのは
やめようと思った。

生きていれば辛い思いや理不尽なことは
山のようにある。

この子を弱く育ててはいけない。
たくましく自分の力で不器用でも
道を拓いていけるように育てなくてはならない。

今の現在の日本で、
ご飯を食べられないことや命を狙われることはそうない。

しかし、2世代ほど前の日本では戦争があり、
食料難や戦争で命を落とす時代があった。

現代でも、外国では幼い子どもが
大変な状況で生きている国がある。

この現代の日本で生まれ育っていくこと自体が、
とても幸福なことなのだ。
子どものためにとこれ以上、配慮することは
かえって子どもを弱くしてしまいかねない。

自分の幼少時のことを考えても、
そして知的障碍者施設で暮らしていた彼らのことを思っても
我が子は最初から幸せな環境にいた。

だから、わたしは我が子に対し
冒頭のように思ったのだ。

一人目の男の子ということもあり、
実際けっこう厳しく育てたと思う。

わたしが子育てで一番気を付けたことは
食生活と基本的な生活習慣を
身に付けられるようにしたことだった。

健康につながる食生活、
そして心身の安定した成長に大切な
日常の基本的な生活習慣。

これらを毎日毎日気を付けていれば、
子どもは自分の生まれ持った能力を
最大限に生かして成長していくことが
できる。

そう信じていた。

そしてそれを教えてくれたのは
施設でともに過ごした彼らだった。

彼らとともに過ごしているうちに
わかったのは、
日々の健全な営みが
心と体の安定した土台を作るということ。

そして、心と体が安定した状態が、
自分の持っている能力をポジティブに
引き出すことにつながるということ。

もしわたしは彼らに出逢わなかければ、
我が子をもっとちがった子育てで育てていただろう。

彼らと過ごしてあの頃から25年経っても、
ずっとずっと忘れられない。
たくさんの大切なことを教えてもらった
ということを。

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