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[下調べ]哲学 1西洋哲学 入門

 だんだん創作するのに自分の脳内では行き詰まりが出てきました。描きたい事は壮大だと思っているのですが(自分のユートピアを創るという計画です)、頭の中の「世界を構築する材料」が少なすぎます。「斎王からの伝言」に登場するコウ、ミキ、エリでは、このお話の目的地である新しい社会体制の元となる「至福なる死」に辿り着くには、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ足りないです。
 創作の中にミッシングリンクを作りたくないので、はじめに哲学を、次に科学を[下調べ]していこうと思います。

私に智慧(ちえ:仏教用語。相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。)が現れますように。
           
            ・・・・・・・
 ざっと調べてみて、自分がどういう方向の知識を知りたいのか見えてきたような気がします。
 
 まず、リチャード・ドーキンス氏のマクロの観点。「文化」は「遺伝子」と同様に、個体が死んでも不滅だという「ミーム」説。
➡振動数(文化)世界観の延長線にある未来を創作する根底的な考え

 リュース・イリガライ氏の女性と言語の問題に焦点を当てて考察し、母娘関係、女性同士の連帯の理論化を行なった『一つではない女の性』『差異の文化のために』
➡女性が創造する世界観の参考

 ルネ・ジラール氏の自然状態から共同体が成立する際に起こる、模倣(ミメーシス)の原理と供犠的暴力という永遠に隠されたメカニズム。『暴力と聖なるもの』『世の初めから隠されていること』『身代わりの山羊』
➡斎王も一つの生け贄と考えて、生け贄による自然との取引構造の参考
 
シモーヌ・ド・ボーヴォワール氏の『第二の性』『老い』
➡「至福なる死」の参考

イマヌエル・カント氏のヨーロッパ大陸合理主義とイギリスの経験論を統合
➡違う思想を統合させる考え方を知りたい

西田幾多郎氏の東洋的な発想を哲学的に体系化。主客未分化の純粋経験からあらゆる対立、矛盾などを統一的に捉え直す「絶対矛盾的自己同一」を説く。
➡対立、矛盾などを統一的に捉え直す方法を知りたい

ジャック・ラカン氏 構造分析方法を「無意識」の分析に応用。「無意識は言語のように構造化されている」『エクリ』
➡無意識を構造化するとどういうものになるのか知りたい

ウラジミール・ジャンケレヴィッチ氏「死」を一人称、二人称、三人称に分けて考察し人間存在をトータルに把握しようとした。『アンリ・ベルクソン』『イロニーの精神』『死』
➡「至福なる死」の参考

 といっても、そうそう著作の本を読めるものでもないし、読んでも理解出来るかどうか…、なので関連の入門とか、簡単に解説されているものを探してみようと思います。 
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・バカと言われないための哲学入門 浜田正[編著] 
・功利主義入門  はじめての倫理学  児玉 聡
・NHK100分de名著エミール
 自分のために生き、みんなのために生きる ルソー 西研
https://youtu.be/xyiy6SvY1aA ネオ高等遊民:哲学マスター
https://youtu.be/kKzyO1Wykb0 中田敦彦のYouTube大学
https://youtu.be/ujElbe6nox4 
https://youtu.be/CxcGi4HiAaY
✳参考:物事をするため、既に他人がおこなった方法や述べた意見、それに関係が深い事柄などをとりあげ、自分の考えのたしにすること。

[哲学者人名]

☆紀元前625年頃~紀元前547年頃タレス 古代ギリシアの哲学者
タレスの定理の生みの親 古代ギリシアに現れた記録に残る最古の(自然)哲学者であり、イオニアに発したミレトス学派の始祖である。また、ギリシャ七賢人の一人とされる。タレスはフェニキア人のテリダイ一族の名門の家系から生まれた。政治活動に従事したのち自然の研究に携わるようになる。彼は多才な人物であったが、特に測量術や天文学に通じており、ヘロドトスによればその知識を用いて日食を予言したといわれている。これは天文学上の計算から紀元前585年5月28日と考えられる。また地に落ちた影と自分の身長とを比較して、ピラミッドの高さを測定したとも言われている。彼の活動したイオニアは小アジア、エーゲ海沿岸に位置し、ホメロスの活動した土地でもある。イオニアは地理的に東方と西方文化の十字路に位置しており、エジプトやバビロンの数学や自然科学も流入していたと考えられ、そうした文化的素地がタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスらのミレトス学派が発生する母胎となったと考えられている。彼が「最初の哲学者」とよばれる由縁は、それまでは神話的説明がなされていたこの世界の起源について、合理的説明をはじめて試みた人だという点にある。すなわち彼は万物の根源(アルケー)を水と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。体育競技を観戦していて、炎熱と渇き、また老齢による衰弱によって死亡したとされる。

⚪紀元前469年頃~紀元前399年 ソクラテス 著作残さず
対話により、相手の「無知」を自覚させ、ともに「真理」へと旅立とうとした。
https://youtu.be/DOiWNhxEIds ネオ高等遊民:哲学マスター
「無知の知」を、正確に言うと「不知の自覚」だそうです。

⚪紀元前460年~紀元前375年 ヒポクラテス 医師
※医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させた。医師の倫理性と客観性について「誓い」と題した文章が✳『ヒポクラテス全集』に収められ、現在でも「ヒポクラテスの誓い」として受け継がれている。 
✳編纂はヒポクラテスの死後100年以上経ってからとされ、内容もヒポクラテス派(コス派)の他、ライバル関係であったクニドス派の著作や、ヒポクラテスの以後の著作も多く含まれると見られている。

⚪紀元前450年 ゼノン✳1エレア派の哲学者 パルメニデスの弟子

⚪紀元前427年~紀元前347年頃 プラトン 
「弁証法的運動」を描き出した。
 著作『ソクラテスの弁明』『饗宴』『国家』

☆BC384年 ~ BC322年 アリストテレス 古代ギリシアの哲学者
 プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている。

⚪紀元前341年~紀元前270年  エピクロス 
ギリシャ最前線基地のサモス島生まれ
アテネで「エピクロスの園」設立 
「✳2規準論」「自然学」「倫理学」という哲学体系を打ち立てた。

⚪1561年~1626年 フランシス・ベーコン
イギリス近代哲学の先駆者
スコラ哲学(中世のキリスト教哲学)が支配する時代、学問の大革命を唱えて『ノヴム・オルガムヌ(新機関)』著作
「知は力なり」の言葉が有名

⚪1588年~1679年 トマス・ホッブズ イギリスの先駆的哲学者
ピューリタン革命の動乱のなかで、王党派として亡命生活を送り、国家秩序の確立を求めた。『リヴァイアサン(怪物)』

⚪1596年~1650年 ルネ・デカルト フランス生まれ 
ヨーロッパ近代哲学の父 
✳?最近ヨーロッパ近代の発想が様々な問題点を抱えていると指摘する声が高まってきた。デカルトはその最大の責任者として批判の的になっている。『方法序説』『省察』

⚪1632年~1677年 バルーフ・ド・スピノザ オランダ生まれ
自らの✳3汎神論のために、異端の思想家として画家の屋根裏部屋で生涯暮らす。『エチカ』(倫理学) 『神学・政治論』

⚪1632年~1704年 ジョン・ロック イギリス生まれ 臨床科医
✳4経験論のドン アメリカ合衆国独立宣言やフランス革命に影響
『人間知性論』『市民政府二論』

⚪1646年~1716年ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ
ドイツ生まれ 官史  哲学・数学・自然学で業績を残す
微積分の基礎定理を確立
https://youtu.be/e0TBfe-tU0o 哲学チャンネル

⚪1709年~1751年 ド・ラ・メトリー 医者
フランス✳5唯物論の代表者の一人 『人間機械論』

⚪1711年~1776年 ディヴィッド・ヒューム イギリスの哲学者
寛容で哲学者のルソーと交遊関係が知られている
『人生論』『道徳・政治論集』『人間知性論』

⚪1712年~1778年 ジャン=ジャック・ルソー 
フランス啓蒙期の代表的な思想家
『社会契約論』『人間不平等起源論』『エミール』

⚪1723年~1790年 アダム・スミス 経済学の生みの親
経済行為を人間の本質的な活動と分析し経済の理論体系を構築
『道徳感情論』『国富論』

⚪1724年~1804年 イマヌエル・カント ドイツの哲学者
ヨーロッパ大陸の✳6合理主義とイギリスの経験論を統合
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』

⚪1747年~1832年 ジェレミー・ベンサム ✳7功利主義
イギリスの立法家、哲学者 「快」を求め、「苦」を避ける利己的人間をそのままの形で承認したため、現在「最大多数の最大幸福」をいかに実現するかという解決不可能な問題を抱えることになった。『道徳および立法の諸原理序説』

⚪1770年~1831年  ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲル 近代哲学の完成者
『精神現象学』『大論理学』『エンチクロぺディ』(百科全書)

⚪1788年~1860年  ショーペンハウアー ドイツの哲学者
東洋の宗教を独自に摂取し独創的な哲学を提唱。
芸術と倫理、宗教による盲目的意志(欲望追求)からの超越を目指した。「解脱」を課題とする。『意志と表象としての世界』

⚪1813年~1855年 セーレン・キルケゴール デンマーク生まれ
✳8ロマン主義を通過し✳9実存哲学の創始者となる
堕落した教会を覚醒させる戦をつづけ街頭で死んだ。
『あれか・これか』『現代の批判』『死に至る病』『不安の概念』

⚪1818年~1883年 カール・マルクス ✳10唯物論的歴史観
ドイツのヘーゲル学派の思想から出発し、独自の唯物史観を提示
『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』(共著) 『資本論』

⚪1820年~1895年 フリードリッヒ・エンゲルス 
マルクスを支える
『イギリスにおける労働者階級の状態』『自然弁証法』
『ドイツ・イデオロギー』(共著) 『フェイエルバッハ論』
『アンチ・デューリング』

⚪1844年~1900年 フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ 
ドイツ生まれ キルケゴールと並ぶ実存哲学の創始者
深い✳11ニヒリズムの闇を通過することによって新しい実存主義を構想『悲劇の誕生』『反時代的考察』『アンチ・キリスト』『ツァラトゥストラはこう語った』

⚪1856年~1939年 ジークムント・フロイト 
チェコ・スロバキア生まれ 医師で精神分析の創始者
「無意識」の解明に着手 
『夢判断』『性欲論3篇』『快感原則の彼岸』『自我とエス』

⚪1857年~1913年 フェルディナン・ド・ソシュール
スイス言語学者 没後、弟子たちが公刊した講義録『一般言語学講義』が注目され✳12構造主義へと受け継がれていく。

⚪1859年~1941年 アンリ・ベルクソン 「生の哲学」の巨匠
現代フランス哲学の代表者 「すべてを持続の相の下にみる」独自の「時間」の哲学者として有名。『時間と自由』『物質と記憶』『道徳と宗教の二源泉』

⚪1870年~1945年 西田幾多郎 京都大学教授
禅の体験を通じて東洋的な発想を哲学的に体系化。✳13主客未分化の純粋経験からあらゆる対立、矛盾などを統一的に捉え直す「絶対矛盾的自己同一」を説く。『禅の研究』『思索と体験』『哲学の根本問題(正)(続)』

⚪1872年~1945年  ヨハン・ホイジンガ オランダ生まれ
中世およびルネッサンス期を研究し、フランス、アナール学派の✳14心性史研究の先駆けとなる。『中世の秋』

⚪1889年~1951年 ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン
ウィーン生まれ 「前期思想」「後期思想」に区分される。「後期思想」の要は「言語ゲーム」論。『論理哲学論考』『哲学探求』

⚪1889年~1976年 マルティン・ハイデガー ✳15現象学・✳16実存主義の巨匠 ドイツナチスに加担し釈明をしないまま他界したことで、人間性に対する根深い疑惑が持たれている。『存在と時間』

⚪1901年~1981年 ジャック・ラカン フランスの精神科医 
構造主義の四天王の一人 ソシュールおよびレヴィ=ストロースの構造分析方法を「無意識」の分析に応用して多くの成果をあげた。
「無意識は言語のように構造化されている」『エクリ』

⚪1902年~1968年 アレクサンドル・コジェーヴ ロシア生まれ
フランスに亡命。当時ほとんど知られていなかったヘーゲルをフランスに紹介し、独自の解釈を展開。『ヘーゲル読解入門』『法の現象学』

⚪1903年~1969年 テオドール・アドルノ
フランクフルト学派の中心人物の一人 朋友ホルクハイマーとともに近代化=啓蒙の過程の「自己破壊的魔力」を批判的に考察した『啓蒙の弁証法』(共著)は新しい✳ラディカル(【radical】化学で、遊離基 (ゆうりき) 。フリーラジカル。また、基 (き) 。1 過激なさま。極端なさま。急進的なさま。2 根本的。根源的。)な社会運動のバイブルに。『否定弁証法』『美の理論』

⚪1903年~1985年 ウラジミール・ジャンケレヴィッチ
フランスの哲学者 ベルクソン研究者として名高い。英米流の✳「バイオ・エシックス」(人間の生命、人類の生存について倫理的な観点も加えて総合的に考えていこうとする学問。生命科学・医療技術の安全性や規制、倫理問題を対象とする。生命倫理。)
とは異なり「死」を一人称、二人称、三人称に分けて考察し人間存在をトータルに把握しようとした。『アンリ・ベルクソン』『イロニーの精神』『死』

⚪1905年~1980年 ジャン=ポール・サルトル 
フランスの哲学者、文学者。無神論的実存主義の旗手。ボーヴォワールとの自由な恋愛・パートナーシップは有名。大江健三郎は弟子。『存在と無』『弁証法的理性批判』『家の馬鹿息子』『嘔吐』『自由への道』

⚪1905年~1995年 エマニュエル・レヴィナス 
フランスの実存哲学者 ユダヤ人として収容所に収監された辛辣な経験が哲学的出発点に。「傷つき恐怖に怯えた他者の顔に私は無感覚ではいられない」「顔」の「呼びかけ」を感受し、それに応答しようとした。自己が中心の「倫理学」から「他者の(に対する)倫理学」へ転換。『存在から存在者へ』『全体性と無限』『存在するとは 別の仕方で、あるいは本質の彼方へ』

⚪1908年~1986年 シモーヌ・ド・ボーヴォワール 
作家、小説家。実存哲学を研究し、実存主義的文学を発表する。
晩年は「老い」の問題も多元的に研究し、「老い」を初めて哲学的テーマに仕立て上げた。『第二の性』『老い』

⚪1908年~ クロード・レヴィ=ストロース 
フランスの文化人類学者 ソシュール言語学の知見(言葉の意味は他の言葉との関係、差異によって生じてくる)を、未開社会の構造分析や神話の構造分析に応用した。『親族の基本構造』『野生の思考』『神話の論理』

⚪1919年~1978年 ロジェ・カイヨウ  
フランスの批評家、思想家。バタイユなどと「社会学研究会」創設
「聖なるもの」、想像力、イメージ、夢、本能、遊びなど神秘的、非合理的な作用、現象を独自な視点で分析。方法論「対角線の科学」と称した。『人間と聖なるもの』『遊びと人間』『戦争論』

⚪1922年~1996年  トーマス・クーン 
アメリカの科学史研究家、科学哲学者。『コペルニクス革命』
『科学革命の構造』『本質的緊張』

⚪1923年~ ルネ・ジラール フランス生まれ
「万人の万人に対する戦い」という自然状態から共同体が成立する際に起こる、模倣(ミメーシス)の原理と供犠的暴力という永遠に隠されたメカニズムを解明。『暴力と聖なるもの』『世の初めから隠されていること』『身代わりの山羊』

⚪1924年~1998年  ジャン=フランソワ・リオタール 
フランスの哲学者『✳17ポスト・モダンの条件』『デイスクール・フィギュール』『文の抗争』

⚪1926年~1984年 ミシェル・フーコー 
フランス構造主義の四天王の一人 新しい権力論を提示し、現在もヨーロッパやアメリカなどで差別と戦う人々の理論的支柱になっている。『狂気の歴史』『言葉と物』『性の歴史』

⚪1926年~2002年 イヴァン・イリイチ ウィーン生まれ
ニューヨークでカトリック司祭として活動 
生活に根付いた土着的な価値の見直しを提唱『脱病院化社会』『学校のない社会』『シャドウワーク』『ジェンダー』

⚪1928年~ ユルゲン・ハーバーマス 
ドイツの社会科学者・哲学者の一人 近代合理性が自然支配をモデルとする「目的合理性」一辺倒に陥っていると批判し、「合意(=了解過程)の合理性」を提唱する。『コミュニケーション的行為の理論』

⚪1933年~1993年 廣松渉 東京大学教授
✳18物象化論、壮大なスケールの「✳19認識論≒存在論」を提唱。『善の研究』『思索と体験』『哲学の根本問題(正)(続)』

⚪1933年~2004年 スーザン・ソンダク 
アメリカの女性文芸批評家、小説家 自身のガン体験を踏まえ、結核とガンの二つの病について述べた多くのテキストを読解し、そこに潜むイデオロギーを浮かび上がらせる。『隠喩としての病い』『反解釈』『エイズとその隠喩』

⚪1939年~ リュース・イリガライ フランス精神科医
女性と言語の問題に焦点を当てて考察し、母娘関係、女性同士の連帯の理論化を行なう。『一つではない女の性』『差異の文化のために』

⚪1941年~ リチャード・ドーキンス 動物行動学者
自然界における人間の特異性は、「文化」という母体のなかに生まれ、その行動様式や発想を身に付け、それを次第に変化させていくことにある。そのため「文化」は「遺伝子」と同様に、個体が死んでも不滅だというのが「ミーム」説。マクロの観点。
『利己的な遺伝子』『ミーム』

⚪1952年~ フランシス・フクヤマ
アメリカ、ハーバード大学でソ連研究に従事し、その後米国務省に勤めた。現在はシンク・タンクで研究を続ける。
『歴史の終わりと最後の人間』
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✳1 エレア派 前6世紀の後半南イタリアのエレアに起った哲学の一派。クセノファネス,パルメニデス,ゼノン,メリッソスらが代表者。その学説は存在のあらゆる有限な規定性,変化を否定し,無規定的で変転しない純粋な存在のみを認める一元論である。創始者クセノファネスは神を一者と呼んで多神教を攻撃し,この派を体系化したパルメニデスは,純粋な唯一の存在という概念を多様性の概念に鋭く対立させ,それに向う純粋な思考を唯一の確実な認識とした。ゼノンはこの一者の概念を最も純粋に抽象し,一と多の対立を明確にした。彼はその学説を鋭い論理により擁護しており,アリストテレスによって弁証法の創始者といわれている。

✳2 規準 模範・標準となるもの。従うべき規則。

✳3 汎神論 一切の存在は神であり、神と世界とは一体のものだとする宗教観・哲学観。

✳4 経験論 知識の源泉を経験,ことに感覚的経験に求める哲学的立場で,知識の源泉を理性に求める理性論,合理論と対立する。古代ではソフィストたち,ストア学派,エピクロス学派などがこの傾向に属し,プラトン,アリストテレスの理性的立場と対立し,中世ではオッカム,R.ベーコンなどにこの傾向が部分的にみられたが,いわゆるヨーロッパ大陸の理性論と対立して経験論の立場が明確に主張されたのは,17世紀末から 18世紀にかけての J.ロック,G.バークリー,D.ヒュームなどのイギリス経験論においてである。ロックはデカルトの生得観念を否定していわゆるタブラ・ラサ (白紙) 説を主張し,バークリーは抽象観念を否定して「存在は知覚すること」であると主張し,ヒュームは抽象観念を批判して観念の起源を感覚印象に求めた。また J.S.ミルにもこの傾向が認められる。このイギリス経験論はヨーロッパ大陸の唯物論,実証主義と結びつくにいたり,フランスではボルテール,D.ディドロ,J.ダランベールなどの啓蒙主義,ドイツでは R.アベナリウス,E.マッハなどの実証主義に影響を与え,さらに現代では 19世紀のいわゆる思弁的哲学に対する批判との関連において再評価され,論理実証主義,プラグマティズム,分析哲学に影響を与えている。

✳5 唯物論 物質 (ラテン語 materia) を意識に対して根源的であるとし,感覚,知覚,表象など一般に人間の意識を客観的存在の反映としてみる物質一元論的世界観。したがって観念論とは根本的に対立する。古来唯物論は観念論と並んで哲学の発生以来さまざまな形をとって哲学史を貫いている。そのおもなものには前5世紀ギリシアの原子論者たち (レウキッポス,デモクリトスなど) ,17世紀のイギリス唯物論 (R.ベーコン,T.ホッブズ,J.ロックなど) ,18世紀のフランス唯物論 (D.ディドロ,J.ラ・メトリ,C.エルベシウスなど) ,19世紀ドイツの生物学的唯物論 (K.フォークト,J.モーレショット,E.ヘッケルなど) が数えられる。 19世紀後半ヘーゲル左派より出たマルクスやエンゲルスはこれらの唯物論が科学的成果に立っていることを評価しながらも,それらが虚妄な哲学的世界像を含んでいることを批判し,より科学的な弁証法的唯物論を提唱し,これが今日の哲学界では唯物論の最も大きなものとされている。

✳6 合理主義 理性論 (主義) とも訳される。人間理性は他の力をかりずとも客観的真理を把握しうるとする哲学的立場の総称。根本的には認識論上の立場であり,感覚体験を退けて理性のみが真理に達しうるとする。数学をモデルとして演繹の方法によって論理の必然的連鎖を追う。感覚を否定するのでほとんどの場合観念生得説と結合している。プラトン,ガリレイ,デカルト,ライプニッツ,ヘーゲルらが典型。神学上は啓示を否定する自然宗教の立場であり,宗教改革以後特に啓蒙期に盛んとなったが,それは特に理神論と呼ばれ無神論に道を開いた。倫理学上の合理主義は理性を感情に対立させ,生得的道徳律を主張する。プラトン,ストア派に発し,17~18世紀イギリスで流行をみた。

✳7 功利主義 19世紀,イギリスで盛んになった倫理,政治,社会思想。広義には幸福主義,快楽主義と共通する点をもち,R.カンバーランド,F.ハチソン,T.ホッブズ,J.ロック,D.ヒュームなどにもその傾向がみられるが,狭義には J.ベンサムやミル父子などに代表される経験論的功利主義をさし,最大多数の最大幸福をスローガンとする。彼らは幸福と快楽とを同一視し,苦を悪としたが,ベンサムでは快楽は量的にとらえられ,快楽の計量可能性が主張され,J.ミルでは快楽に質的差異が認められ,精神的,倫理的快楽が注目された。この思想は,イギリスでは H.シジウィックの合理主義的功利主義,H.スペンサーの進化論的功利主義に引継がれ,ドイツではイェーリングらに影響を与えた。特にイギリス政治史上に果した役割は絶大で,根強い保守的風潮を破って改革の機運をつくり出すことに成功した。いうならば功利主義は産業革命の哲学であった。そしてこの旗のもとに多くの知識人や新興中産階級が結集し,古い秩序に対して一大改革運動を推し進めていった。 1822年から 29年にかけての法典整備や刑罰規定の改正,34年の救貧法改正,35年の地方自治法制定や教育制度改正などはその成果である。なかでも「1832年革命」(パリ市民による王政打倒の暴動)といわれる✳?リフォーム=アクト(末確認)の成立こそは功利主義の最大の勝利であった。

✳8 ロマン主義 18世紀後半から 19世紀前半にヨーロッパで興った文学,哲学,芸術上の理念や運動。ルソーの思想や「シュトゥルム・ウント・ドラング」運動に端を発し,17世紀以来の古典主義を人間精神の内奥の力を否定したものとして攻撃,なによりも個性や自我の自由な表現を尊重し,知性よりも情緒を,理性よりも想像力を,形式よりも内容を重んじた。そして古典主義の時代をこえて中世とルネサンスの精神に,また自然との直接的な接触に霊感を求めた。ロマン主義は政治的理想と結ばれて,19世紀の多くの革命運動の指導原理ともなった。また精神分析学への道を開くなど現代の思想に与えた影響はきわめて大きい。表現主義,シュルレアリスムもロマン主義の発展形態である。

✳9 実存哲学 個人の実存を重視する哲学的立場。「実存」はドイツ語ではエクシステンツExistenzであり、この語は元来「存在」を意味するが、20世紀に入って実存哲学がとくに人間の個別的な現実存在をさす語として用いるようになってから、「現実存在」を縮めた「実存」という訳語があてられるようになった。
実存哲学の流れ
実存哲学の先駆者としては、19世紀後半の2人の思想家キルケゴールとニーチェとがあげられる。実存という語を先の意味で初めて用いたキルケゴールは、個々人の存在の意義に重きを置かないヘーゲルの汎(はん)論理主義的な体系に反抗して、個人の主体性こそが真理であると説き、また信仰から外れている「大衆」に真の信仰者である「単独者」を対置した。一方ニーチェは、伝統的な人間の本質規定がすべて崩れ去るニヒリズムの到来について語り、そこから価値の転換と、これまでの人間にかわる超人の理想を説いた。彼らは生前ほとんど理解者をもたず、その思想はごく限られた範囲でしか認められなかったが、20世紀に入って第一次世界大戦がもたらしたヨーロッパの戦禍は、現実にニヒリズムの到来を結果し、2人の思想は、とりわけ戦禍の甚だしかったドイツにおいて一躍脚光を浴びるようになった。
 ハイデッガーやヤスパースといったドイツの実存哲学者は、こうした時代背景を負って登場した。ちなみに、ハイデッガーの主著『存在と時間』が公刊されたのは1927年であり、ヤスパースの主著『哲学』全3巻が実際に公刊されたのは31年暮れであって、哲学界で実存とか実存哲学について語られるようになるのはそれ以降のことである。現象学から出発したハイデッガーの実存哲学は、その後フランスに渡り、サルトルに代表されるフランス実存主義の思想を生んだが、この思想は、第一次大戦とは比較にならないほどの物質的、精神的荒廃をもたらした第二次大戦後の思想界に広範な影響を与えた。またこの流れとは別に、カトリック系のフランスの哲学者マルセルも、実存哲学者の一人に数えられる。
思想とその影響
『存在と時間』でのハイデッガーは、世界のうちに現に投げ出されて存在する人間を現存在とよび、現存在が存在すること、そのことを実存と名づける。現存在がどのように実存するかは、あらかじめ定められた人間の普遍的本質といったものによってではなく、その時々に現存在が実存するまさにそのことによってのみ決定される。つまり「現存在の本質はその実存にある」ことになる。現存在をこうした角度から分析するのが実存論的分析であって、それを通じて実存の非本来性と本来性とが区別される。非本来的な実存とは、本来の自己を見失って「ひと」のうちに没入し、世界の内部で現れる目前の事物に心を奪われている人間の日常的なあり方のことで、これは時間に即していえば、過去を忘却し、未来を予期しながら、その時々の現在に分散して生きる人間のあり方である。
 これに対して、過去からの自己を取り戻し、将来に向かって先駆しながら、瞬間において決意的に生きる人間のあり方が本来的な実存であって、これはキルケゴールの「実存」を原型とするものといえよう。だが後期のハイデッガーでは、人間が存在そのものの明るみのうちへと立ちいでることが実存とされ、『存在と時間』での本来的実存にみられる悲劇的、英雄的な色彩は消え、従来のエクシステンツにかわってエク・システンツ(「開存」とも訳される)といった表現も用いられるようになる。
 一方ヤスパースの『哲学』によると、実存は(1)けっして客観となることのないもの、(2)私がそれに基づいて思考し行動する根源、(3)自己自身にかかわり、かつそのことのうちで超越者にかかわるもの、であって、こうした「自己存在の暗黒の根拠」である実存は、いわゆる実存開明によってのみ明らかになるとされる。それによると、実存は自己に充足できず、さまざまな限界状況に直面して自らの有限性に絶望し、そこから超越者の主宰する真の現実へと目を向け、本来の自己存在へと回生する。その限りではハイデッガーよりもヤスパースの実存のほうがはるかにキルケゴール的実存に近いともいえよう。
 またサルトルによると、※人間にあっては実存が本質に先だつ。人間の本質をあらかじめ規定するような神は存在しない。人間は各自が自由に自己を創造していくほかなく、その創造の責任を自らに引き受けなければならない存在である。サルトルはそこでハイデッガーと自分とを無神論的実存主義者とよび、ヤスパースやマルセルを有神論的実存主義者とよんで、この二つを区別した。
 実存哲学は、文学のみならず、さまざまな学問分野に影響を及ぼしている。たとえばバルトやブルンナーに代表されるいわゆる弁証法神学には、キルケゴールやハイデッガーの影響が顕著である。また、実存分析の手法は、精神病理学のうちに採用された。なお実存哲学の影響を受けた日本の哲学者として、三木清、九鬼周造(くきしゅうぞう)、和辻哲郎(わつじてつろう)などの名をあげることができる。
https://youtu.be/v3PLlUa6YY8 アッガイズチャンネル

✳10 唯物論的歴史観 1840年代にマルクスとエンゲルスによって確立された世界観。史的唯物論は,弁証法的唯物論の社会への応用である。その研究対象は,社会生活の個々の側面や社会的諸関係の一定の現象と種類ではなく全体としての社会である。そして,多面的で諸矛盾に満ちた全体としての社会を貫く発展諸法則,社会生活のありとあらゆる諸側面の交互作用を研究することにある。これによって初めて人間は複雑な社会の全発展を自然史的な過程として,単一の合理的な過程として,精密に認識することができ,社会の現状を分析し,その発展方向を予知することができるというものである。社会の一般的発展法則に関する科学として,マルクス=レーニン主義の構成部分の一つである史的唯物論は,他のマルクス主義の理論と同様に,永遠不変の図式ではなく生きた行動の指針として生れたものであり,したがってそれは常に実践的活動とその成果を一般化し,公式化することによって創造的に発展していこうとする社会生活の認識方法であるといわれる。

✳11 ニヒリズム 虚無主義(英: Nihilism)とは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。

✳12 構造主義 おもにフランスにおいて,現代科学の多くの分野に共通する思想運動の一般的傾向。人文現象を全体的,有機的な構造との関連でとらえ,かつ模型 (モデル) を援用してこの構造の解明を目指し,歴史的,時間的な経過を記述するよりも,それらの生起を可能ならしめる構造もしくはシステムの分析を重んじた。 20世紀の初め,史的言語学に反対して,F.ソシュールらが提唱し,プラハ学派を介して開発された近代言語学の方法が他の分野にも適用され,民族学では,C.レビ=ストロースの未開社会の親族構造の研究,神話学では同じく彼による神話の研究,精神分析の面では,J.ラカンの業績,哲学における L.アルチュセールのマルクス主義研究,M.フーコーの近代思想の文化的基層の分析,R.バルトのシステムの解明など多くの成果をあげ,1960年代の主要思潮の一つとなった。

✳13※主客未分化の純粋経験(哲学で、反省を含まず、主観・客観が区別される以前の直接に与えられた経験。W=ジェームズ・西田幾多郎らの哲学にみられる。)
https://note.com/kubo_ke_asa/n/nde4b711d0ff5
久保家:朝の勉強会

✳14 心性史 歴史学の分野の一。人々の思考様式や感覚を、文献史料の他に図像や遺物・口頭伝承なども用いて研究する。1970年頃からフランスを中心に発展。 

✳15  現象学 現象学という言葉はすでに J.ランベルトの『新オルガノン』 (1764) に見出され,またカントにも phaenomenologia generalisという言葉が見出されるが (79年の書簡) ,哲学的方法論の核心をなすものとして特別な意味が与えられたのは最初ヘーゲル,次いで E.フッサールにおいてである。ヘーゲルは『精神現象学』 (1807) を意識の経験の学とし,感覚的経験から絶対知への意識の発展を絶対精神の弁証法的展開として記述した。フッサールは F.ブレンターノの影響を受けながら,「事象そのものへ!」を哲学の標語とし,純粋意識の本質記述学を現象学とし,超越論的還元と形相的還元による純粋意識の本質構造をノエシス,ノエマの相関関係として分析記述した。彼によって創始された現象学はその後,直接間接に多くの影響を与え,ドイツを中心としては M.シェーラー,A.プフェンダー,M.ガイガー,A.ライナハ,R.インガルデン,コンラート=マルチウス,シヤップ,ヘーリング,E.シュタイン,さらには M.ハイデガー,O.ベッカー,L.ラントグレーベ,O.フィンク,ガーダマー,フランスではサルトル,M.メルロー=ポンティ,P.リクール,M.デュフレンヌ,G.マルセル,ベルギーではファン・ブレダ,バーレン,アメリカではファーバー,シュピーゲルベルク,日本では池上鎌三らが現象学に学び現象学を発展させた。また現象学は他の諸学問へも方法論的に影響を与えたことが注目されよう。

✳16 実存主義 世界における人間の実存 (現実存在) を説明しようとする哲学の一派。主として 20世紀に意識的な運動となって現れ,ハイデガー,ヤスパース,サルトル,マルセル,メルロー=ポンティらが実存主義哲学者とされるが,その特徴は 19世紀の思想家であるニーチェやキルケゴールにもすでに認められる。直接の先駆者であるキルケゴールは人間の自由選択の意義を強調し,未来の一部分はこの選択にかかっており,閉鎖的な合理的体系によって予知しうるものではないとし,このような人間存在を実存と呼んだ。他のものと代置しえないこの個別的実存のもつ哲学的重要性を強調する立場が広く実存主義と称される。
 非合理主義者による伝統哲学への反抗とみられることもあるが,実存主義はおもにその内部で発展した理論であった。次の3つの理由から認識論を否定し,人間に関する知識を深めようとする立場である。第1に,人間は単に認識主体ではなく,心配し,望み,あやつり,そしてなかんずく選択し,行動する。ハイデガーは物体を認識のための「物」ではなく,使うための道具とみなす。メルロー=ポンティは生の経験はみずからの肉体の経験から始るとする。第2に,認識論の教義にときとして必要な自己 (自我) は,内省以前の経験の基本的特徴ではなく,他人の経験から生じる。認識主体たる自我は,外の物の存在を推論したり構成するというよりは,むしろ前提としている。第3に,人間は世界の独立した観察者ではなく,「世界のなか」に存在する。人間は木石のような存在とは違う特殊な意味で「存在」する。しかし,デカルトの見解に反して,人間は知識や知覚の介在なしに世界を受入れる。人間が外の物を推論したり,映したり,疑う独立した意識の領域は存在しない。実存主義者がデカルト主義者の二元論を拒絶する理由の一つは,認識より存在に関心があり,現象学は存在論でもあると考えるからである。
特殊な意味で人間が存在するということは,みずからの選択と行動で決めた未来が開かれていることを意味する。木石やトラなどの他の存在は,自分が何であり,何をなすかを決める本質ないし本能をもつ。反対に,人間は自分の行動を支配するような本質を,種としても個としてももたない。人間は,みずからの選択,生き方の選択 (キルケゴール) ,特殊な行動 (サルトル) によって,みずからが何たるかを決める。単に「与えられた」役割を演じたり,「与えられた」価値 (たとえば神や社会から与えられた) に従っているときでさえ,実際にはそうすることを選んでいるのである。なぜなら,合理的にせよ偶然にせよ,人間の選択を単独で決定する与えられた価値は存在しないからである。どんな選択でも可能というわけではない。人間の「存在が世界のなかにある」ということは,特殊な状況に「放擲」 (ハイデガー) されていることを意味する。自由に利用できると思えるものも,実際にそうとは限らない。それを前もって知ることもできない。人間の選択は,どのような形にせよ説明できるものではないと実存論者は主張して,科学的唯物論を否定する。未来の開放性,個人とそのおかれた状況の特異性は合理的哲学体系を寄せつけない,とも主張する。それが,彼らが「存在」にこだわるもう一つの理由である。存在は,認識と異なるだけでなく,個人的なものや特殊なものをきちんととらえられない抽象概念とも異なる。
実存主義者は人間の選択には合理的な理由はないとしているので,規則や価値観という意味での倫理を提唱しない。むしろ倫理を行動や選択を考える枠組みとみる。この枠組みは選択すべきものを示唆するのではなく,正しい選択と誤った選択があることを示す。人は信頼できるものにも信頼できないものにもなれる (ハイデガー) し,誠実にも不誠実にも行動できる (サルトル) 。不誠実な行動とは,多数派に盲目的に従ったり,既存の価値や制度を支持することなどをいう。特に,人間は死,苦悩,争い,罪などの「限界状況」 (ヤスパース) に直面すると,自分が行動すべき世界の究極的な不可解さとともに,みずからの行為者としての責任を認識するようになる。
 実存主義は,心理学 (ヤスパース,ビンスワンガー,レーン ) やキリスト教 (キルケゴール,マルセル) だけでなく,無神論 (ハイデガー,サルトル) や神学 (バルト,ティリヒ,ブルトマン ) など,哲学以外の分野にも大きな影響を与えた。実存主義は特定の政治的信条を内包しないが,政治的直接行動主義につながる人間の自由をそこなうものや体制順応主義への反感と責任の強調 (サルトル) を伴う。キルケゴールが唯一すすめる「間接的伝達」は実存主義者の多くに無視されたが,特定の状況と自律的選択の重視は,哲学論文だけでなくドラマや小説によっても,実存的真理を伝えうることを意味する。実存主義への関心は数々の想像力にあふれた文学作品 (サルトル,カミュ,ボーボアール ) を生んだ。そのうえ,実存主義哲学はあらゆる時代の文学作品,たとえばソクラテス,シェークスピア,ドストエフスキー,フォークナーに共通する主題を表現したり解釈する手段をもたらした。

✳17 ポスト・モダン(現代的.当世風) 現代という時代を、近代が終わった「後」の時代として特徴づけようとする言葉。各人がそれぞれの趣味を生き、人々に共通する大きな価値観が消失してしまった現代的状況を指す。現代フランスの哲学者リオタールが著書のなかで用いて、広く知られるようになった。リオタールによれば、近代においては「人間性と社会とは、理性と学問によって、真理と正義へ向かって進歩していく」「自由がますます広がり、人々は解放されていく」といった「歴史の大きな物語」が信じられていたが、情報が世界規模で流通し人々の価値観も多様化した現在、そのような一方向への歴史の進歩を信ずる者はいなくなった、とされる(『ポスト・モダンの条件』1979年)。また、ポストモダンという言葉は、ポスト構造主義の思想傾向を指す言葉としても用いられ、その際はポスト構造主義とほぼ同義である。唯一の真理をどこかに求めようとする思考を徹底的に批判しようとしたデリダ、近代は自由を求め拡大したのではなく、むしろ人々の内面と身体を管理する技術を発達させたと述べたフーコーなどは、共に、近代的な物語を解体しようとした思想家として見られるからである。
ポストモダン【postmodern】 の解説
近代を超えようとする芸術運動。近代の合理主義的傾向を否定する考え方。もともとは、機能主義・合理主義に対置する新しい建築、という意味の近代建築用語。

✳18 物象化(英: reification)とは、人と人との関係が物と物との関係として現れること。カール・マルクスが後期の著作(とりわけ『資本論』)で使った概念。マルクス自身は断片的な記述しか残していないが、ルカーチ・ジェルジや廣松渉が重要視したために注目されるようになった。

✳19 認識論 知識論,知識哲学ともいう。哲学の一部門で,認識,知識の起源,構造,範囲,方法などを探究する学問。「認識論」という言葉自体は近代の所産であり,Erkenntnistheorieが最初に用いられたのは K.ラインホルトの『人間の表象能力新論の試み』 (1789) においてである。 epistemologyはギリシア語の epistēmē (知識) +logos (論理,方法論) に由来するが,この言葉が最初に用いられたのは J.フェリアーの『形而上学原論』 (54) においてである。もちろん認識の哲学的考察は古代,中世においても神の認識をめぐってなされたが,人間の主体の認識問題として哲学の中心部門に位置を占めるにいたったのは近世においてである。 J.ロックの『人間悟性論』はこの認識の問題の転回点に立つものであり,D.ヒュームらイギリス経験論により認識論の近代的性格はさらに明確にされ,I.カントにおいて大成された。カントの認識論は,認識を事実問題としてではなく権利問題とした点で「認識批判」の意味をもっている。認識論は形而上学と並んで哲学の二大部門をなすが,両者の関係については立場によって異なり,ロック,デカルト,カントらによれば認識論は形而上学に優先し,B.スピノザ,ヘーゲル,S.アレクサンダー,A.ホワイトヘッドらによれば逆であるとされる。

✳?最近ヨーロッパ近代の発想が様々な問題点を抱えていると指摘する声が高まってきた。デカルトはその最大の責任者として批判の的になっている。
➡人間と自然、物質を分離して切り離す考え方に弊害が起きている?
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「哲学の延長としての科学は疑い抜く思考の実践であり、倫理及び宗教は信じ抜く実践の態度ではあります。
なので、科学は“存在”を解き明かせないわけです。“存在”を把握できるのは“存在の信念”だけなのです。
ある意味、存在を明確に提示したのは、哲学者デカルトだと思います。いわゆる、“我思うゆえに我あり”というやつです。ただ、言いかたがイマイチで、コトバ足らずです。厳密には我ある故に我思うからです。ただ、かなりいい線行ってました。
しかし、デカルト自身がこの意味するところの真髄を忘れてしまったようです。
存在の意味を問い確かめる作業はハイデガーの「存在と時間」によって試みられましたが、合理的思考によっては把握不可能な“存在”であるが故に挫折してますね。」

 以前、こんなコメントを頂いた事があったのですが、その時は何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。今回哲学をざっと調べてみてやっと分かりました。能楽もそうですが、文化や学問はその歴史背景を知らないと、その意図している事を理解するのはとても難しいと感じました。これも振動数違いの一例なのかなと空想しています。

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