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金川紗耶に罪はない。罪はないから罰もない。

乃木坂46の金川紗耶さんがジャニーズのメンバーとデートをしたというスクープが未だに尾を引いています。乃木坂46の運営が金川紗耶さんに関するツイートをすれば、そのリプライには励ましの声と批判の声が寄せられます。ようやく批判のリプライが少なくなってきてはいるようですが、この先もしばらくこのような批判の声は続くことでしょう。

web記事でも取り沙汰されていた議論として、「この一件を謝罪のみで終わらせて良いのか」というものがあります。

終わらせて良い場合、これ以上議論を継続する必要はありません。
終わらせて良くない場合、何かしらの処罰が必要ということなのでしょう。

ネット上で不特定多数の人が参加している議論故に、いつまでも結論が出そうにありません。

ですが、今回の記事で少なくとも僕の中でこの一件に終止符を打ちたいと思います。


なぜ処罰が必要なのか

以前の記事で述べたように、僕はそもそも謝罪すら必要ないと考えています。まして処罰など以ての外です。なぜなら金川紗耶さんは悪いことや謝罪しなければならないことはしていないと捉えているからです。

金川紗耶さんの公式ブログを読めば分かりますが、彼女は友人と会ったと述べています。なぜ友人と会ったことを咎められ、謝罪し、処罰まで与えられなければならないのでしょうか。

処罰や謝罪を求めている人は、恐らく金川紗耶さんは乃木坂46に制定されている恋愛禁止のルールを犯したと考えているのだと思います。

だとしたら、僕にはそれが分からない。

少なくとも金川紗耶さん本人は「友人として会った」と言っているわけです。つまりは友人関係であるということです。

謝罪や処罰の議論をしている人達は、この言い分を否定し、彼女達は友人関係ではなく恋愛関係だと断定していることになるのですが、僕にはその論拠が分からない。如何にして友人関係であることを否定できるのでしょうか。

「彼女達の関係は友人関係ではなく恋人関係である」と断定できる論拠があるのならば、僕がその論拠を感知出来ていないので、それを教えていただきたいと思います。

論拠があり、なおかつそれが納得できるものであれば、金川紗耶さんは恋愛禁止のルールを犯したことにも納得できるので、確かに謝罪・処罰はあって然るべきものだと思えます。

ちなみにスクープ記事を読むと、「二人は芝生に寝転んだ」とか「夜景をバックに自撮りした」とか書かれています。これらの行動が恋愛関係であると断定できる論拠に成り得るということなのでしょうか。

友人関係でも芝生に寝転がったり夜景をバックに自撮りしたりする人達はいます。 僕にも個人的経験として心当たりはあります。自分を例に出すと別の批判を生みそうですが、そのような行動は恋愛関係でなくとも起こり得るものだという根拠になり得るので敢えて述べておこうと思います。

以上のことから、これらの行動が友人関係であることを否定し、恋愛関係であると断定できる論拠には成り得ないと考えています。

ここまでくると「何を以って恋愛関係か」という、人によって答えが違う、どこまでも感覚的で答えが出ない議論が始まってしまうわけで、答えが出ないということは明確な基準はないということになります。

明確な基準がないのであれば、彼女達の関係を恋愛関係だと断定できる論拠も今のところはないということです。となると、本人が友人関係だと言っている以上、それを信じるしかありません。結局は本人達の自覚に頼る他ないのです。

そして友人関係なのであれば恋愛禁止のルールを犯していないので、それに対する謝罪や処罰は不要です。「相手は友人」というコメントを発表したからには、乃木坂46の運営陣は処罰を与えることは出来ません。処罰なんてしたら「実はやっぱり恋愛関係でした」と認めるようなものです。

そして何より僕の疑問として、処罰を求める方々は金川紗耶さんをどのように罰して欲しいのでしょうか。

土下座させて辱めて欲しいのでしょうか。
友人と会っただけで?

坊主頭にして欲しいのでしょうか。
友人と会っただけで?

活動休止して欲しいのでしょうか。
友人と会っただけで?

相手の方と絶縁して欲しいのでしょうか。
確かに恋愛は禁止ですが、交友まで制限される謂れはありません。

誤解されるような行動をしたことを批判するのであればまだ理解できますが、それであれば謝罪で事足ります。実際には悪いことをしていないので処罰は不要ですね。
にも関わらず、いつまでもルール違反をしたから処罰が必要だと述べるのは、もはや誤解ではなく曲解です。ルール違反だと捉える側に問題があり、意地になっているような節を感じます。

批判を繰り返したり処罰を求め続けたりする方々は、僕には不憫に見えてしまいます。堂々と批判できる都合の良い対象を見つけて、コロナ禍や自粛や日々の苛立ちをぶつけて発散しているようにさえ感じます。もはや八つ当たりと言っても過言ではないかもしれません。

処罰を求めるならば、金川紗耶さんがどのような罪を負い、どのような処罰が必要で、なぜその処罰が適当なのかを述べて欲しいと思います。

何度も述べるように、金川紗耶さん本人はお相手を友人だと言っているのです。果たして友人と会ったことに謝罪や罰が必要なのでしょうか。


謝罪文の真意

金川紗耶さんの公式ブログを読む限り、ただひたすらに謝罪を述べるばかりで、何に対する謝罪なのか判然としません。この一件が長引く要因はここにもあると思います。このような謝罪の仕方故に、何に対する謝罪なのかを具体的にするべく議論が長引いてしまうのでしょう。

ちなみに、世間を騒がせたことを謝罪するならまだ理解出来ますが、それであれば「お騒がせしてごめんなさい、相手の方は仲の良い友人です。」と言えばそれで終われた一件だと思います。

かつてのAKB48のメンバーだった大島優子さんも、AKB48に在籍中にウエンツ瑛士さんとの熱愛報道がありましたが、その際は上記のようなコメントが発表され、大きな波風が立つことなく事態は収束しています。ブログの内容次第では、これと同じような状況に出来たと思います。

さて、ここで考えておきたいのは、なぜ金川紗耶さんは何に対する謝罪なのか判然としない謝罪文をブログに掲載したのかということです。

ブログを何度か読み返してみましたが、恐らく下記のどれか、もしくは下記のいずれかが複合したものが理由になっていると感じました。そうでなければ謝罪文は自ずと何に対する謝罪なのかが読み取れる文面になるはずです。

・1
友人と会っただけで世間が想像以上に騒いでしまい、パニックになった結果、事態を収束させるためにとにかく謝罪すべきと考えた。

・2
友人と会っただけなので本当は謝罪したくない。しかし乃木坂46の運営陣から強制力をもった助言を受け、本人は納得していないが致し方なく謝罪することにした。

・3
「恋愛禁止」のルールを犯した・犯していないに関わらず、乃木坂46の看板に泥を塗ってしまったと感じ、ファンを含む身内に対して申し訳ないと感じ、居ても立っても居られずに謝罪した。

ブログを読む限り、恐らく「3」の色合いが最も強いと思われます。

わざわざ「お相手は友人である」ということを明示したのは「恋愛関係ではない」ということを強調する意図があると思います。つまり「恋愛禁止のルールは犯していない」ということを暗に述べたいのでしょう。

であれば、どうやら金川紗耶さん本人は、理論上は謝罪が不要であることを自覚しているのかもしれません。しかし、乃木坂46に悪影響をもたらしてしまったと感じたが故にファン・メンバー・乃木坂46の運営陣に対して、謝意を抱き、そのことを謝罪という形で表現しているのではないでしょうか。

であれば、謝罪の仕方が良くない。

乃木坂46の看板に泥を塗ってしまったことをメンバーや運営陣に謝罪するなら、ブログではなく対面ですべきです。対面こそが何よりも誠意が伝わる謝罪の手段でしょう。コロナ禍を考慮するなら、オンラインによる対面で謝罪すべきです。

過去に松村沙友理さんや若月佑美さんのスキャンダルがあった時、メンバー全員が一室に集められて本人による謝罪が行われたことから推測すれば、実際にはそれに近い方法で謝罪する機会が設けられたことでしょう。

であればブログに掲載するべきは「メンバーや運営陣に対面で謝罪が完了したこと」の報告と、ファンへ「友人として会った」という説明です。そのようにして誤解を解消することでケジメをつけ、収束出来たと思います。

そして、敢えて付け加えるとするならば世間を騒がせたことやファンを驚かせたことに対する謝罪です。しかしこれは十分条件的なものであり、「敢えて付け加える」程度のものです。絶対に必要なものではありません。

以上のことから、やはり謝罪自体が不要なものであり、まして処罰など論外だと思います。

その上で処罰が必要だと述べるならば、なぜ処罰が必要なのか、どんな処罰が必要なのか、なぜその処罰が適当なのかを説明して欲しいと思います。


まとめ

金川紗耶さんは、スクープ後のラジオで涙声で改めて謝罪をしています。謝罪の言葉自体はブログに掲載された言葉をそのまま口に出したものでしたが、その涙声からは何よりも乃木坂46とファンに対しての謝意を感じました。

そして引き続き視聴者に元気を届けていく意欲を表明し、「四番目の光」を放送しています。皮肉にもこの曲の歌詞には下記のものがあります。

エムブレムにふさわしい未来
汚さぬように頑張るしかない

乃木坂46の看板に泥を塗ってしまったと本人が感じ、それを謝罪したのであれば、この歌詞は今の彼女に重くのしかかっていることでしょう。実際に彼女は「今の私にはこの曲を歌う資格はないかもしれない」と述べています。

僕としては「悪いことはしていないのだから謝罪する必要も処罰を受ける必要もない、そして歌う資格はある」と思うのですが、本人の中でケジメがついていないということであれば、もはや外野が口を挟むことではありません。

ここまできたら彼女の気が済むように行動して欲しいと思います。信頼を取り戻す方法が、これまで以上に精力的に活動していくことだと本人が判断したのであればそれも良いでしょう。僕個人はそもそも信頼を失ったとは思っていないのですが。

もしかしたら活動自粛等の処罰を受けた方が、本人としては楽なのかもしれません。人間は謝意をもてば「責められたい」と思うものです。いっそのこと、活動を自粛して「必要な禊を済ませたので復帰します」という文脈を作った方が世間の反応は良いのかもしれません。

また、どんなに悪いことをしていないという自覚があったとしても、周囲の人達から腫れ物に触るような接し方をされるのは辛いでしょう。

しかも、このように世間に騒がれると人前で活動するのが怖くなるものです。そんな中でも、彼女は逃げずに活動を継続しています。これは僕としては大きく評価できるものです。

引き続き、毅然とした態度で活動を続けて欲しいと思います。「友人として会った」と言ったからには何も悪いことはしていないのです。むしろ、苦しい状況に逃げずに立ち向かっていることに誇りをもってほしいと思います。

以上、「金川紗耶に罪はない。罪はないから罰もない。」でした。

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