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徳川15代の真相(前編)

落合莞爾氏が、わたしの大室寅之祐明治天皇説をきっかけに、彼なりにわたしの説への意見を述べるにあたり、改めて徳川家関連特に吉宗辺りについてかなりの情報整理を note で披露しています。

わたしはすでに自著『 真相追究 公武政略と武士 』において、徳川家康の真相を(自信を持って)述べており、落合氏の説く吉宗が徳川宗家に入った理由に違和感を持っていました。

そもそも徳川家の血統は特殊であって、改めて伏見宮から吉宗を迎える必要もないくらいであるにもかかわらず、伏見宮から紀州徳川家に入った吉宗が宗家にやってくる明確な理由が落合氏の説だと分かりません。

吉宗前の将軍たちが(偽装死と分かるくらい)短命であったり、家光の兄弟関連の血統で繋いで継ぎあったのかの謎が残ります。
四代将軍家綱は家光の長男、五代綱吉は家光の四男、六代家宣は家光の三男綱重の長男、七代家継は家宣の子という具合です。
また、家綱は数え40歳で世継ぎなし、綱吉は男子なし、家継は8歳で早世などもあり、吉宗より前の将軍たちは違和感だらけです。

つまり、吉宗自体に原因を求めるより、それ以前に何か理由があると考えた方が自然に思ったのです。

ということで、この辺りを探っていくと、面白いことが分りました。
そこだけに言及するだけでなく、せっかくなので徳川15代の15人について、探れたことを列記していこうと思った次第です。

一部は自著で述べたことと重なりますが、全体を通して國體政略の深遠さを感じて頂けると思います。

前後に分けず一編で行きたかったのですが、思いのほか文字数が膨らんでしまったので、前後に分けさせてください。
前編は、家康、秀忠、家光となります。

そうそう、念のために伝えておきます。
わたしは落合莞爾氏と何か仲が悪いとかいがみ合っているというようなことはありません。
従来通り良好です。
意見や見解の相違があるだけで、こういうことにも落合氏は寛容であり、了見が狭いとは縁がない人です。
勘違いされないようにしてくださいね。

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