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戦争する自衛隊への露払い 軍国主義調の国葬の異様さを訴え 第4回裁判

安倍晋三元首相の国葬に出席した広島県の湯崎英彦知事と中本隆志県議会議長が使った公費の返還を求める裁判の第4回目は、9月6日、広島地裁で開かれました。山田延廣弁護団長が意見陳述し、「岸田内閣が憲法9条に反する敵基地攻撃能力論を明確に唱えていることに合わせて、この国葬の儀式内容をみれば、米国と中国との間で有事に至れば集団的自衛権名目で自衛隊を参戦させ、多数の犠牲者が出ることをも想定したうえで、自衛隊や国民にそれに備えた意識を植え付けさせようとしているとしか考えられない」と、国葬が岸田政権による自衛隊の政治利用であることを強調しました。

山田弁護団長の意見陳述のうち、自衛隊の政治利用を断じた部分は次の通り。

 安倍元首相の柩車に自衛隊儀仗隊が敬礼して見送り、防衛省にわざわざ立ち寄った。遺骨が式場の正面玄関に到着と同時に19発の弔砲が発射され、儀仗隊の敬礼で迎えられ、陸上自衛隊中央音楽隊による「悲しみの譜」が演奏された。儀仗隊が入場して「着剣の捧げ銃」の敬礼をし、それに合わせて軍歌である「国の鎮め」が陸上自衛隊中央音楽隊によって演奏された。
 まるで自衛隊が主体として進行されており、その中でも「儀仗隊」なるものが、大きな役割を果たしている。

 儀仗隊とは、旧日本軍においては天皇または要人の途上護衛にかかわっていた軍隊の一部であり、これを現在の自衛隊(儀仗隊)が承継し、旧日本軍の礼式やその性格をそのまま承継している。
 このため、19発の弔砲が発射され、儀仗隊が隊列を組んで入場し「着剣の捧げ銃」の敬礼をしたりしている。

「着剣捧げ銃」「弔砲」に違和感
 どうして、国葬の場にて、大砲(空砲)を19発も撃つ必要があるのか、儀仗兵隊が銃剣を捧げて入場し、黙祷開始と同時に銃を上に掲げる必要があるのか。平和憲法の下で生活している市民たちは、これらの国葬の進行形式には重大な違和感を覚える。

 そもそも、自衛隊の任務は、自衛隊法3条1項により「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、わが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じて公共の秩序の維持に当たるもの」とされている。

 また、「国家行事としての儀式」を挙行すること等は規定されていない。この儀式内容は、自衛隊における礼式(自衛隊法6条)であり、本件国葬を自衛隊における礼式に則って行うことは、上記の自衛隊法の任務外の行為であって許されない。

 自衛隊がこの礼式を行うこと自体が、自衛隊法違反であり、かつ自衛隊の政治的利用として違憲・違法である。

 前記の「国の鎮め」 は軍歌である。この歌詞は「戦争によって死亡しても、國を護った者として靖国神社に祀られる」との意であり、まさに国家神道の賛美の歌である。

 このような軍歌が本件国葬において堂々と演奏されていることに改めて驚かされる。

 つまり、この歌詞は、あの悲惨な日中・太平洋戦争の遂行者を祀っている靖国神社(宗教団体)と自衛隊(国の機関)とは切り離されず、これらが一体となっていることを図らずも明らかにしている。この軍歌の演奏は、憲法20条3項の政教分離にも反する。

 岸田政権は、このようにして、この国がまさに、「新しい戦前」(戦争の準備)の状況にあることを示し、自衛隊や国民に対してこれを意識づけようとしたのである。

 最高裁長官が出席する異常さ
 山田弁護団長は、違憲判断を求められている最高裁長官が国葬に主席している異常さについても次のように指摘した。

 重要なことは、最高裁長官など最高裁裁判官も本件国葬に参列しているという事実である。

 国民の大半が、本件国葬は憲法に違反していると考え、また、安倍元首相を国葬の対象とすること自体に異論があるうえ、さらに前記儀式の内容自体にも疑義があるのに、最高裁の長官が本件国葬に唯々諾々と出席していたことに驚きを禁じ得ない。

 国民の意識と最高裁の意識の乖離に驚くばかりである。下級審たる貴庁の裁判官らが、本件国葬の実施が違憲か合憲か、県知事らが県費まで使用して参加することが違法か合法かの判断につき、果たして中立かつ公平に判断できるかにつき、原告らは多大な疑念を有している。


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