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医学教育と私

初期研修が終わって
3年目になったとき
救急総合診療の後期研修を選択した。

既に医学教育としての道を考えていたので
初期研修の頃にドアを叩いた予備校で
非常勤の講師として始動した頃でもあった。

この当時は
臨床9.5に対して教育0.5

地元北海道で生まれ育って
それまで30年間以上も
北海道を出たことが無かったので
このタイミングを逃すとアカンと思い
5年目で上京した。

医師国家試験予備校の講師になった。
このとき、
臨床0.5に対して教育9.5
(予備校が医学教育かという話は別として)

北海道に戻る理由が出来たので
7年目に元の病院に戻った。
medu4もこの時期に立ち上がったので
解剖生理や後に救急講座で手伝った。

また反転して
臨床9.5と教育0.5

ここからが勝負だった。
医学教育を突き進むには
自分が思っていたよりも大変だった。

原動力になっている言葉 その1

まず、元の病院に戻ってきたとき
ある先輩医師がこう言った。
悪気も無く、決して嫌味でも無い。
本心から出た言葉なのだと思う。

「おかえり。
 やっと、まともな道に戻って来たか」
と。

この先輩医師、
とても良い方だということを
補足しておきたいが、
すごく引っかかる感触がした。

臨床、まともな道。
これまで自分が歩んできた道は、
まともじゃないのか?

自分の原動力になった言葉その1である。


そうこうしているうちに
道内国公立大の
臨床コア科実習を受け入れるようになり
自分の望み通り学生指導を担当できた。

やりたいように
やらせてもらえた。

原動力になっている言葉 その2

病院からの理解と
そして
所属科の理解とサポートと。
とても恵まれた環境だったと思う。

でも、
診療を提供するのが主目的の市中病院においては
まして、地域の救急診療を担う病院だからこそ
余計に「臨床ならぬもの」が異物と見なされた。

自分の介入が医学生の成長に寄与すると思うと
自然と楽しくなってしまい、
その姿が異質に見えてしまったのだろう。

「あいつは診療もしないで
 医局で学生と楽しく雑談ばかりしている」

という後ろ指を刺されるような思いを何度かした。

この本人にも届くような一部の声は
自分の原動力になった言葉その2である。


幸い、多くの理解者・協力者がいて
複数年の実習担当の指導医をまっとうできた。
実習を経験した医学生たちも応援してくれて
毎年、定員を満たすまでになった。

真剣に取り組めば取り組むほど
遊んでいるように見られることもあった。
教育のアウトカムは短期では現れないので
その価値をずっと探し続けていた。
が、結局、見つけられなかった。


原動力になっている言葉 その3

このとき、
ある医学生から、こんな声がけがあった。

「先生、(臨床が)忙しいのに
 こんな(学生実習に)時間を割いてくれて
 本当にスミマセン」

この言葉は本当にショックだった。
後になってジワジワと効いてきた。

自分の原動力になった言葉その3である。

その1もその2、そしてその3も
共通しているのが、
臨床と教育との位置関係であった。

どう考えても
臨床>>>>>>>>>>>>>>>>教育
という力関係しか思い浮かばなかった。

もちろん、
患者の診療が市中病院の主な機能なので
そこで教育を主軸として謳うのは
かなり異端だということは
十分に理解して承知していることではある。

でも、
それにしても
自分が真剣に取り組んでいることが
こんなにも価値が乏しいものだと思うと
本当に悲しくなってしまった。

悲しくなった割に続けているのは
もはや熱なのか意地なのか
それともライフワークだからなのか
よく分からなくなっているが、
今でも抱えている悩みの一つだ。


本当は、
臨床5、教育5くらいを希望していた。
(本音を言えば、臨床2-3、教育7-8が理想だが)

でも、一部の目線が気になって
臨床10(週40時間)、教育5の割合になった。
5の教育のために
10の臨床を周囲に示す必要があった。

そしてコロナ禍が訪れて
学生実習は一旦、中止になった。

原動力になっている言葉 その4

ここ5年間くらい
医学教育の価値について
悩み、考え、あがきながら
歩みを進めてきたように思える。

似たような問題としては
無給医にも当てはまる。

仮に大学で教員として働いても
犠牲が大き過ぎるので
自分は選択肢に入れなかった。

その「価値」は本当に妥当なのか。
価値というのは
その対価となるお金だけを指すものではない。

ただ、
市中病院においては
臨床ではない何かに
臨床と同じ対価を払っても良いのか?
という問いがつきまとう。

それが不採算部門としてでも採用するのか、
それともボランティアとして搾取するのか、
組織である以上、その対応は求められる。


つい最近、ダメ押し的に
その4を浴びた。

「教育の価値を高めたい!」という
自分の志を述べたところ、

「教育に関われているだけで
 自分も学びが多いから
 それで(対価は無くとも)いいじゃないか!」

みたいな論調を喰らった。

もう何年も前に
というか
二十年くらい前に
既に得られていた気づきだし
今もなお、
医学教育に関われているからこそ
自分が成長できているのは言うまでもない
ということも自戒しているつもりだ。

でも、
そのやりがいだけで
生きていけるのかという議論をしたく
「価値を高めたい」という主張で訴えたところ
その4が来たから、
これもショックだった。

アマチュアの域は十分に経験したし
プロとしても飯を食べてきた。


予備校講師として
全国配信されるところまで行ったし、
その経験を生かして担当したケアネットの番組も
一時的にではあるが視聴数No.1にまで到達した。

たくさん経験を積んだし、
たくさん社会貢献もした(という自覚)し、
技術を磨くのにも努力をした。
結果も出してきた。

でも、どこかで
「医学教育は聖域だから
 お金をいただくなんて とんでもない」
みたいな不可視の圧力を常に感じる。

良いものを提供したいし、
良い教材を作り続けたいと思う。
ただ、それだけでは
ご飯を食べて生きていくのは苦労が伴う。

ご飯とやりがいを両立できる良い道が無いものか。

可能性の芽

オンライン臨床実習を開発した。
さきほどサラッと記した、
臨床10に対して教育5の時期に作り上げた。

600名という参加者があった。
うち480名には
正式に2週間分の単位として認められた。

緊急事態なので、
その価値云々は言ってられないので
ほぼ無償に近い状態で
(さすがにタダではなかったが)
コンテンツを提供した。

このオンライン臨床実習には
何か未来を感じた。

時間をかけてしっかりと磨けば
将来、多くの人の役立てるコンテンツに
成長できると直感が訴えてくる。

今、続編の要請があったので
多方面に協力を乞うて
水面下で開発を進めている。

せっかく芽生えた良い兆しを
大切に育て上げたいと思った。


「医学教育の価値とは?」と問われると
まだ答えは出せずにいるし、
自分やプロダクトが
相応の価値に見合うところまで
到達していないことも否めない。

まだ、きっと努力や何かが
足りないのだと思う。

でも、
COVID-19の影響で
十分な病院実習の機会を
これから損なわれる可能性がある
将来の医師たちに対して
自分にできることを
地道に着実に積み重ねたいと思うのが
今の自分の精々である。

今手がけている新規開発のコンテンツが
価値を有し存在し続けられるよう、
いろいろな視点や考えを持って
少しずつ前進できたらと思っている。

結び

適切な教育による
成長期間のショートカットは
必ずや現場にも社会貢献にも
有用である
、と頑なに信じている。

それを証明するために
後続への道をつくるために
その5、その6に出くわしても
負けない!

ここまで来るのに
多くの方の理解と協力と応援があった。
それら無しでは、志半ばで
果てていたと思う。

せっかく得たチャンスなので
この可能性に懸けてみたいと強く思った。


今後の進展、どうか温かく
見守っていただけたら幸いです。