見出し画像

Vol.2-2 3カ月オーストラリア留学

Vol2では、オーストラリアに留学に行かれたY.H.さんの体験談をお届けします。この記事は留学について(後半)となります。
留学先での生活・留学後についてが中心となります。


ホームステイ先は

私のおうちはイランの人で、すっごい明るくておしゃべりな人だった。一応おうちにいさせてもらったけど、結構一人の時間が多かったかな。だから気疲れすることなく、一人部屋で課題やりながらお菓子とか食べて。快適でした。

料理はやっぱりイラン系でした。おいしかったです。

一番おいしいと思ったのがケバブです。ケバブといっても、私たちが想像するケバブじゃないの。なんか、なっがい肉の串刺しみたいな。ラムのたたきの肉の棒みたいな。あれがいちばんおいしかった。食には困りませんでした。

あと丁度行った時期が、イランの宗教上年度末と年度初めのちょうどその時期で。すっごい、毎週のようにパーティーしてた。
お正月のパーティーみたいののときは、もう200人くらい集まってたよ。踊り子の人たち呼んで、みんなでイラン料理食べて、めっちゃ盛り上がってました。

食事に関しては、朝ごはんと昼ごはんは自分でやってた。夜はつくってくれました。

お昼は毎日サンドイッチつくってましたんだけど、三カ月も食べると飽きて、最後の二週間とかはもうパンとかポテトとか買って食べてました。

洗濯は自分で、掃除は自分の部屋は自分で。

友達は

ほんとに友達作りをずっと心配してたんですよ。学校についた当時もさー、そういえば自己紹介考えてないとかさ、どうやって友達作ろう。友達の作り方なんも考えてきてなかったと思ってすごい焦ったんだけど。

学校の年度初めだったから、レクとかがあったの。でもその時間が終わってさ、休み時間が始まるわけ。
あぁ、とうとうボッチ時間が始まったと思ったら、自己紹介の時に話した子が話しかけてくれて、一緒に休み時間いっしょに過ごしてくれた。で、話しかけてくれたその子の仲いい友達とよく一緒にご飯とか遊びに行ってたりしてた。

あーよかった。優しい子がいる~😊と思って。

クラスによって、授業受けるメンバー違うの。
4つの授業があって、そのうちの3つの授業にはいつもいる友達たちの誰がしかがいるんだけど、一つの授業だけ誰もいないの。「あーどうしよう。私もうこれひとりだ。とうとう一人だ」と思って、話しかけに行った。
そしたら毎授業一緒に受けてくれて。まじでみんなやさしい。

エージェントは

最初はですね、日本の方でエージェント探してたんですよ。で、普通に見つけて話も進めてんですよね。そしたら、日本の方が運営してるオーストラリアのエージェントを見つけて。

留学エージェントってさ、日本に店舗があってさ、現地では別の会社に委託とかあるじゃん。だから委託とかも含めるとさ、余計に料金かかるんだけど、私の頼んだとこは、委託されてる側のとこだったから。すっごい値段違った。びっくりした。

最初、別のエージェントだったら、「留学、130万くらいしますね。」って。で、「タスマニアだったら80、90万でいけますよ」。タスマニアかー、タスマニアはちょっと、と思ってたんだけ、オーストラリアの方にしたら「90万で南オーストラリア行けますよ」って言われて。

でもね、あっちで経営してる分、日本でのサポートはないの。日本のエージェントだったらさ、同じ地域に行く人で集まって、会社の人がサポートとして一緒に渡航したりするじゃん。「皆さんパスポート持ちましたかー」みたいに乗り換えの時とか案内してくれるわけ。

でもそれが無くて、初海外なのに、しかもトランジットあるのに。まじ緊張したけど、がんばりました。

留学とは関係ない話になっちゃうけど、日本のエージェントを使うと、渡航とかで便利だったりするけど、相手国にあるエージェントを使うと、渡航は自分でやんない感じになるから。

値段とサポート内容はよく吟味したらいいと思います。

成長や変化は

英語力ちょっと上がればいいなっていうのと、海外を感じてこようって感じだったから、まあ目的は達成できた。まぁでも英語力に関しては3か月しか行ってないから、リスニング能力があがって、ちょっとだけ喋れるようになったくらいですかね。やっぱりしゃべるのはまだまだ。

現地に行ってる間は、あんまり伸びを実感しなかったけど、帰ってきたら「なんか前よりちょっと喋れてるじゃん!」、「前よりましになった」って感じた。でも、ペラペラではないかな。易しい英語しゃべってくれるネイティブの先生とは難なく話せるけど、ほんとの現地の人と話すってなると微妙だな。

英語の発音とかはなんかいつの間にかついてた!みたいなとこあった。Noの発音が気づかないうちにNahになっててアメリカのALTの先生にめっちゃ笑われたもん。向こうでめっちゃNahを聞いたってことだろうね。

オーストラリア英語は

普通でしたよ。困ることは特に。

アメリカ英語学んでて、イギリス英語だとさ、結構違うから難しいなってこともあるかもしれないけど、全然オーストラリア英語は中間みたいな感じで両方学べると思う。

なんなら日本人的には、発音しやすくてありがたいかなって思う。

Can’tの発音がカントなの。すっごいありがたくて。

アメリカ英語だとCanと、Can’tの発音一緒でしょ。発音の聞き分けどうしたらいいんだろう私と思ってたら、みんなカントっていうから、聞き取りやすいし言いやすい!助かる。

日本に帰国して

3か月なので、そんなに影響しなかったかな。数学の単元何個か逃したけど 。まぁ、すぐ追いつける程度でした。

一番楽しかった思い出は

誕生日。友達がサプライズでケーキ作れてくれたの。超うれしいと思って。

帰国日の近くに誕生日があって、友達に誕生日があるんだーとは言ってたけど、言っちゃえば所詮3カ月の仲じゃないですか。かなり仲良くても、軽くもの「はい」って渡すくらいかなって思ってたら、3人でケーキ作ってくれたみたい。「あーうれしい」と思って。ほんとうに超うれしかった。感動的だった。

一番のトラブルは

全く英語とか関係ないんですけど。一人でお留守番してたんですよ。お家で。

お洗濯しようと思って、2階にちっちゃいバルコニーみたいなのがあって、そこで洗濯物干してたんですよ。バルコニーに出るときにドアがあるんだけど、そのドアを外に出たときに閉めちゃって、内鍵がかかっちゃったんですよ。鍵とか持ってなかったから「戻れない!」どうしようと思って。お洗濯ものするだけだから、当然スマホ持ってなくてれんらくもできなくて。だからめっちゃ考えたの。とりあえず、外叫んだの「Help me」って。でも、住宅街、閑静な住宅街ですから、だれも通らないんですよ。

で、玄関のドアが開いてたの思い出したから、これはもう2階から1階降りて、入ればいいのか。とか思ったんだけど、おうちの背が高いのよ。降りようか何度も試そうとしたけど危険だからやっぱやめて。

そういえば、ホストファミリーが一時間で戻るって言ってたのを思い出して、もういっそのことお洗濯とともに干されようとおもってあきらめたの。

そしたら目の前を青年が通ってさ。めっちゃ声かけて、そのドアの鍵、開けてもらったの。

結局ホストファミリーが帰ってくるの三時間後とかだったから。あー、良かった。開けてもらってと思って。

時計もなかったから、外にどれくらいいたのかわからないけど、体感的にはめっちゃ長かった。だからほんとに一番のトラブルです。

留学を総括して

楽しかった。
楽だった生活が。日本に帰ってきて、忙しいな、勉強ばっかりだなって。

だって毎日さ、3時に帰れた生活だよ。もう小学校だよ。
なんなら火曜日とは午前で授業終わる。クラブはなかったし、みんなマジすぐ家帰る。

そんな生活を3カ月続けたらさ、日本がもう忙しいな、学校つらいなってなる

アドバイスは

もっと遊びに行けばよかった。

私の心の中で無理しないって決めてたの。あんまり無理して体調崩したくないなって。

忙しくしなくても、土日お布団にこもる生活でもいいんじゃないかな。ってそんな感じの心持でいたの。そしたら、最後の1カ月くらいになって、そういえばどこも旅行行ってないじゃんとおもって、めっちゃ遊び行った。

ビーチ3か所とか、動物園とか、アスレチックの公園とか、カフェとか、ショッピングモールとか。でもまだいけてないとこあって少し後悔って感じ。心身共に元気ならゆったりせずアクティブに動くことをお勧めします。

あと別の話になるけど、学校の最終日に別の留学生が白T持ってさ、みんなの名前をもらいに行ってたの。あと、みんな先生と写真撮っててさ。あー、それやればよかったーと思った。

第三弾はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?