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難民を知り、支援を深掘り!〜世界難民の日企画イベントレポート①〜

こんにちは!国際協力サロンのMakoです!

6月20日は、世界難民の日でした。今年も昨年に引き続きパンデミック真っ只中でしたが、オンラインでたくさんのイベントがありましたね。

私たち国際協力サロンでも、難民に関心のある有志10人強でイベントを企画しました。「難民を自分ごとに」をテーマに、4月頃から徐々に準備を始めて、難民の日までに計4回のイベントを企画しました。

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この記事では第1回の「入管法勉強会」第4回の「ゲスト、クルド人難民Mさんを支援する会事務局の周さんをお迎えした会」について書きますのでぜひ読んでいってください〜!


第1回 入管法勉強会


5月30日に、サロンメンバーの1人である@Yuki くんによる入管法勉強会がありました。イベント直前に見送りが決定になった入会方改正案とは実際どんな法案だったのか、プレゼン形式で詳しく説明してくださいました!ポイントとしては、スリランカ女性のウィシュマさんが名古屋入管で亡くなったにも関わらずその解明が十分にされていない(情報が十分に開示されていない)ことが大きく見送りに響いたとのことでした。


勉強会の要点をまとめると、

難民とは?

人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見によって迫害をうけ故郷から逃れた人


世界の難民状況(UNHCR 2020)

過去最大の8000万人以上が故郷を追われている
国を超えて難民となった状況を国別に見るとシリア、ベネズエラ、アフガニスタン、南スーダンの順に多い。


日本の難民状況(JAR 2020)

日本で難民認定までたどり着ける人はごく僅か。2019年のデータでは10375人のうち44人のみが認定された(0.4%)。

諸外国と認定率を比べた場合、カナダが55.7%、イギリスが46.2%、米国ドイツが約30%と日本の0.4%と比べ物にならないくらい高い。


難民申請者の出身国は日本ではスリランカ(1530人)、トルコ(1331人)、カンボジアの順に多い(世界では、シリア、コンゴ民主共和国、ベネズエラ)。

スリランカの人の難民認定率は、2019年、カナダで74.7%、イギリスで43.1%である。一方、日本では1530人中1人のみで0.07%しか認定されていない。トルコの人は、2019年、カナダで97.5%、イギリスで72.5%である。一方日本では1331人中0人で誰も認められなかった。

また難民認定を申請しても初めの8ヶ月は就労不可で、その後も6ヶ月ごとに更新が必要な不安定なビザしか与えられない。常に難民認定がされなかった場合の収容の恐怖がつきまとう。


入管法改正案

2019年6月大村収容所で、3年7ヶ月にわたり、長期収容されていた40代男性のナイジェリア人サニーさん餓死事件が起こる。餓死の原因としてハンガーストライキか長期収容によるストレスでの拒食があげられる。4回の仮放免申請も窃盗の犯罪歴のせいで許可されなかった。


入管の管理方法に問題があるのでは?

2019年10月「収容・送還に関する専門部会」発足(専門家を集めて入管の今後の体制を議論する場)

2020年7月専門部会提言を法相へ提出
・送還忌避罪
・難民送還停止一部例外規定導入
・在特の活用
・入管拒否期間の短縮
・処遇の改善

2020年10月国連恣意的拘束に関する作業部会の報告書にて日本の入管収容のあり方(長期の収容実態・制度として無期限収容であること・司法審査の欠如)は恣意的拘束に当たると告発された。

2021年2月18日 野党案提出、
2月19日 内閣法案(政府案) 閣議決定
※閣議決定というのは、国会でこの法案を審議することを内閣で決定したという意味です。決定すると衆院の法務委員会に送られ、審議が始まります。

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その後はブレイクアウトルームにて、各々で日本の入管に対しての議論等を行いました。どのグループも勉強会で学んだことについてアウトプットしたり、日頃から関心のあることについての意見の交換等を行い素晴らしい会になりました。


当日の録画はサロンメンバー限定でYouTubeで視聴可能なので見逃した方はぜひ。また後日サロンメンバーが共有してくれた記事もこちらで紹介します。


日本の難民認定率に関して、なぜ低いのか?というポイントをJARさんが丁寧にまとめている記事

「入管職員側の目線が見えていない」というポイントに関する記事


第4回 ゲスト講演会


難民の日前日の6月19日には、クルド人Mさんを支援する会 事務局の周 香織さんをお招きして、「難民問題をもっと自分ごとに置き換えよう!」をテーマにお話ししていただきました。

周さんは2011年からトルコから来たクルド人難民のMさんという男性を支援するための会をつくり、日本で安心して暮らせるよう在留特別許可を得るために活動されています。

周さんが、難民支援に関わるようになったきっかけから、入管法改正案まで、多岐にわたるトピックを私たちの目線に落とし込んでお話しいただきました!ここからは周さんがお話しされたことを要約させていただきます。


・周さんが難民に初めて出会ったエピソード

もともと海外のことは自分と遠いことだと考えていたが、2004年夏の猛暑に青山の国連大学前を通りすがった際、クルド人が難民認定を求めて行っていた座り込み活動を見かける。その際に2歳と5歳の子どもが水や食料が不十分な中でその活動に参加していることに衝撃を受けた。近所で起こっている事実を見てみぬふりをすることはいけないことではないかと感じ、とにかく活動に参加してみた。そこで日本語を流暢に話し日本の学校に通うクルド人難民の存在や年頃の子供たちが散水用の水で食器等を洗う姿に驚きを受けながら、トルコで迫害されているクルド人の実態を知り、応援するためにも、おにぎりなどの差し入れを持って座り込み活動に参加した。

座り込み活動の理由:国連大学の建物の中には難民高等弁務官事務所(UNHCR)も入っており、国連の難民条約(※)に批准している日本が、これまで1人もクルド人を受け入れていない事実は、条約に反しているとして、UNHCRによる日本政府の指導を求めていた。また難民認定が困難な場合には第三国への出国(※)を支援するよう要請していた。

補足: 外務省「国内における難民の受け入れ」令和2年

しかしながら、おにぎりを握っているだけでは、この人たちを長期的な目線で助けることはできないと気付き、設立されたクルド人二家族の支援の会のホームページを担当したり、署名活動に参加したりと、72日間に渡った座り込みに積極的に関わった。

ついに、UNHCRからのマンデート難民認定を勝ち取り、さらに6万筆の署名を集め法務省に提出したにも関わらず、日本政府は彼らを難民と認定しなかったどころか仮放免許可を取り消し、家族の中の数人を収容所に戻し、さらには強制送還を執行した。(難民支援協会による当時の事件まとめ

残された家族にも強制送還の恐れがあったが、世論の高まりにより、UNHCRが安全に暮らせる出国先を探し、結果的にニュージーランドに受け入れられた(国として受け入れを行ったNZは4LDKほどの住居も支給)。またもう一方の家族もカナダに受け入れられた。

この出来事をきっかけに、入管や国が決定したことでも、市民の力で変えることができることを実感し、現在まで約20年間に渡り、難民支援に携わっている。


・クルド人Mさんとの出会い

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日本とトルコは友好国であるため、ビザ免除協定が結ばれている。そのため、トルコから日本に
入国するために事前にビザ(査証)を取る必要が無く、航空券とパスポートさえあれば来日した際、
空港で短期滞在の資格を得て入国することが原則可能である。そのため、多くのクルド人が迫害を逃れて日本に来日している。

Mさんとその家族も、そういった事情を抱えて日本にやってきた。しかし、日本はトルコから来たクルド人難民に極めて冷たい対応を取っており、難民申請を行っても難民として認定された人は未だかつて一人もいなかった。Mさん一家も何度も難民不認定の結果を告げられたが、国に帰れば命の危険があるため、難民申請を繰り返しながら日本にとどまっていた。しかし東日本大地震をきっかけにMさん以外の家族は難民申請を取り下げ帰国。

というのも、難民申請中は、仕事もできず都道府県を跨いだ移動もできない上に、病院などにかかる費用の補助は全く受けられないため、原発による影響に不安を覚えたから。その後、労働をしていたMさんが摘発され、収容されてしまった(2017年)。

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たくさんの病気を抱えているMさんの健康面を心配して行った新聞社やラジオへの働きかけや署名活動が功を奏し、Mさんは仮放免許可を受けたが、4ヶ月の収容生活で6kg体重が減り、また解放後も拘禁症状が残った。現在もまだ難民認定されていないMさんは家族と離れ離れで日本で暮らしており、周さんを中心とした団体で支援が続いている。


・なぜ多くの避難民が収容されていた?

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つまり平和の祭典であるはずのオリンピックにむけて、政府は仮放免者も含む不法滞在者をなるべく多く日本から出国させることを緊迫した課題と認識していたということである。


・デニズさんとの出会い

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※デニズさんに関する記事と動画
外国人たちの絶望、死と隣り合わせの現実
入管収容者抑圧の映像公開「痛い」と叫ぶクルド人

つまりデニズさんは、集団暴行を受けた後、仮放免を求めてハンガーストライキを行ったが、入管はデニズさんの心を挫くために、2週間だけ仮放免して、また元の牛久入管に戻す、という精神的な追い詰めを二度にわたって行った。これらのデニズさんに対する日本の入管の対応は国連の恣意的拘禁作業部会から違反であると喚起を受けている。この現状を知ってもらうために、写真展や企画展を開催し、動画の公開などを行った。

・長期収容に対応するための法改正?

ここから、日本の入管法改正案について。(入会法改正案については、Yukiくんが上手に解説してくれたので、サロンメンバー限定公開の動画視聴推奨/現行の日本の難民制度については過去のnote参照推奨)

信号無視やスピード違反レベルであった「滞在許可なく日本にいること」が、刑事罰レベルになるという法案であった。クルド人Mさんを支援する会として、与党案と野党案の違いについてラジオで説明・オンライントークイベントへの出演・写真展の開催など、法案改正を止めるためにさまざまな取り組みを行った。そのおかげもあり、世論が高まりを見せ、法案改正を止めることができた。



・難民とともに生きるには

迫害されて逃げてきた人に対して私たちができることについて考え直したい。そもそも難民とは養わなければならないものであるという先入観があるが、実際彼らは土木作業など日本人が好まない仕事を主に難民が引き受けており、難民によって仕事を奪われると言う認識は適切ではない。特に少子高齢化の今、日本は労働人口を必要としているのが事実である。また治安が悪化するという認識についても、クルド人街である川口では2004年の400人から2019年は1500-2000人とクルド人の数が約5倍に増えたが犯罪は増加していない。これらは「不法滞在者」という言葉などによるステレオタイプであり、事実ではない。もともとの出身国で迫害を受けた彼らが日本でもまた困難な状況の中にいることを知った私たちはどのような共生社会を作っていくべきだろうか?

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以上のように、周さんにご講演をいただきました。見逃してしまったサロンメンバーの方はぜひ録画をご視聴ください。ここでまとめた以上のことを得られるかと思います。

また後日、お話に出てきたデニズさんとMさんを交えて、当事者の方から日本の入管の現状や難民の方の状況を伺う機会を設けました。彼らの安全面を配慮し、録画はなし、かつ内部のみのお話にとどまったため、ここに詳細を記載することはできませんが、私たちが難民の方とともに生きていく社会を作るためにひとりひとりが何をするべきなのか考える貴重や機会になりました。

この場をお借りして、御礼申し上げます。

【クルド難民Mさんを支援する会】
ブログ  ▲ツイッター  ▲YouTube


企画に関わったメンバーの感想


「今回、企画に携わらせて頂き、1つのテーマで何かを発信する楽しさや難しさ、やりがいを感じることができました。共に実践頂いた仲間との繋がりは今後も大事にしたいです。

私はゲストトークに関連するブログ記事のシェアを担当しました。法律の話と現場の話は両方カバーする事、最後の4回目の記事だけ先に決めたことなど、シェア記事の内容や順序とかも考えて、実際に広報する機会も得られました。

得たものは、繋がりと、責任を得て発信できたことへの誇りです。」



この後、パート2の記事に続きますが、このように国際協力サロンでは「まなぶ、つくる、つながる。」を合言葉に国際協力について自主的に勉強会やイベントを企画・実施することもできます。国際協力サロンで一緒に勉強したいという方のご参加、ぜひお待ちしております!


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