絶つのも、希うのも

※ルードヴィヒの軽いネタバレがあります。
※舞台の感想というよりは超個人的な解釈です。


  私の好きなバンドひとつに、くるりという京都出身の二人組がいます。今年で25年以上活動しているベテランの域に達してるバンド。曲も数え切れないくらい発表していて、好きな曲はたくさんあるんですが、そのうちのひとつにワールズエンド・スーパーノヴァという曲があります。

 メロディも歌詞もとても気に入っていて、人生で何回聞いたかわかりません。この歌詞で特に印象に残っている箇所があります。

"絶望の果てに 希望を見つけたろう
同じ望みなら ここでかなえよう
僕はここにいる 心は消さない“

  この歌詞の意味をうっすらとしか理解できていなかったんですが、今回ルードヴィヒを観劇した時に、なぜか自分の中でこの歌詞がぴたりと一致する場面がありました。

  ルードヴィヒが全てに絶望してしまい何もかも投げ出そうとした時、自分の中に音楽が鳴っていることに気づいて、音楽家として再び生きていこうとする場面。そのルードヴィヒの姿に先ほどの歌詞が重なりました。

  音楽がやりたいという魂を焼いてしまいそうなぐらいの強い望み。それは聴力が失われていくことで少しずつ削られていく。けれどその望みを絶とうとしてのは、他ならぬルードヴィヒ自身だったんじゃないかと思います。周囲は彼の音楽を止めようとしていない。ただ彼自身が以前のように音楽と向き合えないことに苦しみ悩んで、その結果音楽への望みを自ら絶とうとした。

 削って逃げて捨てようとして。もがいてあがいて泣いて。けれど、どれだけ自分の中から消し去ろうとしても、ルードヴィヒ自身から音楽がやりたいという望みがなくなることはなかった。果てまでたどり着いた時に、音楽がやりたいという望みをルードヴィヒは再び希うようになった。

  望みを絶つのも希うのも、自分自身にしかできない。絶望も希望も自分の心の中にしかない。同じ望みならば、消せることができないのならば、叶えるしかない。音楽を止めることができないのならば、作り続けていくしかない。

  自分自身の音楽をやりたいという望みと向き合い、逃げることをやめたルードヴィヒは再び素晴らしい曲を生み出していく。その姿はあまりに人間として力強く、そして美しい。だからこそ彼が作った曲はどれだけの時を経ても、私たちの耳を喜ばせ胸を震わせていくんだと思いました。その後に彼が辿る悲しい運命も人間のままならなさを感じさせてくれて嫌いにはなれませんでした。

  舞台の感想というよりは極々個人的な解釈です。でも自分の中に流れていた曲の一部が、同じように音楽を題材にした舞台を見ることで、奇妙に符合したことがなんだか少しだけ楽しくてほんのりあたたかい気持ちになりました。

 その感覚を忘れたくなくてこうしてとりとめのない文章を書いてました。最初は独りよがりすぎたかなと思っていたんですが、素敵だったよとの言葉をいただけたので、恥ずかしながら再び表に出してしまいました。読んでくだりありがとうございました!最後まで素晴らしい音楽が途切れることなく、無事に舞台の幕が下りますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?