見出し画像

ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』を考えるにあたり

今、私はヘンリー・ジェイムズの『デイジー・ミラー』について短い論文のようなものを書いている。いずれ、Noteに載せることになるものである。現時点で6000字に到達している。ただ、字数にはこだわらないつもりである。書きたいことが書けたらそこで終わりにする。
テーマは「デイジーの死と米国人女性の描かれ方」の予定である。書いていくうちにゴールは変えるかもしれないが。
全文をここに投稿する前に、今決まっている論点だけ先に書くことにする。

①デイジー像:ヒロインである彼女はどのような人間か。本人の言動や、他人からの評価により考察する。また、彼女の死は何によってもたらされたのか、それは何を意味するのかを検討する。
②ミラー夫人像:ヒロインの母である彼女はどのような人間か。本人の言動や、他人からの評価により考察する。
③コステロ夫人像:主人公ウィンターボーンの伯母である彼女はどのような人間か。本人の言動や、他人からの評価により考察する。
④ウォーカー夫人像:ミラー家ともウィンターボーンともかかわりのある彼女はどのような人間か。本人の言動や、他人からの評価により考察する。
⑤米国人女性の描かれ方:以上を総合的に考え、また、他の記述も考慮し、本作における米国人女性の描かれ方を検討する。4人に共通したものは何なのか。なければそれは何を意味するのか。
※迷っているもの:〈場所〉について章立てするかどうか。ヴェヴェとローマそれぞれは主にデイジーにとってどのような場所なのか。これを書いたとしてゴールにどう影響が出るかも考えつつ、検討したい。

いいなと思ったら応援しよう!