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国語便覧の使い方がむずかしい

「国語便覧」って、2024年現在も使ってますかね?

もうiPadでデジタル化してるんでしょうか?


国語便覧の思い出


こんにちは、元国語教員、現ライターの国語の庭です。

先日、断捨離をしまして。

ずっと目を背けてきた本棚も、そろそろ整理しないとな、と思い、そこでふと目についたのが「国語便覧」でした。

高校生のときに指定図書として買ったもので、なかなか捨てられず、引っ越しのたびになんだかんだで一緒に移動してきた便覧。

なんとなく持ってる、って感じです。

熟読したことはなくて。

でもよく考えてみると、学生時代も教員時代も、国語便覧の出番ってあんまりなかったような。

「羅生門」とかやるときに作者について調べるとか、百人一首を覚えるとか、そのくらいでしたかね。

当然のように副教材リストに入れてあって、買うのが当然、みたいな雰囲気がある便覧。(私だけかもしれませんが)

あの厚み。

情報量がすごいのに、使いこなせてない感じが否めません。

なんだかもったいない。

国語便覧、どう使えばよかったんだろう?

今回は、教師側として、授業でどんなふうに便覧を使えるかな、と、そんなことを考えてみました。

なんで便覧を使わないのか

「めっちゃ使いますよ、便覧!」って方は、すみません。

私はなかなか便覧、使いこなせなかった側の人間なんです。

で、そもそもなんですが、国語便覧を授業で使わない理由って何だろうと思って、いくつか挙げてみました。

(以下いろいろ書いていますが、決してアンチではありません!個人的には便覧眺めるの好きですよ!)

①重たい

授業で便覧を使わない理由1つ目は、重たいから。

便覧って、かなりの情報量があるので重たいんですよね。

国語の授業だけならまだしも、毎日他にもいろんな教科がありますから、家から学校に持って来てもらう申し訳なさ、みたいなものがあります…。

物理的に、扱うのが大変という感じですかね。

②忘れる

授業で便覧を使わない理由2つ目。

①の「重たい」とも関連するかもしれません。

学生が持ってくるのを高確率で忘れちゃうんです。

教科書のように毎日絶対に使うものでもない、ましてや重い、となると、学生の立場からしたら、重いから持って行くのやめよう、誰かに見せてもらおう、って思っちゃう気持ちも、わからなくもない…。

教員側からしたら、忘れられることを考えて予備を準備しといた方がいいかな、とか、該当ページをコピーしておいた方がいいかな、なんて考えることが増えちゃう一因にもなります。

それなら使うのやめておこうかしら、ってなっちゃうんですよね。

③活用の幅が狭い

国語の教材のド定番といえば、教科書、ワーク。

便覧は、副教材になりますよね。

使用頻度順に並べると、こんな感じでしょうか?

教科書>ワーク>>>便覧

圧倒的に、便覧を使う活動って少なくないですか?

1時間まるまる便覧を使う活動、私はやったことがないです。

便覧をメインで使います、って全然なくて。

で、「①重い」「②忘れる」もあいまって、どんどん使わなくなる流れができあがっていっちゃうんです。

④タブレットで十分

1人1台ずつタブレットがある時代です。

教科書だって、タブレットに入っているんじゃないかなと思います。

もしかしたら便覧も入ってたりしますかね?

でも、わざわざ便覧から情報を探さなくても、ネットにつなげば必要な情報がパパッと取り出せちゃう時代。

ネット検索のあるタブレットの方が、早いし効率的かもしれません。

⑤内容が端的すぎる、かつマニアック

これはすごく個人的な意見です。

便覧って、すごく情報量が多いんですけど、多い中でも情報が取捨選択してあるんです。

作家のページとかを見ると、うまい具合に見開きとか半ページできれいにレイアウトされていますよね。

ただ、それにうーん、と思うこともあって。

たとえば、夏目漱石のページでは、「自然主義」って言葉がほぼマストで出てくると思うんですけど、「夏目漱石は自然主義だ」って書かれていて、「え、自然主義って、なに?」って、なっちゃうんですよね。

当たり前のように出てくる言葉に、説明がほしいよね、って思っちゃって。

端的にまとまっているが故の弱点、なのかもしれません。

便覧を読めば読むほど「この言葉って何??」が浮かんできちゃいます。

特に学生たちに読ませるとそんな感じです。(そこを教員が補完するべきだ、とも思われるでしょうが、時間の制約もあって全部に対してはなかなか難しいです)

読んでみたけどよくわからない、とりあえずテストに出そうだから言葉だけ暗記しておこうか、みたいな使い方になってしまっていたような気がして、うまく使いこなせず…。

どう使う?考えてみた

何度でも書きますが、決して便覧を否定したいわけではありません。

教員時代、うまく活用できなかったから、どうすればよかったんだろうという自制のつもりでこの記事を書いています…!

ここからは、どう使おうか、便覧。ってお話です。

せっかくなら、重いものを持ってきてよかった、ってなる活動がしたいですよね。

「目次」を眺める時間を作る

そもそも、いろいろたくさん載ってるのが便覧なんですが、「いったい何が載っているのか」は意外と知らなかったりします。

私もその1人で、大人になってパラパラめくってやっと「え、こんなことも書いてあるの?!」と驚きました。

たとえば、夏休みの読書感想文の書き方とか、原稿用紙の使い方、小論文のノウハウ、古典文法も載ってたりします。

だから、便覧っていったい何者なの?何が載ってるの?っていう「そもそも」の時間をつくるのはどうでしょうか。

「便覧をながめてみよう」みたいな時間。

目次から、気になるページがどこかワークシートに書かせてみたり、この単語が出てくるのはどのページ?みたいなクイズにしたり。

どちらかというと4月の授業びらき、導入でやりたい活動ですね。

小説読了後に、作者についてまとめる

夏目漱石とか、芥川龍之介とか、教科書に載っている作品を読んだ後に、便覧の該当箇所を読む。

私の場合は、小説などを読む前に作者の説明をすることが多かったのですが、そこは最小限にとどめて、単元が終わった後に、詳しく作家のことを便覧で見てみる、というのはどうでしょうか。

小説の内容が頭に入った後なので、作家への印象としてはそっちの方がなじみやすくなるような気がします。

やっぱりむずかしい

便覧を使う活動、考えてみましたがやっぱり難しいなぁと思いました。

1つ言えるのは、「絶対やらなきゃいけない授業」の「プラスアルファ」が便覧なのかなぁ、ということ。

余裕がないと、便覧を活用した授業ってなかなかできないような気がします。

普段の授業がカツカツだと、なかなか便覧まで手が回らない…。

便覧の活用についてはまだまだ消化不良なので、もう少し考えて、増やせそうだったら追加してみたいと思います。



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