見出し画像

Kokugo_Note 高2現代文B・国語表現 #52


 夏目漱石『こころ 下:先生と遺書』
教科書 明治書院より掲載している内容を読解していきます。
 
 Kからお嬢さんへの恋心を打ち明けられた「私」は激しく動揺し、自分自身の見積りの甘さを悔いるとともに、もやもやした気持ちを抱えながら日々を過ごす。
 ある日、大学の図書館で調べ物をしていたらKがやってきて、話があると告げられる。取るもの手につかず、調べ物も中断して館外に出る「私」であった。
 Kは果断に富んだ性格をしており、強情と我慢を兼ね備えた人物であるのは、養家事件(医師の家に養子に出され、医学を学ぶように送り出されたにもかかわらず、哲学や宗教のみを研究し、そのことを正直に養家と実家に告げ、勘当された事件のこと)でも明らかであった。
 自分で決めたことを独りでどんどん進めていく性格のKが、「私」に相談を持ちかけるなど考えられないことであってので、「私」は何かそれ以上の打ち明け話があるのでは?と戦々恐々としてしまう。
 ※ お嬢さんに既に告白したとか、奥さんに直談判してお見合いを進めたとか、パトロンを見つけたので別居してお嬢さんを迎えるとか、、きっとあれこれ「私」の脳裏をよぎっていたのだろうと推測されます。

 ところが、「実際面の方向には進んでおらず」、つまり、Kは具体的な行動に移しておらず、身動きのできない状況で葛藤していることが判る。「今の自分を批判してくれ」とお願いされる「私」は、「なぜ必要なのか」
を反問すると、「進んで良いか退いて良いか、それに迷うのだ」と苦悩に満ちたKが答える。

 Kは「道のためにすべてを犠牲にするのが第一信条」としてきたにもかかわらず、「迷っている自分」(恋心を排除できない自分、決断できない自分)が「恥ずかしい」らしかった。
 ※ ここは現代人では解りにくい感覚で、なぜ0か100かの2択しかないのだろうと訝しむ生徒も多かった。
 寄り道を許さない拘束力はどこから来ているのか?ひとつの雑念も持たないことで「人間らしい」(「私」はこの言葉を用いてKをかつて非難した)生き方と言えるのか?弱い自分を受け入れてこそ強い自分になれるのではないか?恋をすること、誰かを好きになることが恥ずかしい訳がない!などなどの意見が聞かれた。ごもっともだと思います。
 しかし、明治という時代においては、「男女、七歳にして席を同じうせず」(『礼記』)という考え方から解放されつつあるものの、目には見えないが越えられない境界線があったのだろうという前提で物語を読み進めてもらいたい。

 お嬢さんを好きな「私」にとっては、Kは親友であろうと恋敵であるので、利己心に支配された「私」は、一本気なKの矛盾を突いて、恋の行手を遮ってやろうと画策する。
 以前、恋愛の素晴らしさを説いた「私」を侮蔑するように放ったKの言葉、「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」をそっくり、同じ口調で投げつけるのであった。自家撞着に陥ったKがその言葉に苦しむのを見て、「私」は再び残酷にもその言葉を繰り返す。
 すると、「僕は馬鹿だ」と認めるK。「私」は居直り強盗のようにKを認めて、ぎょっとする。

 翌日、Kからもうその話は止めよう、止めてくれ、と依頼される「私」。「私」はもう一押し必要だと感じて、口先だけで止めても仕方がない。心から止める覚悟はあるのか?と念を押すと、Kは「夢の中のような言葉で」覚悟?覚悟ならないこともない、、、と呟く。

 「私」はKに完全なる勝利を確信し、安心して床に就いた。ところが、その晩、Kの部屋との襖(ふすま)が少し開いて、「私」を呼ぶ声がする。寝惚けている「私」は黒い影法師のようなKを見て、何か用かと尋ねると、落ち着いた声で、まだ起きているのかと思って声をかけただけだ、と言う。2人はそのまま、眠りに落ちる。

 翌朝、「私」は昨晩、何か用があったのか、と尋ねると、Kは「近頃はよく眠れるのか」と思ったらだけだと答える。何かおかしいと考えた「私」は、あの話(お嬢さんのこと)のことか?と疑問を投げかけると、「その話はやめようと言ったではないか」と苛立ちを見せる。
 昨晩の落ち着いた様子、今朝の「私」に心の内を見せない態度などを勘案して、「私」は「覚悟」の意味を履き違えていたのではないかと、急な不安に陥る。
 当初は、お嬢さんへの恋を諦めて、道のために精進する覚悟だと捉えていた。ところが、通常、失恋した時に見られる空虚感や元気のなさなどが窺えず、むしろ落ち着いて何かを心に決めているように見える。
 「私」は「一切の煩悶、懊悩を一気に解決する手段」をKは決めたのではないか、お嬢さんに告白するつもりか、(駆け落ちするつもりではないか)などと、考えるようになる。
 ※ 資産もなく、下宿代も「私」が支出している状態にあるので、優秀な頭脳を持ったKは、例えば、真宗寺のお坊さんとして、または学校の先生としてやっていくことも不可能ではないはずです。

 他の選択肢を考える余裕のなかった「私」は、Kより先に確実にお嬢さんと結婚する方法を考え、仮病を使って、奥さんにお見合い形式で縁談をまとめることに成功した。
 「倫理的に弱点を持っている」「卑怯な」「私」は、その経緯をKに説明できず、良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれ、苦しむことになる。
 その晩の食卓で、「私」は「鉛のような飯を食べた」のだった。
 Kは、「私」がお嬢さんを好きだとは知らず、お見合いで縁談が既にまとまったことも知らず、「私」が自分を出し抜くような卑怯な男だとも知らない。
 奥さんは、Kが娘を好きだとは知らず、「私」が仮病を使ったとも知らず、「私」がKの恋心を無視して、縁談を持ちかけたことも知らず、「私」がKに縁談話を先に話していなかったことも知らない。
 お嬢さんは、Kの気持ちも知らなければ、「私」の卑怯な行いも知らない、「私」とKのやりとりも知らない。
 「私」だけがそれら「すべてを知っていた」ので、なお良心が痛んだのだ。しかしながら、「正直者」と見られたい「私」は、「世間体」のために、「良心の命令」に従うことができず、自分自身を誤魔化して、自然と物事が解決していくことを願うようになる。

 ある時、奥さんに「なぜKさんに縁談の話を自らしないのか」と咎(とが)められた「私」は、その時の経緯(いきさつ)を尋ねる。Kは「最も落ち着いた驚き」でその話を受け止め、「おめでとうございます。何かお祝いをしたいが、金がないのでできない。式はいつですか?」と尋ねたとのことだった。「私」は自分自身を恥じ、「策略で勝っても人間としては負けたのだ」と自責の念に駆られるが、正々堂々としたKに、すべてを話すことができず、悶々としながら過ごした。そうこうしているうちに、週末の晩、Kは自殺してしまうのだった。

 この前と同じように、Kの部屋との境の襖が開いており、その隙間風に「私」は目を覚ます。前と同じように、「黒い影」が見えないので「おい」と声をかけても返事がない。起き上がって、ランプの灯りで見たのは血飛沫だった。「ああ、しまった」とまた思うことになった。
 ※ 1度目はKにお嬢さんが好きだと打ち明けられた時に「ああ、しまった」と後悔してしまう。その後、私は奥さん経由で、お嬢さんに告白して、その後悔を打ち消すことになる。
 2度目の「ああ、しまった」は、後々の述懐を踏まえると「先を越された」に繋がっていく。Kが自死したことで、「私」は良心の呵責から逃れることができず、卑怯な自分自身を「片付ける」(*漱石の小説ではこの表現が頻出する)ために、やはり「私」も後をおうことになる。ここは伏線としてKの遺書の文句、「もっと早く死ぬべきだったのに、なぜ今まで生きていたのだろう」が予言となってしまう。

 この後、私は机の上のKの遺書を手に取り、「私」を非難する言葉がないことにほっとする。
 ※ 通常であれば、応急処置をして、家のものを起こし、医者を呼び、救命に尽力するはずだが、ここでは、今後の「私」の贖罪に繋がる契機として「利己心の発現」が強調される。
 
 と、明治書院の教科書はここまでで終わってしまう。その後は、青空文庫で最後まで読み進めてみた。「私」は酒に溺れたり、病気の奥さんの介護に献身したり、本を読み漁ったりして、「Kの苦悩」から逃れようとするが、伴侶となったお嬢さん=「細君(さいくん)」に真相を明かすことができない苦しみの日々を過ごす。
 社会に出て仕事もせず、Kの命日には欠かさず、お参りに行き、自分の罪を赦してほしいと願うのであった。

 ある日、Kは失恋のために死んだのだと考えていたが、違った考えに辿り着く。今の自分と同じように「孤独(*孤立の方が的確か)」のために死んだのだ、「淋しくってたまらなくなり」死んだのだと気付く。
 「自由と独立と己とにみちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの寂しみを味わなくてはならない」と、「人間の罪」に愕然とする。

 「何にも知らないお嬢さん」は最後まで何も知らされず、「先生の遺書」を読む若い学生の「私」に、明治時代を生きたひとりの人生を伝えて、この物語は終わる。


 漱石は英文学者であるので、キリスト教の文脈を踏まえた表現、例えば、狼と羊、狡猾な「私」と「罪のない」K、などの表現が時折、用いられます。
 「へブル9:22  血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。」という『聖書』のメッセージを踏まえて、罪のない、羊に喩えられたKは頸動脈から血潮を迸(ほとばし)らせて死んでしまいます。
 罪のないKは、(利己心がなければ罪がないのかどうかは議論の余地がありますが)、最初から死ななければならなかった人物だったと考えられます。
 また、「自己本位」の「私」にとっての贖罪が「明治の精神に殉死する」ということで決着を見ることができるのかは、正直なところ、こじつけのように感じました。漱石もそれを意識していたのかどうか解りませんが、「先生の遺書」の中で「あなたにも私が死ぬ理由は解らないでしょう」という表現を残しています。
 急速な西洋化を経たひとつの苛烈な時代の終焉を感じさせる明治天皇の崩御が原因なのか、一等国に成り上がった国の、新しい価値観に満ちた人々の出現に世代交代の潮流を感じ取ったためか、「私」の「寂しさ」について、様々な解釈が許されるのは小説の豊かさとして受け止めたいところです。

 さて、定期考査では、論述問題として次の設問を用意し、いずれかを選択して解答できるようにと伝えました。子どもたちにも1週間前には提示して、自分なりに調べたり、考えたりしてもらうのが目的です。根拠と推論の正確さ、字句の制限を採点基準としています。

 ① 「私」はなぜ「軽蔑される」ことをそれほどひどく恐れるのか?
 * 世の中には軽蔑されても平気な人がたくさんいます。信頼を裏切っても実を取って生き抜く人も多くいます。「私」は過去のどのような経験において「軽蔑」だけは避けたいと考えるようになったのでしょう?

 ②  Kの遺書はなぜ簡潔で抽象的な表現になったのか?
 * 遺書は捨てられるものでもないので、生きた証を伝えて自死することもできたはずです。現に「私」は長編の遺書を認(したため)めています。遺された人に迷惑をかけない表現も、学識の高いKならできたと思われます。なぜ何も語らずKは死んでいったのでしょうか?

 ③  Kは遺書に「お嬢さん」の名前を敢えて避けたのはなぜか?
 * 暮らしの中でお世話になったので「奥さんに世話になった」と書けたのなら、「お嬢さんにも世話になった」と書いても何も問題なかったはずです。それを読んで、失恋のために命を絶ったと考える人はいないでしょう。なぜ避けたと考えられますか?


 さまざまな観点からの解答を期待して、試験問題を作成しました。目下、まとめているところなので、次回に発表できると思います。今回はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?