駄文)かけ算の順序:追記あり

 算数の学校教育について素人なので、肯定も否定も出来る立場ではないのですが、「小中の算数数学のつながり」「日常の動作を数式に翻訳する」「数式は言語である」「具体と抽象」「メタ認知」ということに興味があるので、現時点で考えたことを書いておこうと思います。
 私は算数も数学も教育も専門家と言えるレベルにはありません。学校教育を受けてきた一個人としての考えです。

 色々と意見を見ていましたが、論点として、①採点②指導③出題の3点がありそうです。それぞれに、順序固定が推奨/限定的に可/必要/不要/悪などの立場があるのではないでしょうか。私もそれぞれ書いておきたいと思います。

 私は、第一に、①採点に関しては、不要とする立場です。逆順と呼ばれる式を✕にする採点方法はあまり効果がないのではないかと思っています。
 問題文に順序を固定するような指示があり、式の書き方によって、単位量を確認したいという教員がいるならそれはそれでよいとは思いますが、結局のところ、「順序があっているかどうかを採点の材料にして、わかっていない児童を発見できるのか?」という疑問が残ります。順序があっている式を書いた児童の中で、たまたまあっているだけで単位量などは理解していないという児童は本当にいないのでしょうか。いるのであれば、たまたまあっているだけの児童は、いつどのように見つけるのでしょうか。
 次に思うのは、「順序があっているかどうかを採点の材料にすることで、間違いとされた児童には何を教えたことになるのか?」という疑問です。本当に学習理解度を押し上げられるのでしょうか。
 しかもデメリットのほうが大きそうです。たとえば、抽象的な数の捉え方が出来ていた児童を、順序指導によって混乱させる可能性もありますし、授業で言われたことを守るのが正しい勉強方法であると思わせる可能性もあります。
 順位が高ければ、関門を突破すれば、と思われるような一発勝負の試験でなければ、自分の能力を測るのがテストの目的です。そのため、テストの採点で○をつけるということは、「理解できている」ことを認める・記録する行為であるといえるでしょう。逆に言えば、✕をつけるということは「理解できていない」と教員がマウントを取る行為と紙一重なのです。
 理解できていないのに認められたということがありうる。理解できていないと烙印を押される。このようなことは、できる限り減らしたいものです。そのために、採点方法以外に、単位量が理解できていない児童を見つける方法を考えたいでしょう。

 第二に、②指導においては、限定的に可という立場です。ただし、一番最初の導入で行うのではなく、最終手段ではないでしょうか。
 文章を絵(映像)としてイメージして理解できて、九九が暗記できて、暗算で答えを出せてしまうという児童には、順序固定は不要です。でも、それがまだ難しい児童がいるのも確かでしょう。
 そこで、1つあたりの単位量を文章から探させて、先に立式の欄にメモさせて、次に何倍なのか確認させて、式に書かせていくという作業で、式を完成させる。そうすれば、計算をして答えを出すことが出来る児童もいるでしょう。一歩ずつ進めさせる方法として、順序固定は有効です。
 ただし、絵を描かせて、イメージする力をつけるほうがいいのではないかと個人的には思います。式を立てて計算して答えを出すことは目的ではありません。この点は留意すべきです。
 結局、理解に役立っている指導法なのかは検証されるべきだと思います。それは、よくある問題が解けるようになったのかどうかではない方法で…

第三に、③出題ですが、これについては、素人すぎて下手なことはいえません。複数の数字を入れればいいのではないか、とも思うのですが、わかりません。

 以上、かけ算の順序について思うことを述べました。より多くの児童が、学ぶことの楽しさを知ることができますように。

追記(2023/12/30)

色々と眺めて思ったこと。

日本語の語順が〜という意見について 
 では、なぜ文章題で出てくる数字の順序が逆になっている場合があるのか?

ひとつ分→いくつ分と認識するのが普通という意見について
 確かに、皿の上のみかんや、透明な袋のクッキーなどを想定したり、先に同じ数ずつ準備したことを与えられれば、ひとつ分→いくつ分の順に、数を認識すると言えるだろう。
 しかし、中身の見えない箱の数を先に確認して、中身の数を数えたり、一箱あたりの数を確認したりすれば、いくつ分→ひとつ分の順に、数を認識することも出来る。実際、文章題でこの順番で数字の情報を伝えている場合もある。
 すなわち、総数を知りたい場合の状況にも複数の順序がありうるということである。そのため、少なくとも総数を求めたいときにかけ算の順序を意識することは全く必要ないと思われる。ただし、導入や採点時に用いたいこともあるだろう。この点については、上にすでに述べた。

足し算の項の累加が定義であるとする意見について
 不勉強なので定義がそうであるかどうかはわからない。しかし、定義がそうであったとしても、導入として順序を固定することが有用であるかはわからない。
 私は、抽象的に考えることのほうが大事だと考えているので、いちいち足し算の累加に戻る必要があるのだろうか?と考えてしまう。

「式を読み取る」について
 式が、日常を抽象化・一般化したものということなら、式を具体化・特殊化したら、無数に可能性が広がるので、どのように設定しても全て正解になるのではないか?と感じている。
 数学において、具体化にそこまでメリットを感じたことがないので、もう少し勉強してみたいと思っている。

「公式」の類について
 数学が3つ出てくるタイプの公式(速さ・濃度・面積など)は、比例反比例の関係になることを理解するほうが有用ではないかと思う。その理解と順序固定の相性は悪いだろうと考える。

単位のサンドイッチについて
 ひとつ分の単位をちゃんと書くことで、上にも書いた速さなどの単位との共通性を掴むことが出来るのではないだろうか。
たとえば、みかんが皿に乗っているのなら、一皿あたりの個数は、個/皿が単位である。
 同様に、速さを一時間あたりの距離(km)で表すのであれば(比例の関係なので、数字が正の方向に大きくなればなるほど速いということを表せるので便利)、km/hが単位である。
 対象が離散的でも稠密的でも、やっていることは一緒である。皿の数が一定で、みかんの総数が増えれば、1皿あたりの個数も増える。みかんの総数が一定で、皿の数が増えれば、一皿あたりの個数は減る。速度などもそうである。50m走でも、8秒台よりも6秒台のほうが速いことは、小学生にも伝わりやすい。
 私はこのように考えているので、単位のサンドイッチをずっと続けるメリットがあるのだろうかと考えているのだが、導入としてはわかりやすいのだろうか。確かに、〜倍と説明するほうがわかりやすい気もする。

❼色々な人が色々なことをいうので、論点が見えない
 たとえば、いつまでテストで✕にされるのか。学年が上がるにつれて気にしなくてもよくなるのだろうか。それとも、大人になっても気をつけないと発注ミスをしてしまうのだ、という意見を見るに、ずっと続くことなのだろうか。
 さらに、小学校低学年に理解させるために存在するのだという人もいれば、かけ算固定批判派を算数数学ができないという人もいる。
 論点を整理する必要があるだろう。

❽正直な話
 模範解答通りでないと採点できない人が✕をつけている場合が存在する、というのは間違いないのではないか。帯分数の件を聞いて確信した。

追記(2023/12/31)

論点の明確化が目的。順序固定派の意見の分類

【第一の論点】順序固定が適用される範囲
①便宜的な指導方法であるから、小学生段階だけ
→低学年だけとする派、小学校ずっと派、文章題だけ派がいそう
②普遍的な定義であるから、常に適用
→大人になって困る派、中学高校大学で困る派がいそう


【第二の論点】順序固定の目的・理由
 →第一の論点①の下位分類と思われる
①小学校の中で一貫性を保つため
②割り算が可換でないから
③「式の意味」がわかっているか判断したいから
→式の具体化・日常との連携・単位量が理解できているかなど…
④小学校低学年だから(発達段階)
⑤可換でないかけ算(ベクトル・行列)もあるから

【第三の論点】順序固定を用いるタイミング
①導入時
→第二の論点②④⑤と関連
②採点時
→第二の論点③と関連

 順序固定にどのようなメリットがあり、どのようなデメリットがあるのかを考えなければいけないだろう。

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