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フツーの大人がフツーに学び直せる環境を|雅楽芸人・カニササレアヤコ|私が学ぶ「私的な」理由

学ばなければではなく、学びたい、知りたいから学ぶ。自身の体験や問題意識に基づいた理由があると、学びはもっと豊かになる。学び直す道を選んださまざまな職業人に、学びのスタイルと「私的な」理由を伺います。

平安装束をまとったビジュアルと、竹で作られた管楽器・しょうを用いたネタで知られるお笑い芸人・カニササレアヤコさん。R-1グランプリ2018の決勝に進出するなど芸人として活躍する一方で、2022年4月には東京藝術大学の音楽学部邦楽科に入学し、自身のための学び直しを始めています。

会社で働くロボットエンジニアとしての側面も持つカニササレさん。芸人・会社員・そして学生という3つの立場を掛け持つ暮らしは、決して容易なものではないはず。大学で学ぶ喜びを感じながらも、その環境は身を削るものだったと振り返ります。

カニササレさんが生活費や学費を捻出しながら学びに向き合う中で浮かび上がったのは、「フツーの大人がフツーに学び直しできる環境があればいい」という思い。芸人として出合った雅楽に学び直しを通じて向き合う日々について伺いました。

雅楽と正面から向き合うために、藝大へ

——カニササレさんが初めて笙を学んだのはカルチャースクールだったと聞きます。雅楽を学び直すにあたって、東京藝術大学(藝大)を選んだ理由を教えてください。

お笑い芸人として笙を扱ううちに、雅楽について話す機会や笙を演奏する仕事が増えてきました。生半可な知識や技量で人前に立ち続けるのも良くないと思い、しっかり学び直すため、大学で唯一、雅楽専攻がある藝大の受験を決めました。

音大に行っていないコンプレックスもありましたし、「私は別に音楽家ではないし」という、一歩引いたスタンスを情けなく思うこともあって。年を重ねて、より拗らせるのも怖かったから、若いうちにコンプレックスを潰しておきたかったんです。

——実際に入学してみて、藝大での生活はいかがですか?

座学から実技まで、学べることは多いです。雅楽は笙だけでなく太鼓や琵琶の演奏や、歌から舞まで広く学ぶ必要があります。中には個人で所有するハードルの高い高額な楽器もありますから、集中的に雅楽を学ぶ環境があるのはありがたいですね。

また、専攻が同じ6人の生徒と合奏や稽古ができることも大きな魅力です。雅楽は合奏音楽なので、人と合わせないと始まらない部分もあって。演奏の仕方が違う相手とコミュニケーションしたり、合奏ならではの楽しみが増えました。

私は一度大学を出ているので、語学などの単位は必要ありませんでしたが、それでも藝大に入って一年目は、週5でキャンパスに通っていました。午前中にロボットエンジニアの仕事をして、午後から大学に行くような日もあって。1日の中でロボットから平安時代の雅楽まで、1000年分くらいの飛躍があるんですよね。頭の切り替えも大変でした(笑)。

——改めて藝大で雅楽に向き合ってみて、どんなところに面白さを感じますか?

雅楽はシルクロードを渡って、その終点である日本にたどり着いた歴史ある音楽。アジア・インドネシア地域の色々な国で培われた文化が、雅楽に凝縮されているんです。

演奏や舞や道具など、雅楽を取り巻くそれぞれの要素に逸話があって、紐解くと中国の『四庫全書しこぜんしょ』という歴史書にたどり着いたり、インドの神話などが記録された宗教文書『ヴェーダ』にたどり着いたり。そういう文化的な繋がりを辿るのはすごく楽しいですね。

中国は王朝が変わるごとに音楽も変わってしまうのですが、日本は雅楽が皇室に守られながら、形を変えずに残っている。なので、中国の洞窟で見つかった楽譜が現地の人に理解できなくても、日本人が見ると「これは琵琶の楽譜だ」とわかったりするんです。

——雅楽の表現のみならず、文化的なバックグラウンドにも深く惹かれるようになったのですね。

お笑いも学び直しも、一本道じゃなくていい

——雅楽を専攻する方々の多くは、やはり演奏家を目指しているのでしょうか。

雅楽はニッチな領域なので、演奏だけで食べていくのはなかなか難しいように感じます。神官の資格をとって働いたり、アルバイトを掛け持ちしながら活動する先輩方も多く、卒業後、10年くらいは辛い時期が続くという話も聞いていて。私も演奏家として仕事ができればと思いますが、どれほど現実的なのかは正直わからないところです。

雅楽に限らず、学問の基礎研究など、すぐ利益には繋がらない「学び」がありますよね。価値があるのはわかるけれど、それを自分が続けていけるかは、また別の問題。私にはエンジニアとして「稼ぐ道がある」という安心感があったからこそ、藝大に入ろうと思えた面もあります。

——学びとは別の稼ぐ手段を持っている方が、むしろ学びたい欲求に素直になれるかもしれない。

私の場合は、学びとネタとエンジニアリングの3つがうまく組み合わさっていました。でも、学びたいことと、稼ぐ手段とは全然別でいいと思うんです。よく「一本に絞らないと本気じゃない」と言われるじゃないですか。お笑いの世界は特にそうで、他のことに脇目を振るべきでないという意見が大きいけれど、その結果、潰れてしまう人も多い。

一本に絞ってダメだった時に、人生をどうすればいいか。そんな迷いが生まれると、かえってお笑いに集中できないかもしれない。別で稼ぐ道を持ち、その保険がある安心感をバネにして、やりたいことに飛び込む選択肢もあると思うんです。

——全てを犠牲にして学んだり、お笑い一本に絞ることのハードルは相当なものですよね。お笑い芸人の中で、その辺りをうまく両立できている人は思い当たりますか?

以前、同じ事務所だった厚切りジェイソンでしょうか。めちゃくちゃ稼いでますし、「俺すごいよ、全部うまくいくよ」って言ってました(笑)。

——厚切りジェイソンさんはIT企業勤めで株や投資の見識も深く、そうした経験もお笑い芸人としての活動につながっていますね。

結局、長い人生をお笑い一本だけで食べていく人ってそんなに多くないと思うんです。株の話をしたり、怪談を極めたり、グルメに詳しかったり。そうした他の武器を持ち、「人となり」で売れている人の方が多い気がしていて。

「これが好き」「これに詳しい」というものがあると、芸人としての活動にも繋がってくるのだと思います。私も雅楽の学びやエンジニアとしての経験がお笑いに活きる部分はあったし、良い相互作用が生まれていました。

好奇心だけのインプットが未来につながる

——カニササレさんは早稲田大学の文化構想学部で最初の大学時代を過ごしています。藝大での学び直しとは、どのような違いがあるでしょうか?

今は人生の道が決まって、雅楽の演奏という目的に対して、必要なことを能動的に学んでいる感覚です。早稲田の時はなんとなく無目的に学んでいたというか、「これは面白そう」と感じたら、演劇・映画・音楽などジャンル問わず好きな授業を受けていました。

早稲田ではアルゼンチンタンゴサークルの幹事長になっていたので、同じく所属していたお笑いサークルにはあまり行けなかったんです。でも今になって、笙でタンゴを吹く機会があって。早稲田の音楽文化論の授業で民族楽器を聞いた経験も、雅楽で他ジャンルとコラボレーションするときに役立っています。好奇心のままに学んだ知識や経験が、10年がかりでようやく繋がってきたんです。

歳を重ねたことで、先生の目線に近づけた部分もあるかもしれません。早稲田の時は、まだ先生が別世界の人のように思えていましたが、藝大では同じ大人同士として会話できている気がします。

社会人を経て入学する人は、みんな雅楽が好きだと確信しているし、学びたいという意思が明確だから、先生としても接しやすいようです。若い子の中には、将来に不安を感じて、自分が雅楽が好きなのかさえ分からなくなるほど悩んでしまう子もいますから。

——誰もが大学時代に好きなことや将来像を決められるとは限りませんが、最近は社会から成果を求められるスピードが上がっているようにも感じます。

就活にも言えることですが、20代前半でその後の人生を全て決めるのは難しいですよね。アウトプットへの焦りもあるけれど、何が何だかわからないまま、とりあえず知識としてインプットしておく時間も必要だったと思います。好奇心のまま、ただ面白いから学ぶという行動が、もう少し豊かに認められるようになればいいですよね。

一年間のネタ封印。学び直しとキャリアを両立する難しさ

——カニササレさんが学び直しを始めて1年経つ頃でしょうか。「フツーの大人が国立大学での学び直しをフツーにできる環境があればいいな」とXで投稿をされていますよね。

私はたまたまエンジニアとしてフレキシブルに働ける環境でしたが、藝大に通いながら週に2回、午前中だけ働いて、その収入で学費と生活費を払うのはかなり厳しかった。本当に身を削らないとやっていけない状態で、普通の人が取れる選択肢とは言い難くて。あまり他の人には手放しでお勧めできない、しんどい状況を身をもって感じている頃でした。

その一方で、会社の同僚や友人との会話の中で「社会に出てから学びたいことができた」と耳にする機会も増えました。最初に大学のときは何をやりたいかわからないまま、義務感のように勉強していたけれど、社会に出て何年か経って、自分の勉強したいことが見えてきた——。そう感じるフツーの大人たちにこそ、学び直す機会が与えられればいいな、と思うようになったんです。

——社会人を経験したからこそ学びたいことがあっても、大学での学び直しはハードルが高く、特別なものになっている現状がある。

私が藝大の受験を決めた時も、藝大出身の人は素直に応援してくれましたが、普通に働いている知り合いからは「すごい決断だね」と言われました。私はそれが「ものすごいこと」ではなく「普通のこと」として、社会的になっていけばいいと思っている。

家庭に一度入って、子育てなどでキャリアが中断されると、改めて働き直すことにハードルを感じる人もいます。学び直しにもコストがかかるから、八方塞がりに感じて「もう、自分には何もなくなっちゃった」みたいに言う友人もいて。もし、ちょっとした時間や金銭的な負担で学び直しができるようになったら、そういう状況も変わるんじゃないかと思います。

——カニササレさん自身は、藝大での学び直しという道を選んだことで、キャリアに不安は感じなかったのでしょうか。

とても怖かったです。邦楽科のルールで、1年生の間は外部での演奏が禁止されているんです。お笑い芸人としてで笙を吹くことは前例がないのですが、先生に「ネタで演奏してもいいですか?」とは聞きづらいじゃないですか。あまり目立つのも嫌だったので、1年生の間は笙のネタを封印していました。

おそらく、一人前でない学生が演奏でお金を取ってはいけないという理由があって。このルールのおかげで学びに集中できた面もあるのですが、四角四面に縛られてしまうのは嫌だったし、私は実際に収入も減りました。先生の許可を得ればOKとか、オーディション制にするとか、何か別の方法もありえたのではないかと思っています。

結果的には藝大での学びが信頼に繋がり、2年目からは音楽家としての仕事もいただくようになりました。それでも、キャリアにブランクを作ってまで学ぶ意味があるのかどうかは、受験を決める前に一番悩んだ部分でした。

FunnyからInterestingへ。学びの境界を柔らかくほぐす

——ご自身の苦労もあり「フツーの人」が学び直しやすい環境への意識が生まれたのですね。自身のSNSやYouTubeチャンネルでは、藝大受験生に向けた情報の発信もしていますよね。

受験の要項を見ただけでは全容が掴みづらかったり、直接関係者に聞かないとわからない情報が多かったり。情報や人脈がないと大学に入れないような状況を変えたくて、自分で情報を発信するようになりました。

音楽理論についても、私は「独学ではできない」と言われていたのですが、本を読んでなんとかなった。でも、周囲に先生がいないという理由だけで諦めている人がいるかもしれない。塾がなくても、先生の指導やコネがなくても。恵まれた人じゃなくても、意欲ある人が大学に入れるように、ネットで学んだり、学ぶ方法を知れる環境を作りたかったんです。

——情報の敷居を下げるという意味では、笙や雅楽を身近に感じられるカニササレさんのネタにも通じる部分がありそうです。

雅楽の知識が深まるにつれて、扱うワードも「これは正しくない」「ちょっと表現が違う」といった具合に、自分の中でのハードルが厳しくなってきました。ネタへのスピード感というか、フットワークの軽さが失われることには怖さもあります。

演奏者との繋がりも増えてきたので、前は普通に雅楽奏者のモノマネもやっていたんですけど、今はもう全員知り合いだからすごくやりづらくて……。

でも、雅楽のバックボーンをちゃんと豊かにしていけば、面白さの質がFunnyからInterstingへと変わっていくはずです。すぐに終わってしまうFunnyな面白さだけでなく、多くの人が大事にしてきた雅楽のInterstingな側面を尊重しつつ、うまくバランスをとっていけたらと思います。

——2024年4月から藝大の3年目へと入りますが、卒業までに達成したいことはありますか?

雅楽は初心者向けの情報がとても少ないんです。初歩になる入門書と、すごく難しい研究書の両端しかなくて、この中間になるような本を出すために文章を書いています。雅楽は知れば知るほど面白いけれど、神聖で民間には関わりのない音楽と思われているから、その面白さを伝える橋渡しをしていきたい。

入学したタイミングは、受けられる仕事の量や貯金額などを考えると、結果的にベストだったと思っています。ただ、音楽家としての経験はもっと重ねていきたいし、せっかく藝大という環境にいるからこそ、美術などの異分野ともコラボレーションして、もっと世界を広げていきたいですね。

カニササレアヤコ
早稲田大学在籍中にお笑いサークル「お笑い工房LUDO」に所属。大学卒業後は会社員として働きながら芸人活動を行う。2018年3月には「R-1ぐらんぷり」の決勝へ進出し、同年4月にサンミュージックプロダクションに所属。2020年に退職、渡英を経て、再度ロボット開発会社に就職。2022年4月より東京藝術大学邦楽科に入学。同年8月にはForbes JAPANの「世界を変える30歳未満の30人」に選出される。

執筆:淺野 義弘/撮影:金本凜太朗/編集:友光だんご(Huuuu)