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「反ワク」は差別用語である

 「反ワク」という言葉が,今年大変流行してしまいました。この下品な言葉は,ネットの一部でいわば隠語として使用されているのであれば,まだ黙認できますが,今や,マスコミ,政治家,行政まで,堂々と使用するようになり,深く心を痛めています。

 「反ワク」という言葉は,ワクチンに疑問を持つ人たちをグループ化して,その言動を一方的に否定しようとする姿勢を示しています。ワクチンに対する意見は,本来多様でしかるべきなのに,異論を許さず,疑問をもったり,批判する人すべてに,「反ワク」というレッテルを貼るのは,重大な人権侵害です。したがって、「反ワク」は完全な差別用語です。もちろん,略称ではない,「反ワクチン」や「反ワクチン派」も同じです。

 「反ワク」という言葉には,もともともワクチン接種という行為に懐疑的な人々が,強硬な反対運動を繰り広げてきたという背景があるようですが,それなら,戦争や環境破壊に反対する人々と同じで,思想信条,表現の自由を守らなければなりません。ワクチンに対して,どのような懸念を表明することも,国民の基本的な人権として,認められているはずです。

 「反ワク」を反社会的な勢力のように扱う風潮の根拠に,「反ワク」がデマを流すということにあるようですが,もし「デマ」が問題であるのなら,個別の「デマ」に対処すればよいだけであって,ワクチンに反対する人々を対象にすべきではありません。しかも、そもそも「デマ」と「真実」の境目は極めて曖昧ですから,「デマ」と言い切れないものを「デマ」と決めつけることは名誉棄損でもあります。

 そして,最も重大で,悲しむべきことは,ワクチンのリスクに敏感で,懐疑的な人をすべて,「反ワク」というカテゴリーでくくって,社会から差別しようとすることです。ワクチンパスポートがその典型で,これが人権問題と思わない人は,人権感覚が麻痺しているとしか言いようがありません。

 ワクチンの問題が縁で,日本全国の多くの方々とSNSやオンラインで交流する機会が増えてきましたが,皆さん,あたり前ですが、本当に普通の方ばかりで,日々の暮らしの中で真剣にワクチンについて心配されています。このような人々が,何か言えば「反ワク」と思われないだろうかと懸念されることは極めて理不尽です。

 しかも,最近は「打ちたくても打てない人」という,人権を守るふりをして実は人権を侵害する卑怯なフレーズまで登場しています。「打ちたくても打てない人」ということは,「打たない人」を,「打ちたくない人」と「打てない人」に分断しようとする非常に悪質な考えです。

 なぜ,悪質かと言えば,ワクチンを打つという,個人の判断の領域に介入して,その考え方で人間を区別しようとしているからです。どうして、個人の判断に介入する権利があるのでしょうか。個人の判断は何人も侵すことのできない神聖なものでなければ、人間社会は成立しません。

 自分の思ったことをそのまま表現すること,疑問に思ったら素直に伝えること,このような自由がなくなれば全体主義社会になってしまいます。もちろん,法律上はこのような権利は完全に認められています。したがって,社会的な圧力が,発言しないように作用することは,あってはならないことです。

 「反ワク」は差別用語です。この意識を広めましょう。

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