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リスク社会とワクチンの暴走(1)なぜ誰も止められないのか?

 新型コロナウイルスに対する対策としてワクチンを開発することは,一つの方法にすぎません。リスクがなくて,効果の高いワクチンが開発されれば良いのですが,リスクが決して低くなくて,効果もさほど高くなく,しかも対象とする感染症がそれほど怖くないならば,話は変わってきます。

 現在の新型コロナウイルスワクチンを巡る状況は後者に近いと思います。しかし,それなのになぜ,多くの国で接種の義務化やパスポート化のように暴走してしまうのでしょうか。

 それほど昔のことではないので,ワクチンが導入されたころを思い出してみましょう。今は,ワクチン強硬派のアメリカのバイデン大統領も,フランスのマクロン大統領も,ワクチンの接種は国民の任意であり,義務化やパスポート化は考えていないと述べていました。

 日本でも,国会の附帯決議までつけて,接種しない人の人権を守るように呼び掛けていました。特に,職域接種の場合は,受けない人の人権を守るように注意喚起がなされていました。いわゆる「ワクチンパスポート」についても,河野大臣をはじめ,政府関係者は否定的でした。

 しかし,国民への接種が進むにつれて,当初の想定以上にワクチンの効果が短く,ブレークスルー感染が常態化していること,副反応も想定以上に重く,因果関係不明とされているものの死亡を含む重篤な有害事象と思われる例がいくつも出ていること,製造プロセスでの異物の混入など本来あってはならない品質管理の問題が発生していることなど,どれをとっても,ワクチンにとって良い情報はありません。

 導入当初は,高い発症予防化があると説明されていて,重症化予防効果などという言葉ありませんでした。発症が予防できれば,重症化するわけがないので当然ですね。しかし,今は重症化予防が目的だそうで,しかも,重症化予防効果をはっきり示すデータはよく分かりません。

 これは世界共通の現象です。しかも,ワクチン接種で先行していたイスラエルは,2回接種で感染を抑えることができず,3回目のブースター接種が始まっています。アメリカ,ヨーロッパ,日本でも3回目の接種を準備し,すでに始めているところもあります。

 3回接種することになるとは,ワクチン導入時には誰もが否定したことですし,当然治験データも不十分なはずです。本来ならば,ここでワクチン政策を根本から見直すべきと思いますが,実際にはそうはならず,むしろ事実上の義務化の方へ強硬に舵が切られようとしています。これは一体何故でしょうか。

 それはワクチンを政府が制御できないからです。ワクチンの開発は私企業に委ねられていますから,どのようなワクチンを開発するかについて政府が指導することはできません。また,ワクチンの効果やリスクについては、専門家の判断が必要になりますが、彼らが所属している学界に政府が介入することはできません。

 しかも,彼らが,政府がワクチン導入の可否を審議する委員会のメンバーを占めているので,政府はそれに従うしかありません。そのうえ、製薬メーカーが専門家に研究費という形で活動を支援しているので、科学技術システムと経済システムの私的な鉄の結束ができて,そこに政治はほとんど介入できなくなります。つまり,国民の主権が及ばないところで物事が進んでいるのです。

 政治家たちが,コロナに対して本当に無力に見えるのは,彼らが実際に無力だからです。しかし,この専門家と製薬メーカーの力の上に乗れば,神輿として権力をふるえるので,中身のない政治家にはとても魅力的です。河野太郎大臣はその典型でしょう。政府が抱えている専門家の言うことに,一切疑問をさしはさまず、オウムのように繰り返すだけなのがその証拠です。よく「御用学者」という言葉を聞きますが,それは正しくなくて「御用政治家」と呼ぶべきです。

 このように、現在の世界を動かしているのは政治システムではありません。科学技術システムと経済システムです。民主主義が,形式的かもしれませんが,存在しているのは政治システムだけです。私たちは,学会の会長も選べなければ,会社の社長も指名できません。

 したがって、この民主主義の及ばないシステムが暴走すると簡単に止めることができません。このあたりの詳しいことは,20世紀末に,ウルリヒ・ベックという社会学者が「危険社会」という本にまとめています。現在の状況は,ベックが議論したころから,さらに高度化してリスクが増大しています。

 問題の本質は,人間ではなくシステムですから,菅首相を批判したり,河野大臣を批判したり,尾身会長を批判したり,ましてや西浦教授を批判しても,まったく解決できません。問題は彼らではありませんから。では,どうすればよいのでしょうか。

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