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永遠のアイドル03.~榊原郁恵

皆さん、おはこんばんちは。

今年もはや、5月に入ってしまいましたね。
ゴールデンウィークもとうとう、コロナのせいでどこにも出かけられず…。

私はといえば東京へ単身赴任中の身で、本来なら家族のいる福岡へ帰る予定でしたが、ステイホーム週間のためそれも叶いませんでした😖

このイライラは、いつまで続くんでしょうか…。先が見えないのが一番ツライですよね。

しかぁし!(草)

こんな時だからこそ、楽しいこと、自分の好きなこと、皆さんに伝えたいことをブログに書き綴ってみたいと思います!

「モーニング娘。」のことを書いたのがきっかけとなり、次は偶然ですが森川美穂さんのことを書いたので、そこから私にとっての「永遠のアイドル」シリーズをスタートしました。


マガジン「永遠のアイドルシリーズ」


3回目の今回は、私が青春時代に一番入れ込んでいた「榊原郁恵」さんについて書きます。


榊原郁恵さん

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本当はもう少し早くアップするつもりだったんですが、あることに気がついたので今日にしました。

その訳は後ほど…😉

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初めての推しメンアイドル

いやね、「一番入れ込んでいた」という言葉は決して嘘偽りではなく、一番長きに渡って今でもファンですし、一番お金を注ぎ込んだのも(笑)、間違いないでしょうね。

今思えば、生まれて初めて「推す」という行動をとったのが、郁恵さんでした。

私が彼女と出逢ったのは1976年(昭和51年)、私が高校1年生の時でした。郁恵さんはその年、ホリプロが主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝します。

その時の映像↓



運命の出逢い

実は私、そのオーディションのことは知らなかったんです😅

が、私が彼女のことを初めて知ったのが
↓これでした。

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これは、当時アイドル専門の二大芸能雑誌の一つだった
「月刊明星みょうじょう
に載った、芸名募集の記事でした。
(ちなみにもう一つの雑誌は「平凡」)

これを見た私は…
それは、もう、まさに、
「一目惚れ」
でしょうね。

だって、その雑誌のページをこうして切り取って(っていうか慌てて破り取ってw)、大切に保管していた訳ですから…。

ただ、第一印象は「可愛い」とかではなく、プロフィールを見た時に「あ、誕生日が近いな!」と、親近感が湧いたのが一番でした。

そう彼女は5月8日、つまり今日が誕生日なのです!

今日の公開にしたのは、この為だったのであります😆
ちなみに私は5月14日です😌
(なのでこの記事は、5月8日5時14分に公開しています😉)

身近なアイドル

もう一つ。
それまでテレビに出ている芸能人の女性は歳上ばかりで、いわゆる雲の上の存在だった訳ですが、たった一つしか違わない女の娘が芸能界にデビューする、ということが新鮮な衝撃でした。

でも、当時絶大な人気で私もファンだった山口百恵さんは、実は郁恵さんと同年生まれ(1959年)なんですよね。
百恵さんは1月生まれなので、学年は郁恵さんより一つ上なんですが。

しかし、百恵さんはかなり大人びて見えましたが、郁恵さんは同年生まれながら風貌は純朴そうで、しかも私より一つ歳上なのに、それを全く感じさせなかった。

つまり、雲の上の存在なんかじゃなく「すぐ隣にいそうな女の娘」という印象が、ファンになった一番の要因だと思います。

↑上に貼っているシングルレコード「アル・パシーノたすアラン・ドロンよりあなた」のジャケット写真の雰囲気が、堪らなく好きです。

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「推し活」スタート

そこからはですね。
1977年(昭和52年)1月1日に「私の先生」で歌手デビューし、きっちり3ヶ月ごと(4月1日、7月1日、10月1日)にリリースされるシングルレコードと、1年に2枚リリースされるLPレコード(懐かしい響きやなぁ!)を買い揃え、ラジカセでカセットテープにダビングしては、せっせと聞いておりました。(持ち歩けるカセット「ウォークマン」の発売は1979年7月1日ですから、まだこの世に存在してません 笑)

それから新聞のラテ欄(ラジオとテレビの番組表)でその日の番組をチェックし、郁恵さんが出る番組は逃さないように観てました。

ビデオデッキなんてものは、まだ家にはありませんでしたから、とにかく記憶に留めるため、真剣に(笑)。

1日に1回、郁恵さんをテレビで観れたら、その日は最高の1日でしたね!


追記:コメント欄(注:旧LINEブログ)に書き込みがあったので、「めざめのカーニバル」を貼っておきます😉


最大のヒット曲

そして榊原郁恵、最大のヒット曲と言えば、やっぱり↓これでしょう!

「アイスクリーム」に掛けた「ユースクリーム」って歌詞が面白いですね。
しかし「screamスクリーム」って「悲鳴」という意味なんですよね〜😅
※追記:そのものズバリ「スクリーム」(1996年・米国)というタイトルのホラー映画がありましたね〜😆

だから直訳すると変なことになっちゃうんですが、まぁそんなことはどうでもいいんです。
アイドルソングなんですから(笑)

お気に入り曲

「青春気流」
歌詞とメロディの雰囲気がとてもマッチしていて、好きな一曲です。


「アル・パシーノたすアラン・ドロンよりあなた」
郁恵ちゃんファンの間ではとても人気の曲です。


これ↓は「ラブジャック・サマー」の映像ですけど、1コーラス終わるまで観てくださいね。
この曲定番のズッキュン演出がありますので!


健康美そのもののような郁恵ちゃんも、デビュー3~4年目くらいからは、ちょっと大人な雰囲気の楽曲が多くなりました。

この↓「イエスタデイ・ドリーマー」は、大好きな曲のひとつです。


「ひき潮」
これも↓落ち着きのある大人の曲で、大好きです。


この「東京聖夜(Tokyo Holy Night)」は↓、シングルカットされていないアルバム収録曲ですけど、クリスマスになると必ず聴きたくなる1曲です。


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テレビ出演

YouTubeを漁っていたら、↓こんな動画もありました。
主演ドラマ「ナッキーはつむじ風」のオープニング主題歌です。


こちら↓は、欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの!)にゲスト出演した時。これはリアルタイムで観てました。


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初代ピーターパン

そして、私の中で郁恵さんの強烈な想い出と言えば、なんといってもミュージカル「ピーターパン」でしょうね!

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1981年(昭和56年)から上演された『ピーターパン』はホリプロが初めて手がけたミュージカルで、興行的にも大成功を納め、この年度のゴールデン・アロー賞演劇賞および大賞を受賞しました。

「郁恵ピーターパン」は、その後7年間、毎年夏の1ヶ月を代役無しで飛び続け、340回・76万人を動員したのです。(Wikipediaより)

初演当時、私は高校卒業後、専門学校に通うため福岡から東京に出てきて、東京で就職していましたので、今はなき「新宿コマ劇場」へ、なんと! 14回も通って「郁恵ピーターパン」を観に行きました。
だから言ったでしょ、一番お金を注ぎ込んだって(笑)

↑これ、画面は真っ暗ですけど、ピーターパンのメインテーマです。ミュージカルで歌われた楽曲がLPレコードとして発売された音源です。
(当然、私も持っています😉)

これを劇場で初めて聴いた時、「どこかで聞いたことのあるメロディだな」と思ったんですが、それは当時のテレビ映画番組「月曜ロードショー」のテーマ曲として使われていたからだったのを、後になって気がつきました。

追記:動画が有りましたので貼っておきます。


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手が届きそうなところまで

14回も観に通ったのは、郁恵さんが演じていたというのはもちろんなんですが、ストーリーの面白さ、楽曲の素晴らしさ、そしてなんといっても舞台上で本当に宙を飛ぶ「フライング」技術の見事さに魅了されてしまったからですね。
しかも演奏は音源ではなく、舞台の下にオーケストラピットがあって、楽団の生演奏でした!😆

劇の冒頭、ピーターパンが初登場するシーンは、舞台正面に組んである窓のセットが左右に開き、その奥からピーターが飛んで入って来るんです!
それを初めて観た時の衝撃は、今でも忘れられませんね。

さらに、上演中ストーリー上でのフライングでは、舞台を右に左に動くだけなんですけど、カーテンコールの時には、なんと客席の上まで飛んで来るんですよ!
まるで手が届きそうなところまで!

その冒頭のシーンと、カーテンコールのフライングを観たいがために、劇場に通ったと言っても過言ではありませんでした。

追記:郁恵ピーターパンの後も、Uターン就職した福岡で公演があった時に観に行ったことがありました。
(ピーター役は確か宮地真緒ちゃんだったと思います)

そして昨年は、カルッツ川崎で上演された吉柳咲良ちゃんのピーターパンを数十年ぶりに観に行ったのです。
もう懐かしさいっぱいで、感動を新たにしてきました。

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トランジスタ・グラマー

さて。話を郁恵さんに戻しましょう。
当時のアイドル歌手といえば、雑誌(さきほど出てきた明星、平凡、GOROなど)のグラビアで、水着の写真とかがよく掲載されたんですよね。

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ご覧の通り郁恵さんは、背もあまり高くはないですし、お世辞にもスタイルが良いという訳ではないですけれど、出ているところは出てるという、いわゆる「トランジスタ・グラマー」というやつですね😆

ですから当時、私が郁恵ファンだと言うと、周囲には「ハハーン」といった顔で「あのボディが好きなんだな」と思っていた人は多かった筈です😅

しかし正直な話、私にそんな感情は全く無かったんですよ。
いやほんと!
郁恵さんをそんな対象として見たことは、ただの一度もありませんでした。

一つ歳上でしたけど、初めの方で書いたように、私にとってはまるで近所に住んでいる幼馴染みか、あるいは姉弟のような存在だったんですよね。

お似合いの夫婦

後に郁恵さんは、ドラマで共演したのがきっかけで渡辺徹さんと結婚するんですが、当時、会社の同僚から笑いながら
「渡辺徹に盗られたな」
と、からかわれたことが有るんです。

でもその時、私は「いやいや、渡辺徹だったらお似合いだ。郁恵さんにとって最高の相手だよ」と答えたんですよね。

そしたらその同僚は、感心した真面目な顔で
「お前、ただの上っ面なファンじゃないな。本当に榊原郁恵のことが好きなんだな」
と言われたことがありました。

「他のヤツなら、“あー渡辺徹に盗られた。郁恵は俺のもんだ、悔しい!”とか言うのが普通なのに、お前は本当に郁恵さんのことを考えてる」
と言ってくれたのです。

その言葉が、郁恵さんへの私の気持ちを一番よく表していた、と思います。

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追記:渡辺徹さんは2022年(令和4年)11月28日、敗血症のため逝去されました。
結婚後も芸能界のおしどり夫婦として二人の子供を授かり(長男は俳優の渡辺裕太さん)、幸せな家庭を築かれました。
本当にお似合いの夫婦でした。

渡辺さん逝去の記者会見で、涙もなく、笑顔も交えながら明るく想い出を語る郁恵さんと裕太さん。
本当にいいご家族だったんだな、と思います。

心から、ご冥福をお祈りします。


青春を捧げたアイドル

私にとって郁恵さんは、まさに「青春の1ページ」。
いつまで経っても色褪せることなく、彼女の想い出だけでお酒が飲める存在なのです(笑)

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それでは。
またまたの長文にお付き合い、ありがとうございました。

また逢えるから、この言葉が言えるんですよね。
ごきげんよう、さよならdestiny!

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