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私と甲子園④ 校歌

みなさん、おはこんばんちは。

夏の甲子園も終わってしまいました。

甲子園が終わると、夏休みで遊びに来てた従兄弟が帰ってしまった時のような、ちょっと切な淋しい気持ちになりますよね。

さて、私と甲子園の思い出話。まだまだ、書きたいことがいっぱいあります。

が、終わってしまったので来年まで取っておこうか、と思ったんですが…。あるフォロワーさんからいただいたコメントが、書きたかったことにモロに直結していたので、その④としてお送りしたいと思います。

今日のテーマは「校歌」です。

甲子園を盛り上げる名物のひとつに、私は間違いなく「校歌」の存在があると思っています。

今日は、その「効果」と「裏話」、そして私の「想い出話」を書いてみたいと思います。

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勝って校歌を唄う。これは甲子園を目指す高校球児の、大きなモチベーション効果があると思いますね。

じゃ、甲子園では始まった時から勝ったチームの校歌を流していたか…というと、そうではありません。

これは私も調べて初めて知ったんですが、昭和4年第6回春のセンバツ大会からだそうで、昭和3年のアムステルダム五輪で陸上・女子800メートルに出場し、銀メダリストとなった人見絹枝さんの発案だそうです。

五輪では、金メダリストの国歌が流れ、銅メダルまで3つの国旗が上がりますよね。それに習って、高校野球でもやったらどうかという人見さんの意見で、校歌を流して校旗を掲揚するようになったそうです。

ちなみに夏の大会はそれより28年後の昭和32年からで、夏の方があとだったのはちょっと意外ですね😆

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ところで。
あの校歌、誰が唄ってるか知ってますか?

夏の選手権大会は、地方大会で代表が決まったら、学校からテレビ朝日が楽譜の提供を受けて曲を制作し、プロのクラシック歌手4名が唄って録音しています。

初出場の学校は一からの制作になりますし、出場経験のある学校にもちゃんと前のやつでいいか確認してるそうで、わずか1~2週間のうちに49代表の校歌を仕上げないといけないので、突貫工事となるようです。

春のセンバツはちょっと方式が違ってて、学校側が録音したものを提出してもらい、音質を整えてから流しています。だから春に流れる校歌は、女生徒のコーラスとかが入ってることがあるんですね😉

しかし、そんなにして制作した校歌も結局、半分は一度も流れることなくお蔵入りしてしまうわけです。

それではあまりにももったいないということで、今のように2回の裏表で両校の校歌を流すようになったのは、平成11年のセンバツ大会からだそうです。

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でも、各学校の校歌ってユニークなものもありますね。
めちゃくちゃ短かったり、超絶長かったり(笑)、歌詞が特徴的なものとか。

でも、強豪校は勝ち進むたびに流れるわけですから、なんか自然と覚えてしまって、知らず知らず口ずさんでたりしたことありません?😉

その①で書いたPL学園とか、サビの「あぁ~PL PL 永遠とわの学園 永遠の学園」これはまざまざと浮かんできますね。

休部してしまっている同校の校歌が、もう一度甲子園で流れることはあるのでしょうか。

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ところで実は私、日本中で一校だけ、私の母校を除いて歌詞も見ずに校歌を唄える学校があります。上に書いたPL学園でさえ、歌詞も見ずにというのは無理。それなのに唄える学校とは…。

静岡県の「浜松商」なんです。

浜松商は、昭和53年の第50回センバツで見事に優勝!
5試合戦って、つまり5回校歌が流れたわけですが、私はその爽やかな同校ナインの戦いぶりと相まって、浜松商の校歌に魅せられてしまったのです。

朝日直刺たださす 富士のみね
夕陽かゞよふ 浜名淡海あわうみ
くやかすみの 曳馬ひくまの野辺に
緑芽みどり伸び行く 若松我等われら

情景が頭に浮かんでくる情緒的な歌詞と、まるで文部省唱歌のような穏やかなメロディライン!
校歌としてでなくても、一つの楽曲として完成していると思いますね。

ちなみにこの校歌、浜松商のホームページでダウンロードして聴くことができます!ご興味のある方は、一度聴いてみてください。いい曲ですよ😆


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というわけで。

この辺で、私と甲子園もおしまいにしたいと思います。
次に書くとすれば、来年の春センバツでしょうかね。
それでは、毎度の長文にお付き合い、ありがとうございました🙇

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