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躾方法は経験したことから選択されるのか?

「家族、捨ててもいいですか?」 / 小林エリコ

父親は不倫を繰り返し母親に暴力を振るう人で、母はそんな父に従うしかなく、兄から暴力を受けていても誰も助けてくれない家族の中で小林さんは生きてきた。高校の頃から精神科に通い治療を続けていたが、自殺未遂を図ってしまう。実家での療養中は、母の手厚い看護を受けることができたが、それが逆に生きていく力を奪われる結果に....。

暴力が当たり前

親が子供に与える影響がいかに大きいかを本当に感じた。本の中で、祖父も暴力を振るう人だったことが書かれている。子供の頃から家庭に暴力があることが「普通」だった環境に身を置いていれば、自分が親側になったとき、暴力が生まれることは「当たり前」の図式が成り立ってしまうそう。思い返すと、自分の家にも似たようなところがあった。小林さんが受けていたような理不尽な暴力はなかったし、私自身は親に暴力を振るわれたことはなかった。しかし弟は、本当に悪いことをすると父から殴られていた。母親は止めようとしていたし、少し悪いことをした程度でそういうことはなかったけど、本気で怒られるようなことをした時に起きていた。そういう形で父が弟を躾するのは、自分も小さい頃はそうだったかららしい。(私にはしなかったのは、女だったからと、弟ほど悪さをしなかったから)
子供が本当に悪いことをした時は体罰によってわからせることが躾だと、父は経験上思っていたんだろう。逆に言えばそれ以外の躾の方法を知らなかったし、それが間違っているかもしれないと疑ったこともなかったんだと思う。
私は父のことを責めるつもりもないし、仕方ないのかもと思っているけれど、それは実際に殴られていないからそう思うのであって、弟はもしかしたらトラウマだったりするかもしれない。

親の躾は伝染する?

暴力は振るっていいものとして育てば、自分の子供にも同じことをする。それと同じで、子供への怒り方も親に似てしまうのでは?と感じている。私の母はとてもヒステリックに怒る人だった。
これまた自分が怒られて嫌だったのではなく、弟に怒っているのを見たり聞いたりするのが辛かった。弟が怒られるようなことをしているのは理解できていたので、母が怒るのも当然だったが...。でも伝え方って色々あるはずなのに、母が取る伝え方は常にヒステリックで、弟にはその伝え方では理解ができないようだった。はたから見ていると「そういう伝え方だから伝わらないんだ」ってすごくよく分かったし、伝わらないから弟は母の神経を逆撫でするような返答をして、さらにヒステリックを加速させ、収集がつかない状態になっていた。そこで私が横から仲裁でも入るもんなら、母の怒りが私に飛び火してくるのは目に見えていたので黙って静観していたが...。
結果的に母から見れば、弟は私の言うことなんて聞かない子供、ずっと反抗期の悪い子になってしまったらしい。大人になって弟が独立してからは聞くことはなくなったけれど、母は常々弟は嫌いって言っていた。
私はそんな母をずっと見てきたので、子供に対して怒るときに感情的になってしまうのでは?という不安が拭えない。自分の心に余裕があるときはヒステリックな伝え方以外で、きちんと話すことができると思うけど、追い込まれているとき、一番本性が出るときは母と同じことをしてしまうのではと思っている。自分の子供に自分と同じ思いはさせたくないって思っているけど、土台形成の時に経験したことは、なかなか消えたり置き換わってくれない。選択肢を多く持っていても、咄嗟の時に選ぶ選択肢は土台にある経験から出てくる気がしている。まだ実際に子育てしてないので、本当にこういう問題にぶつかるかわからないし、もし失敗してしまっても、反省して次は繰り返さないようにしていくしかないと思う。
でも、こうやって考えると親から受ける影響の深さや大きさが本当に計り知れない。
そう思うと子育てって怖いな...って感じちゃう。

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