2/20(日)

 今日もいい日だ。朝、9時半。寝坊した。YouTubeを見ながら着替えて電車に乗り込む。朝ごはんのチョコパンを口にくわえながら、電車の中の広告に視線を流した。孤独だ。1人でいることと、独りでいることは違う。1人でいることは、帰る場所があって、一時的に1人でいるということ。独りでいることは、帰る場所も今いる場所も、ない、そんな訳のわからない感覚のこと。こんなこと、言葉にしなくても分かっている。誰かにそんなことを言われそうだ。なんなら、言葉にすることを嫌がる。面倒くさい、つまらない、言葉にするとひどくつまらない。そんなことを言われそう。なぜなら、言葉にする必要がないから。言葉にしなくても、生きていけるから。

 僕は車内に1人で座っている。隣には肩を寄せて座るカップルがいる。帰る場所も、今いる場所もちゃんとある。僕にはあるのだろうか。そんなことを考えただけで少し鼓動が早くなった。

 生きている中で言葉にできる言葉は限られていると思う。だから、時間や字数や、届けたい人という制限を設けて狙いを定めて、こぼさないように、大切に言葉にしていく。言葉は僕が生きるために必要な道具だった。言葉にしないと、生きていけない。言葉にすることで、僕は生きていけた。

 親の離婚、家族からのネグレクト、信頼していた祖父母の死。圧倒的に真っ暗でどこに行っても心が晴れない、人生どん底の毎日を過ごす。こんなことは生まれて初めてで、誰に聞いたらいいのかわからなかった。別に、誰に聞いても答えは一緒だということも知っていた。「考えすぎだよ」「家族に相談しな」「明日になれば忘れるよ」優しい。そんなことを言ってくれる人はとても優しい。でも、その言葉通りにしたくてもできない現実があることを優しい人たちは知らない。知っているのかもしれない。あえてきつく突き放してくれているのかもしれない。優しい人には、そこまで優しい人であってほしい。そうじゃないと、僕の心は晴れてくれない。

 人の心は分からない。善意で助けてくれようとする人もいる。「何かあったらいつでも相談して」と言ってくれる人もいる。優しい。世界は優しさで溢れている。でも、その優しさを受け取る器が、僕には元々備わっていない。そんな優しさで僕は救われない。救われたとしても、それはただの借り物で、その借り物を瞬間的にでも、嘘でも信じることができたなら、それはそれでいいだろう。素直にありがとうと言って、明日の朝には忘れていられたら、それはどんなにいいんだろう。でも、僕にはできなかった。そもそもそんなこと、僕には難しすぎた。難しくてもやれば、できる!そう言って励ましてくれる人がいるのなら、僕の親友になってもらいたい。親友とはなんなのか。また分からなくなるけど。


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