2/21(月)

 今日もいい日だ。朝、8時半まで布団でぐずぐず。起きたくない。そう思えていることはかなり進歩している。起きれない訳ではない。起きようと思えば起きられる。起きようという意思が僕の中には確かにある。それだけで僕にとって十分すぎる宝物に思えた。

 バイトにいく。バイトには自分の居場所がある。そう思えていることが、なんだか嬉しい。居場所なんか元々あるものだとか、作るものだとか、そういう議論うんぬんができるほど心に余裕がなかった一年前のことを考えると、なんだかここまで来たんだなぁという感慨深いものを感じるようになる。

 店長と外国人留学生の話をした。「かわいそうだよね。」コロナの影響で帰国を余儀なくされた僕の寮に住むはずだった彼らの話を聞いた店長が何気なくこぼした言葉。悪気はない。だからこそ、傷つく。昔の僕だったら、立ち直れなくなるくらいの深い傷を負っていてもおかしくないほど尖ったナイフの先が、今日は刺さっても特に問題はなかった。強くなったのか、耐性がついたのか、かわし方を覚えたのかなんなのか。長く生きることは、自然と強くなることだと思った。雨風に吹かれたら、自然とそれは強くなるものだと知った。

 新宿に来た。シャワールームを探して、ネカフェによったが、満席だった。月曜の昼間だぞ。そんな常識を覆すことがこの世には溢れている。想定外なことが起きることは想定内。たったそれだけのこと。僕の人生で起きたことも世界から見たらハナクソと同じ。悲しくないのかと尋ねられたら、別に、と思うようになった。僕が見てる世界はせいぜいこのくらいで、僕が一生で見れる世界もせいぜいこのくらいだと知ったら、僕が色付けしている世界なんかは世界にとって特に意味なんかない。むしろ世界の方から僕が試されている。「なんでお前はここで生きてるの」って。

 収益者と話すために作業会にいった。知り合いに会う。話す。それだけのことだけど、僕にとってはたまらなくうれしいことだった。新鮮で、暖かくて、明日も頑張る勇気がもらえる。人と話すことでそれらが手に入る。たったそれだけでも意味があると感じられる。意味があるっていいことだな。

 僕は一体、どんな人で、どんな人生を歩んできて、僕と話す人にどんな影響を与えていて、どんな影響が与えられて、どうやって振る舞ったらいいのか。気にする必要ないところまで気にして、それがコントロールできるようになれたらいいよね。ああ、終わる。


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