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「中間路線」をひた走る

珈琲をあまり飲まない生活になった。何か強い意図をもった結果そうなっているというわけではなく、なんとなく流れでそうなっている。

環境が変わると、その状況に合わせて自分の中から現れ出てくる部分も変わってくる。そんなことは分かっていたけれど、最近の環境の変化、特に職場環境の変化で思うところは多い。

noteだからこっそり書いてしまおう。以前の職場は社風の影響が強いだろうけれど、社員が表立って誰かの悪口をいったり貶めるような発言は、少なくとも公にはとても少なく、いわゆる(私からみると)「大人な」職場だったと思う。そして今は、「ここは女子高ですか!?」と思うくらい、良く言えば歯に衣着せぬというか、率直な発言や態度が繰り広げられることが多い。「無邪気」ともいえるかもしれない。誤解のないように言えば総じて「良い人」が多い。他者に気を遣ったり助けたり、その力は非常に強く、私自身全然追いつけていない。そう、自分の「内側」の人を大切にしたり守ったりする気風は非常に強い。

一方でまだ「外側」にあるものに対しては、それが一部の情報のみとして存在し、未だ「その人」として存在していない為なのか、何か引っかかるところが見つかると、完膚なきまでの発言をする対象となる。ただ、本人の前で言っているわけではない。

単純に自身の物差しから見た意見および「内」への手加減か、もしかしたら「内と外」という違いではなく、多かれ少なかれあるだろう「自分の立ち位置」を守るための「外」へ対する攻撃性、排他的な、否定的な想いを、心の内に留め置くか、言語化するか、そして他者とその想いを共有して大きな共感の流れを作ってしまうか、そういった違いかもしれない。

それはそれとして、「そんな環境下で私がどんな態度でいるか」ということについてみてみると、最初は「なかなか面倒そうだな」と思ったけれど、その環境で仕事をしていかなければならないわけで、そして私はまだ新人なわけで他者の助けも大いに必要な時期。そんな打算に下支えされ、「中間路線」というのをひた走っている。つまり、「どちらにも大きく寄らない」けれど「仕事が滞りなく進んでいくくらいの関係性は築いておく」というものだ。

まあ、大人な選択肢だろうとは思う。一方でリスクも侵さず、他者ときちんと向き合おうともせず、表面的にやり過ごしているともいえるので、考えようによっては「ずるい」だろう。近くに寄って火の粉が降ってくるのが嫌だというわけではない。ただ自分が感じていないことに共感の言葉を発するのも嫌だし、かといって自分の意見を表明するほどの(自分や状況への)信頼感もまだない、というところだろうか。

全体としてみると「良い職場」で過ごしやすい。単純に私がそこに10割溶け込むことができず、7割くらいの身を置いている、という感じだというだけで、そんなことはいつものことなので既定路線ではある。

以上でまとめたつもりになっていた。読み返してみると「環境が変わると自分から現れ出てくるものが変わる」というテーマで書き始めたのだけれど、よくよく考えてみると職場におけるポジショニングは変わっているけれど、在り方的なところはいつもの私じゃん、と思ったり。縦の縁起と横の縁起。薫習と相対性。ん?よく分からなくなった。

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