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7月になった。



あっという間に7月になってしまった。

前回noteを書いたのはいつだったか、覚えていない(確認しろよ。。)
でも、けっこう前だったんじゃないかな、と思う。

6月にしていたことといえば、読書、羊毛フェルト、タティング、旅と旅行、細々と続けている占いのお仕事、ゲーム、何日か遊び、WEBの集まりに参加をし、動画を定期的に見る、という感じだった。この中で6月に入り新たに加わったもの、となると、読書熱が再燃し、狂ったように図書館で本を借りて読んでいたことだろうか(図書館再開の影響もあるかもしれない)。そしてハンドメイドについては、6月末に本屋さんで見つけたタティングのアクセサリーが美しく、今旬の取り組みだ。動画も頻繁に見るようになった。人との交流も僅かながら増えた。ああ、書いてみてよくよく分かったけれど、忙しくなっている(忙しくしている)。

4月や5月にしていて6月にしなくなったことは、瞑想、御苑通い、山歩き、ブログ投稿になる。御苑通いと山歩きは、暑さの影響もあるだろうけれど、自然を求める何か、のようなものが終息しているような気もする。瞑想は…なんだろう。頭に思い浮かぶこともそれほどなかった。そしてブログは、それほど書きたいことが無かったからか。

こんな風に、あっという間に6月は過ぎ去ってしまった。もう少しいうと、5月の中旬から、時間の流れる勢いが早かった。今思うと、4月中旬から5月のGW空けまでのコロナ自粛の期間は、かなりゆっくりとした時間だったように思う。仕事をしていない私にでさえそう感じる理由は、いったいどういうところからくるのだろう、と思うけれど、よく分からない。もしかしたら、退職後の最初の期間は時間の流れがゆっくりに感じられる可能性があるので、そのせいかもしれないけれど。

さて、昨日から7月。そろそろ動きだすべきか、もう少し今のままの生産性のない時間を継続すべきか、悩んでいる。やる気はまだでてこない。かといって休みが必要なほど疲れてはおらず、きっともう回復しているのだろう。だけれども暑い。様々な手続きの途中であることも思うと、すべてがきれいに終わり、暑さも過ぎ去った9月くらいから動き出してもいいんじゃないかという気持ちにもなる。そして、「こうして人は易きに流れていくのか」という想いも湧いてくる。でもいいじゃないか。最初から半年くらいっていってたし、などという想いも。

話は変わるけれど、あのコロナの自粛期間を懐かしく思う自分がいる(不謹慎だということは重々承知)。あの非日常。日常の様々な機能がストップする。時がゆっくりと過ぎる感じ。そして、二度と再び「あれ」と同様のものが訪れることはないだろう、ということがなんとなく予想でき、寂しさらしきものの欠片みたいなものがあるらしいことに気づく。もちろん、今のエネルギッシュな社会に触発される自分もいるのだけれど。

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