小さな家 ―プライドとは―

(読了目安6分)

「プライド(自信・誇り)」などについて考えるとき、いつもマスターが思い出す話です。


美しい外見の大きな家が建ち並ぶ分譲地に、一軒だけ小さな家が建てられようとしていました。
周囲からは、「あの夫婦はお金がないから大きな家を建てられないんだ」と思われていました。
だれからも興味をもたれないまま建設は進み、やがてその家は完成しました。


庭を広くとった、かわいらしい、「小さな家」でした。


その夫婦には3人の子供がいました。
子供たちが広い個室を持つには明らかに小さな家でしたが、家族の誰もが広い個室を持ちたいとは思いませんでした。
その家が小さかったのは、お金がないからではなく、家族にとって、その大きさで満足だったからなんです。
広くとった庭は、3人の子供たちの遊び場として充分でした。
夜、その家のそばを通ると、いつも家族の楽しそうな会話が聞こえていました。


あるとき、とても強い台風がきました。
台風が去ると、大きな家の何軒かは、屋根がはがれ、壁は飛ばされ、家の中まで丸見えになっていました。
丸見えになった外壁と内壁の間には、建設関連の業者が捨てたと思われるタバコの吸殻や、ビールの空き缶も入っていました。
柱がシロアリに食われていたり、腐っていたり、雑な工事のあともあちこちに見られました。
しかし、「小さな家」は、なにごともなかったかのようにそこにありました。


大雨が何日も続いたことがありました。
雨があがると、屋根の修理を始める家や、大掛かりな地盤調査を始めている家も目立ちました。
雨漏りがあったり、家が傾いたりしたようでした。
しかし「小さな家」は、なにごともなかったかのようにそこにありました。


大きな家で火事がおこったとき、隣の家の壁ギリギリまで大きく建てられた家たちは、次々に延焼してしまいました。
庭を広くとっている「小さな家」は、なにごともなかったかのようにそこにありました。


あるとき、大きな地震がありました。
倒壊する家が続出しました。
倒壊した家のむき出しになった土台を見ると、手抜き工事をしていることがはっきりわかりました。
しかし「小さな家」は、なにごともなかったかのようにそこにありました。


「小さな家」は、どんな災害にも動じることなく、いつもそこにありました。
「小さな家」の持ち主は、災害があるたびに広い庭を開放し、近隣住民に避難スペースを提供しました。



30年後・・・



「小さな家」は売りに出され、土地と家を買ったオーナーは、家の解体業者を呼びました。


解体を始めた業者はびっくりします。

その「小さな家」は、家作りに必要な「当たり前のこと」が、丁寧に実践された家だったんです。


地盤を固める作業、基礎作り、防水、防腐、壁、屋根の作りなど、どこを見ても一切の手抜きをすることなく、ひとつひとつの作業を丁寧に経て作られていました。


解体業者は心の中でつぶやきます。


「この家、今後何十年も使える素晴らしい家だ。なぜ建築業者は素人にわからないような部分にも手抜きせず、こんなに丁寧に作ったんだろう・・・」。


解体業者は、家を作った職人たちの「思い」を考えずにはいられませんでした。

実は、「小さな家」を作ったのは、建築業者ではなく、前のオーナーを中心とした、心でつながる仲間たちでした。
その「小さな家」は、仲間の一人一人が全力を尽くして完成した「プライドの象徴」だったんです。


プライドとは


「あの人はプライドが高いから傷つきやすいのよね」なんていう言葉を聞くことがありますが、本当のプライドとは、「傷つかないもの」です。
上に書いた「小さな家」のように、常に安定したものです。


言葉が出せるようになったばかりの幼い子供から、「おねえちゃんバカだねえ」と言われて動じる成人女性はほとんどいません。
その理由は、子供に対して圧倒的なプライドがあるからです。
しかし、同じことを大人から言われると心が乱れることがあります。
子供から言われても平気なのに大人から言われたら傷つく・・・これは本物のプライドではなく、「条件付きのプライド」です。


プライドが傷つくのは、それが条件付きのプライドだからです。
人として根本的な部分に自信を持てていないからです。
「プライド」は、どんな分野の自信であれ、丁寧に積み重ねた努力の上に成り立ちます。
努力を基礎にしない表面的なプライドは、手抜き工事をした「大きな家」のように、外からの力、つまり、他人の言葉で簡単に崩れます。



人が人として本物のプライドを持つために必要な努力とは、短く書くと、「愛する努力」です。
「愛する努力」とは、たとえば、「目を見て元気にあいさつする」とか「約束を守る」「感情的な批判をしない」などです。
「自分がしてもらいたいことを他人にすること」「自分がされたくないことを他人にしないこと」などと言ってもいいかもしれません。


しかし、そんな「当たり前」のことを丁寧にやろうとすると・・・なかなかできないのが現実です。
多くの人が、目先の快楽に飛びつくからです。


「愛する努力」は、理屈では単純ですが、実践は困難です。
たとえば、料理をしているときの「鼻歌・楽しそうなふるまい・プラス発言」などは、これからその料理を食べようとする人に対する愛ですが、体調や気分に左右されてしまい、なかなか実践できないのが現実です。


しかし、あなたがいつも楽しそうに料理をしていると、ある日パートナーは気付くんです。


「いつも楽しそうでお気楽なもんだ・・・ ・・・ ・・・あれ? ちょっと待てよ、生理痛とかあるはずなのに・・・もしかして、あえて元気にふるまってるのか・・・彼女、すごい人だな」と。


元気にふるまう努力を楽しめるようになれば、たとえパートナーから「おまえはいつもお気楽でいいよなあ」と言われても動じることなく、「うん、そうね、ありがたいことね」と笑って返せるようになります。


笑って返せれば・・・そうです、それが「本物のプライド」です。


みなさんも、愛する努力を丁寧に積み重ね、ゆるぎないプライドを身につけてください、「小さな家」のように。



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