愛は地球を救う? ―地球はピンチなのか―


(読了目安10分)

先日、ふと「愛は地球を救う」というキャッチコピーの「24時間テレビ」を思い出しました。

今回は、「愛は地球を救えるのか」「母なる地球は人類になにを望んでいるのか」、このあたりについて、マスターの視点から書いてみます。

「愛は地球を救う」という合言葉のもと、地球環境を守る活動をしている人には理解しにくいかもしれませんが、これまでの思考をシフトするためのヒントにしてください。
本質に早く気付けば、その分長く愛されます。

・・・

「愛は地球を救う」

「私たちの愛で地球を救おう」

こんな考え方で活動をしている人は、長く愛されることはなく、表面的な人間関係の中で以下のような感覚が続くはずです。

「なぜか活動が充実しない」

「なぜか賛同者が増えない」

「活動そのものが表面的なものに感じる」



その理由は、愛や環境という美しい言葉の「表面」しか見ていないからです。
長く愛されるのは、「本質」を理解し、実践している人です。


「愛は地球を救う」と聞くと、「地球が危ない・地球が困っている」という前提だとわかります。
しかし実際、「救い」が必要なほど地球はピンチなんでしょうか・・・


地球は、人類が考えるほど弱くなく、むしろとても強い存在です。
なんと言っても、全ての生命を生み出した母なんです。


地球にはクレーターがいくつもあるのを知っていますか?
大きなものでは、メキシコのユカタン半島に、「チクシュルーブ」と呼ばれるクレーターがあります。
約6千5百万年前、隕石の衝突によって、広島型原爆の500兆倍とも言われるエネルギーを受け止めた跡だと考えられています。
しかし地球は破壊されることなく、大打撃を受けたのは、主に太陽光を必要とした生物たちでした。


隕石衝突直後の急激な気温の上昇の後、チリや有毒ガスで太陽光が遮られ、地上では低温状態が続きましたが、それらは「生物にとって悪い環境」だっただけです。
地球にとっては、暑くも寒くもなく、有毒でもなく、「ちょっとした変化」でした。
隕石の衝突後も地球はそこにあり続け、やがて「人類」という新しい生命さえ生み出しました。


地球は、広島型原爆の500兆倍のエネルギーを一度に受け止めても平気なんです。
それが地球の「本当の強さ」です。


単純な計算をしてみましょう。
仮に「広島型原爆の500兆倍のエネルギー」ということは、たとえば広島型原爆の1万倍のエネルギーの爆弾を、年間100個のペースで5億年間作り続け、できたものを一度に爆発させたエネルギーです。
・・・途方もない数字で、わけがわかりませんよね。


人類の科学は急速に発展していますから、単純に上記のような計算はできませんし、隕石の衝突エネルギーの計算についても諸説ありますが、いずれにしても、当面の人類の実力では、地球に壊滅的な傷をつけるのは不可能ということです。
生き物の中で一番地球を傷つける力を持つ人類が地球に傷をつけることができないなら、地球が「救われたい」と思っていないことは明らかです。


ではなぜ、「圧倒的な強さを誇る地球」に対して、愛は地球を「救う」という考え方があるんでしょうか。


・・・それは、人間側の都合です。
情報は常に、それを発信する側の利益になるように流されています。
「愛は地球を救う」というキャッチコピーは、その情報で儲けようとしている人たちが流しているわけです。

45億年の歴史を持ち、「圧倒的な強さを誇る地球」に対して、人類は200万年の歴史しかなく、目先の欲に振り回される「か弱い存在」です。
そんな人間が「地球を救う」だなんて、身の程知らず以外のなにものでもありません。
「愛は地球を救う」とは、人間の「欲」が形になった言葉なんです。


きっと「母なる地球」は人間たちに言います。

愛は地球を「救う」ですって?
私のことなんかどうでもいいから、私を利用して稼ごうとするやつらの腐った根性を救いなさい。
それにね、環境の変化は私にとっては問題ないけど、あなたたち人間にとって不利益になるわ。
争いに勝つために兵器を作ったり、私利私欲で汚染物質を垂れ流すのはやめたらどうなの?
私のことより、まずは自分のことを愛しなさい。
それに、そもそもあんたたち、「愛」の意味を知ってるの?



「愛は地球を救う」とは、一見美しい言葉ですが、本質は、人類の傲慢さや目先の快楽を追う弱さから出た商業的な言葉です。
その証拠に、そのキャンペーンのイベントで多額のお金が動き、参加者の多くは、プライベートでことごとく問題を起こしています。
本当の愛を知る人は、プライベートの土台をしっかり構築し、平和で安定した生活を楽しんでいるはずです。

※イベントの裏事情は、検索すればいくらでも出てきます
(もちろんその情報も全部が事実だとは限りません)




◎愛は地球を救えるか


愛は地球を救うことはできません。
その理由は、地球はピンチではないからです。
地球は人類に対して救いを求めていませんし、そもそも人類は、地球を傷つけることができないほど小さな存在です。


そして、仮に愛が地球を救うことができるとしても、自分を愛せない人が他人を愛せないように、戦争をやめられない人類が、地球に愛をそそぐことはできません。


しかし、「だったらやりたい放題やろう」という考えでは、人類自身の「誇り」や「存亡」に関わる問題になります。
環境破壊や環境の負担になることは、「地球のためにしない」ではなく、「人類そのもののためにしない」、つまり、あなた自身のためにしないことが大切なんです。


ですから、特に「愛は地球を救う」と言っている人が、環境にとってマイナスになる行為をするのは避けるべきです。
マイナス行為の身近な例の代表は、「飲酒」や「過食」です。
飲酒は病気や事故、人間関係の悪化など、様々な「破壊」の原因になり、生産性のないものです。
また、二酸化炭素放出の主な原因となる車で移動し、「ダイエットしないとね・運動しないといけないわね」と言いつつ、「愛は地球を救う!」と言う人もいますが、そんな人が地球を救えるんでしょうか。



◎お酒で打ち上げ(反省会)


「24時間テレビ」という番組の出演者の中には、終了後の打ち上げで、「飲み会(飲酒・過食)」をする人もいるようです。
しかも、「反省会」という名前がつくこともあるようですが、これは、「愛」という視点から見た場合、ありえないことです。


飲酒は、健康面で自分に対する愛ではないだけでなく、地震などの緊急時に、自分を含め、大切な人を守れなくなります。
また、過食が愛ではないことは、何度も書いている通りです。
もしキャンペーンそのものを愛の表現としているなら、参加者はそれで満足できますから、わざわざ打ち上げなどは必要ありません。
団結力を高めるのが目的だという考え方もありますが、飲酒をしなければ団結できないような「子どもの思考」では、自分を救えていないわけですから、「地球を救う」など到底不可能です。


いつも書くように、「会議」で飲酒をしないのは、大切なことを決める真面目な集まりだからです。
お酒の席はその逆と言えますから、反省などできるはずはありません。
「さらに愛をそそぐにはどうすればいいか」と本当に反省したいなら、お酒なしで集まるのが愛です。
飲酒を含む打ち上げは、打ち上げ参加者にとって、キャンペーンそのものがストレスになっていることや、愛をそそぐ気がないことを示しています。

※飲酒や過食がなぜマイナスか、「お酒」「ダイエット」マガジンも参考に



◎地球に心があるなら


地球は、人間が与える物理的な環境の変化に対してほとんど影響を受けません。
しかし・・・もし地球に「心」があるならどうでしょうか。
地球に「心」があるなら、ふがいない人類を悲しみ、地球の心の環境はボロボロかもしれません。
ですから、「地球に心がある」という前提なら、人類は、ボロボロになった地球の「心の環境」を救うことはできます。


では、「地球の心の環境を救う」とは、いったいどいうことでしょうか・・・


それは、あなたが幸せになることです。


「母なる地球」は、自分の子どもである人類の幸せを願っています。
ですから人類が、母なる地球に誇れる「幸せ」を手に入れればいいんです。
それには、人類がまず自分自身に愛をそそぐ必要があります。
それぞれの大人たちが自分に愛をそそげるようになったとき、人類は人類を救うことができたと言えるわけです。
そして、人類が人類を救う旅の第一歩こそ、あなたが「本当の幸せ」をつかむことです。
「私は幸せよ」とムリに信じるような「苦しい幸せ」ではなく、そう信じられるだけの努力をした後の、厚みのある本当の幸せです。


ということで、地球に心があるという前提なら、愛で地球を救うことは可能です。

具体的には、
「人類が自分に愛をそそぐ」
「人類が自分の責任で幸せになる」

ということです。

その旅は長い道のりですが、きっと地球は、人類の成長の旅を見届けてくれます。




◎まとめ


地球の未来を心配する必要はありません。
人類が心配するべきは、「人類の在り方」についてです。


みなさんはまず、愛とはなにか考え、自分の責任で幸せになることを考えましょう。


合言葉は、「愛は私を救う」です。


自分を愛せない人が他人を愛せないのと同じで、自分の責任で幸せになれない大人に、他人を救うことはできません。
自分を愛し、愛で満たされたら、溢れる愛を周りにそそいでください。
そのとき、あなたの愛は周囲を救うことができ、同時に、その愛はあなたに返ってきます。
あなたを生んだ母なる地球は、それがなによりの喜びです。



余談:A子さんの場合


現実にある話として、以下のような人が長く愛されるか考えてみてください。

A子さんは、穏やかな女性で、誰かから嫌われる性格ではありませんが、食卓でひじをつき、クチャクチャと音を立てて食事をします。
身長157センチ、体重は58キロの「太め」です。
普段から動きは鈍く、運動をすれば、だれが見てもそれが顕著です。
脂肪という荷物を背負っているわけですから、体力が続かないのは明らかですが、本人は、「ダイエットしなくちゃいけないんだけど、食べないと力が出ないし・・・」とヘンな言い訳をしながら食べ続け、結局58キロ前後のままです。


そんな女性には長く続くパートナーはできませんから、A子さんは大切な部分でいつも孤独です。


やがて35歳を過ぎたA子さんは、決まったパートナーもできず、人生に焦りはじめます。
そんなとき、「自分にはなにができるだろう、なにか貢献したい」と考え、「愛は地球を救う」という慈善運動に参加しました。
休日になると、キャンペーンのロゴ入りのTシャツを着て、掃除や募金などのボランティア活動に参加するわけです。


A子さんは運動の輪を広げるために、あなたにも参加を促しました。
さて、あなたはどうしますか?


参加しませんよね。
むしろイヤでしょ。


・・・そういうことなんです。
太めの人のボランティア活動はアウトなんです。
愛をそそぐために活動をしているわけではなく、ボランティア活動から幸せをもらおうとしている人、つまり、「自分のことを救えていない人」がボランティア活動をすると、ボランティア活動の価値を下げてしまうんです。
「世界には飢餓で苦しんでいる人がいる!」と言いながら自分はたくさん食べているんですから。


自分に愛をそそいでいない人は、「愛は地球を救う」というキャンペーンに参加することで、その場では孤独感をごまかすことができますが、より大切な、「現実の世界」では孤立するんです。
しかも、人は35歳を過ぎるとほぼ助言をもらえなくなり、周囲はただ笑顔のまま離れていくだけです。


みなさんは、今のうちにしっかり自分に愛をそそいでください。
長く愛されたいなら、相応の努力が必要です。



今回は以上です。
ずいぶん大きなテーマでしたが、今後もいくつか「母なる地球・環境保護」などをキーワードに、似たような投稿をしたいと思います。

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