太めは富の象徴ですか?

(読了目安6分)


「どうしても食べてしまう」

「どうやったら食べずにすむだろう」


この気持ち、よくわかります。


今回の投稿は、食べるのをストップしたいけどできない人のヒントです。
視野を広げることでなにか変わるかもしれません。


みなさんは、「よりそいホットライン」という無料の電話相談窓口があることを知っていますか?
東日本大震災後の社会不安に対応するために、国の援助でできた窓口らしいです。


そこに電話すればなんでも相談できるというのが好評で、1日の対応可能件数が1000件ほどなのに対し、相談件数はそれを上回る人気ぶりなんだそうです。


「住むところがない、仕事がない、今後どうすればいいのか・・・」という生活相談から、恋愛系の相談まで、内容は様々だとのことです。


マスターが以前知ったニュースですが、「よりそいホットライン」に、


「いまお金がなくて、5日間何も食べていない」


という中年男性からの相談があったそうです。
相談員がその状況を「緊急」と判断し、男性に食料を届けて助けた、という内容でした。


これだけならマスター的には「めでたしめでたし」なんですが、ふとパソコン画面右の広告欄を見ると・・・


「ワガママ女子のダイエット。あなたもこれで痩せられる!」


こんな感じのダイエット関連の宣伝が掲載されていたんです。


一方ではお金がない飢餓状態の「中年男性」が、「5日間食べていない」という状態におちいり、一方では食べ過ぎた「ワガママ女子」が「余計な脂肪を落としたい」とお金を使う・・・なんともすごい「差」ですよね。


飢餓状態の男性とワガママ女子の記事を読んだとき、ネパール滞在中に目にした衝撃的な光景を思い出しました。


自己紹介」でも少し触れましたが、マスターは、20代のとき難病を発症し、東洋医学での治療のため、ネパールに5ヶ月間滞在したことがあります。
マスターの滞在先から歩いて10分ほどの丘の上に、外国人向けの高級ホテルがあったんです。
マスターも、体調がいい時はそのホテルまで歩いて行き、ホテルのプールサイドでコーヒーとパンを楽しむことがありました。
ホテルの中庭には緑色の植物が植えられ、赤い花が咲き、空は青く・・・なかなかの気分転換でした。


しかし、ホテルまでの道のりの途中、毎回のように、ゴミあさりをしている貧困層のネパール人の姿を見るわけです・・・
車で牽引するタイプの大きなゴミ箱の中にネパール人が入り、中のゴミをあさっているわけです。


マスターは優雅にコーヒー、貧乏なネパール人はゴミあさりなんです・・・

発展途上国に行くとよくある光景なんですが、20代のマスターには衝撃的で、あの光景は今でも忘れられません。


以下、たまたますぐに出せたので、そのときの写真です。
写っている子供たちの母親が写真を撮ってくれました。
日本人なら、無職で闘病中の身分でもホテルに入れますが、貧しいネパール人にとっては夢のような場所です。


ネパール、丘の上のホテルの中庭にて。
写っている女の子のお母さんが写真を撮ってくれました。
ヨーロッパ人の親子がプールに入っています。

1995年前後 ネパールにて


さて、日本の話に戻り、みなさんに質問です。

1 「食べ物が欲しい、もう5日間食べていない」

2 「痩せたいのについ食べすぎてしまう」

もしあなたが「よりそいホットライン」の相談員だったら、どっちの悩みを優先して解決しようと努力しますか?


もちろん「悩み」というのは主観ですから、どっちの悩みも当事者にとっては深刻なんです。
しかし、もしあなたが相談員だったら、やっぱり1の相談を優先したくなりませんか?


ワガママ女子の「痩せたい」という悩み・・・本人にとっては深刻であっても、社会的、客観的な視点から見ると贅沢な悩みだと理解できると思います。


太めの人は、生きるためではなく、ストレスを解消するために食べているわけですから、

「私はストレスを抱えています」

「ストレスをためない方法がわかりません」

と言っているのと同じです。


昔、「太め」であることが「富の象徴」だった時代もありました。
しかし現在の日本では、「太め」はなにを象徴しているでしょうか。
少なくとも、知恵の象徴ではないと理解できるはずです。


みなさんは、知恵のある人をパートナーにしたいと考えているはずです。
しかし、人間は、自分と同じ大人度の人と付き合うことになりますから、知恵がなければ相応の人と付き合うことになります。


生きるために食べる必要があるなら、できるだけおいしく食べる工夫は大切なことです。
まずいものを食べるとストレスになりますからね。
しかし、食べる目的が「娯楽」となり、誇れる体重をキープできなくなるのは本末転倒です。
「食べ物中毒」と言えるかもしれません。


どうしても食べたい時、自分はなぜ食べるのか、考えてみてください。
生き延びるために食べるのか、娯楽のために食べるのか・・・
もし娯楽のために食べるなら、娯楽が必要な原因となる「ストレス」を抱えない生き方を選ぶのが「知恵」だと言えます。
「ストレス解消のため」と食べる人も多いですが、食べても解消できないから、次々に食べ続けてしまうんです。
ストレスを溜めなければたくさん食べる必要はなくなります。
ストレス発散のためにお酒とタバコに1千万円使った夫婦が、結局離婚した話があるんですが、これは酒やタバコでストレスは解消できないということを証明しています。
同じように、食べることでストレスを発散しても、根本はなにも解決しません。
ストレスを溜めない生き方を選ばない限り、食べ続けることになります。



◎まとめ


世の中には、5日間食べていない人や、極端な場合は餓死する人もいます。
一方で、食べ過ぎてしまい、太めの体型を悩んでいる人もいます。


太めの人は、なにか食べたくなったら以下を考えてみてください。

「私は生きるために食べているのか、ストレスを解消するために食べているのか」

「私は自分の責任で幸せになろうとせず、食べ物から幸せをもらおうとしていないか」



「食べずにはいられない」という精神状態は、アルコール中毒と似ています。
みなさんは、物質的に豊かな国の国民です。
せっかくですから、心の状態も豊かに保てるといいですね。


余談:
戦後、国民の悩みは「食べたい」でした。
そんな食糧難の時代から、国民の多くが「痩せたい」と悩めるようになったのは、国民の努力もありますが、優れた政治家たちががんばったおかげでもあります。
その政治家の中で、歴代で一番長く首相を務めた安倍晋三さんが、今日のお昼、奈良県の路上での演説中、銃弾に倒れて亡くなりました。
死亡時刻は17時2分と発表されましたが、これは安倍昭恵夫人が病院に到着した2分後、つまり「ほぼ即死」で、婦人の到着を待って延命装置を外したということだと思います。
政治家の妻として覚悟はできていたかもしれませんが、銃撃された夫の延命装置を外す判断がどれほどのものだったか、マスターには想像できません。
安倍さんは、マスターと同じ「国の指定難病(潰瘍性大腸炎)」で政治活動を中断した時期もあり、マスターにとっては同病の先輩として親近感がありました。
彼の独特の話し方は、聞き取りにくいですが苦痛ではなく、新型コロナウイルスに関する当時の演説の様子は、今でもマスターの記憶にあります。

ご冥福をお祈りします。

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