宗教 8 教祖に悩みはあるの?

(読了目安5分)

今回は以下5つの短編です。

◎教祖に悩みはあるの?
◎内部抗争はあるか
◎宗教は平和を生むか、争いを生むか
◎自分の宗教だけが正しいのか
◎「この宗教じゃないと病気は治らない」は本当か



◎教祖に悩みはあるの?


宗教の教祖は、多くの信者に幸せの見本を示す立場の人です。
悩みを解決するのが仕事と言ってもいいですから、悩み事なんかあったらおかしいですよね。


しかし実際は、悩みはあります。
多少の違いこそあれ、どんな教祖でも悩んでいます。
人は自分のことでも精一杯ですが、それに加え、数千、数万の信者の問題や、教団の経営の問題もあります。
宗教に期待しすぎたり、信じ込みすぎたり、教義の誤解などがあったり、またある意味「過激な信者・不真面目な信者」もいるでしょうから、そんな人たちのことでも悩むでしょうね。


それから、信者獲得(シェア争い)の悩み事や、家庭を持っているなら、それにも悩みは尽きません。
先日も書いたように、宗教家の離婚や、考え方の不一致による親族の追放などもあります。
マスターの知人にも、自分の家族のことで悩んでいるお坊さんがいます。
また、神社の宮司は「教祖」と言えないのかもしれませんが、2017年12月の、富岡八幡宮の宮司刺殺事件は最悪でした。
ものすごい恨みのぶつけ合いの末、元宮司である弟が、やはり宮司である姉を刺殺して自害しましたが、弟も姉も、お互いを理解し合えない悩みがあったはずです。


人間は不完全ですから、いろいろな悩みがあります。
そして宗教は、そんな人間が作ったものですから、宗教を信仰しても、悩みから解放されることはありません。


「教祖も悩んでいる」というのが現実です。
信者を悩み事から解放するのが教祖の役割ですが、教祖自身が悩んでいるんですから、信者が悩みから解放されるはずはないですよね。

※よかったら「心理学者も悩んでいる」も参考にしてください




◎内部抗争はあるか


大きな宗教団体になるほど内部抗争はあります。
教祖も大変でしょうが、場合によっては、信者もそれに付き合うわけですから、いろいろ大変でしょうね。
内部から崩壊してしまう組織もあると思います。
上にも書いたように、それが表に出た一例として、富岡八幡宮の事件がありました。



◎宗教は平和を生むか、争いを生むか


歴史から見れば、両方生みます。
多くは平和を目指している宗教ばかりですが、作ったのは人間ですから、宗教対宗教の戦争は絶えません。
お互いに愛を誓った夫婦が、やがてケンカをするのと似ています。
皮肉ですが、平和のためにある宗教がなくなれば、平和に近づくということです。


◎自分の宗教だけが正しいのか


マスターは、自分が信じるものだけが正しいとは思いませんが、宗教を信仰している人の中には、そう考えている人もいます。
一度入信したら、そう考えないとやっていられない、もしくはそう洗脳されてしまうんでしょう。
信じれば楽になれますからね。


◎「この宗教じゃないと病気は治らない」は本当か


これには2つの答えがあります。


宗教を信じている人にとっては「その通りだろう」となり、信じていない人にとっては、「そんなはずないだろう」です。


前回も書いたように、「信じる力」が自分を癒します。
ですから、本気で信じている人は、治れば「宗教のおかげで治った」ということになり、治らなくても、「これ以上悪化しなくてすんだ」と解釈するはずです。


実際は、宗教によって治ったかどうかというのは、以下の4つのパターンを調べなければわからないことです。

1 宗教をやって治った例


2 宗教をやって治らなかった例


3 宗教をやらなくて治った例


4 宗教をやらなくて治らなかった例


この4パターンを調べる必要がありますが、いつも書いているように、人生は一回だけの本番ですから、4回生まれかわって全部調べるわけにいきませんよね。
信者にとっては、「信じたんだから治らなければモトが取れない」、という思いもあり、治ったことにするかもしれません。
「コストをかけた分、回収しよう」とする心理によるものです。


教団も、信者に対してはとことん信じさせてあげ、「信じる力」で信者の自然治癒力を極限まで上げる、というのが実力のひとつだと言えます。


信者にとって教祖が絶対的信頼者、または教義が絶対的なものであるほど、信者の病気は治りやすく、また、治らなくても「この程度ですんだのは宗教のおかげ」と判断し、心が安らぐことは充分に考えられます。


「自己紹介」にもあるように、マスターはおそらく生涯難病と付き合いますが、たとえば現在の体調について、昔のマスターなら「病気」と判断しました。
しかし現在のマスターは「まあまあ良い体調」と判断します。
病気の状態は同じでも、人生経験によって受け止め方が違ってくるわけです。
たとえば、医師が「あなたは病気です」と診断しても、本人がそう思っていなければ病気じゃないですし、医師が「あなたは健康です」と診断しても、本人がそう思っていなければ健康じゃないということです。


そう考えてみれば、信じる力というのは本当にすごいものです。
病気は、その病状が同じであっても、それをどう解釈するかによって、治ったことにも治らなかったことにもなるからです。
ですから、宗教の信者の中には当然、「この宗教じゃないと病気は治らない」と主張する人がいますし、実際、その信者にとっては事実なんです。
そしてさらに、信者ではない人にとっては、その宗教で病気が治るかどうかは「どうでもいいこと」です。


広い意味で言えば、

「この宗教じゃないと病気は治らない」

と言っている人も、

「おまえの宗教で病気が治るわけがない」

と言っている人も、

両者とも正しいと言えますし、両者とも間違っているとも言えるわけです。




今回は以上です。

次回は「宗教の勧誘は人助けなのか」

「教祖が生きている宗教はダメなのか」など書こうと思います。

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