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運が良いのではなく、頑張ったよ!

好き嫌いはある

 運というのはあまり好きではありません。

運が良かったから出来た、叶った、という言葉を私たちが言うのであれば、まだ少しは分かりますが、それを他人が言うと意味すら分かりません。

そもそも「運」を創り出した原因や環境は私たちが頑張ったからです。

謙虚さが0だと言うならそうかもしれませんが、その「運」を勝ち取るために、勇気を持って行動した私たち自身をまず褒めていいと思います。

バランスか?

 しかし、自分を褒めることをやり過ぎると、今度は周りの人間から妬まれる、叩かれる、と思います。

これは私たちの長い学生生活や社会生活上で身に付いてしまったものです。

そこで、私たち自身の努力を「運が良かったから」ということにしておけば、嫉妬などは向けられにくい、ということになるとおもっているのではないでしょうか。

低くない!

 あまり私たち自身の頑張りを低く見積もっていると、今度は失敗した時の改善が難しくなります。

前回の成功は運が良かったから、と本気で思うようになっているので、失敗した時に「運が悪かったから」と終わらせて、改善が出来なくなります。

あの時は○○がいて、情勢も○○だったから、の理由付けで終わるのではなく、「では今回目指すもので○○に代わるものはなにか、それを手に入れるための条件は何か」など考えることで、行動の続きが出来るようになります。

私たちはきっと1人1人が頑張っているのです。

頑張っても認められないから、擦り減って頑張ることを止めている場合もあります。

頑張りをまず私たち自身が!

 この場合の認められないの一番の相手は「私たち自身」です。

私たちがまず「運」の良し悪しに左右されることなく、私たちの頑張りを認めるようにしましょう

SNSでの誹謗中傷は本当に怖いですし、匿名性での攻撃性の高さはジンバルドー博士の監獄実験でも知られています。

公に私たちはすごいぜ、頑張ったぜ、アピールはしなくても良いですが、仲間内ではやっておきましょう。

そして、あなたの頑張りを認めないグループに属しているならばすぐに縁を切りましょう。

いつしかあなた自身を傷付けることになります。

今日は「運がいいのではなく、あなたが頑張った」というお話しでした!

虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。