ノート

つくる、つながる、届ける。

noteってこんな事が書いてある。

いいなぁ。これ。

と改めて思いました。

どんなに私たちに気持ちがあっても、それを心の中に留めておくだけではどんな気持ちも相手に伝わりません。

怒ってたり

哀しんでたり

楽しんでたり

様々な気持ちがあると思いますが、それを表現しなければ伝わることはありません。

怒っている表情を浮かべたり

哀しいことを言葉で伝えて見たり

楽しいことを身体で表したり

人はその内なるものをきちんと表して、相手に届けることになるのです。


私も漠然として子どもの虐待問題何とかならないかな、など考えていました。

この「考え」自体はあったのですが、それを誰かに伝えないといけません。1人でするにしても問題を見つけるという行動をしなければなりません。

ここで、もし、私がこの考えを思ったまま何もしない、誰にも言わないという選択をとったとすると、何も変わらず、私の中にはこの無形の「想い」「考え」だけがずーっと残ったままとなり、私の生き難さを生むことになります。

だから、まずこの「想い」のカタチを創る。

どういうものでどんな気持ちか、表現をするということ。

そうすると、カタチが他の人の目に触れたり、耳に入ったり、感じてくれたりする。

そうすると、共感されたり、反感されたり、批評されたり、褒められたり、様々な反応が返ってくる。もちろん「無関心」というのも反応となる。

そうすると、広がっていったり、届かなかったり、いろいろ起こってくる。

要は最初の想いを創るところから始まる。

あなたがそう感じたことは正しい、間違ってるを超えて「そう感じた」だけなので良いも悪いもない。

こう感じた私変かな?

なんて悩むことはないし、仮に

変です。

と言われても、気にすることはなく、その評価をした人もあなたにとってはきっと変な人となるから。


あ、ごちゃついてきた!

つまるところ、自分の気持ちを素直に表現しておかないと、心に澱が残る。そうするとあなたの判断が鈍ることになる、ということ。


バスで席を譲りたいな、と思ったら譲ればいいし

大きな会場で講師に聞きたいことがあれば聞けばいいし

感謝の気持ちを伝えたいな、と思ったら伝えればいい。


今席を譲るとこんな目で見られるのかな、

とか

大きな会場にいる人が私を注目して、バカにするかな、

とか

感謝の気持ちを伝えたら、恥ずかしいな

とか

いろいろ悩む方が結果的に誤った判断をすることになる。

衝動買いとかで後悔する人はまず、買い物ではないところから自分の衝動のカタチをつくり、相手とつながり、届けるようにすると判断力が上がってくるケースがある。

いきなり買うのではなく日頃の生活で自分の気持ちを正直に表現する、自分の気持ちに従って行動する、ということでトレーニングをしてみよう!

そんなnoteのコンセプトと生き方をつなげてみました。

虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。