退路を断つのが正しいか?
人と話していて
議論というか
言い合いというか
なんか白熱にしてきてるな
とか感じることありませんか?
特に初めはなんてことない内容なんです。
例えば教育についてとか、将来についてとか漠然とした愚痴とかからの始まりなんですけど、だんだんと相手の方が熱くなっていく感覚。
・・・熱くさせた私にも責任というか、熱くなるほど話せる相手と相手の方が認めてくれた聞き手になった、ととるのかは置いといて。
そこで思った訳です。
全てが行き着く先はバランスだな、と。
という議論を先日、体験しました。
今回のケースで言うと将来の不安にどう対処するか、というもの。
そもそも不安なら不安な事態が起こらないように今、対策を取っておくべきだ、というのが私のスタンス。
お金がなくなるなら、今の間に増やすツールを。
健康でなくなるなら、今の間に健康に気を配る習慣を。
しかし、どうしてもお金がなくなったり、健康でなくなったりしたらどうするのか、というケースならどうする?
という出発点だったのですが、私は時間を極力大切にします。
そこまで対策をとっても、問題が起こったのであれば、その時考えるというのが私の答えなのですが、それでは納得されないということでした。
今出来ることを精いっぱいしていればよいのでは、ということになるのですが、それでは足らないというのです。
いざなった時にどう動くか、保険をかけておくという生き方と
いざそうならないために、今、できることを行動するか、という生き方。
どちらも大切ですが、要はバランスです。
私も考えていない訳ではないのですが、もっと真剣に考えるべきだと、いうことでした。
しかし、保険があると手を抜くのが人と言うモノだと思っています。
少なくとも私の場合はそうです。
例えば、今から一生遊べるだけのお金があったら何をしますか?
働きますか?
失敗してもいいので事業を築きますか?
遊びますか?
思う存分遊びますか?
しかし、現実にはそんなにお金は今ないので、働きますよね?
そうなることが目標なら、それを考える前に、増やすことを考えますよね?
でも、もし、○○たら、○○れば、という前提が架空のものであれば、私は議論をしないことにしています。
その前提を現実にするために議論するのは好きですが、前提が架空の設定で、それを夢として語るのは良いですが、真剣に対策を考えることに意味は見つけられません。
人によっては保険があってこそ、行動ができる、という人もいます。
あくまでも私の場合は、、です。
・・・バランスって大事ですけど、これも相手によるな、と感じた議論でした。
あなたはどちらですか?
退路を断ち前進するタイプ?
退路を確保しつつ前進するタイプ?
虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。