当たり前はない
習慣って本人の中で当たり前になっている行動状態や思考と定義することができますが、当たり前になる前がキツイです。
例えば、1日1冊本を読む習慣をつけようとしたり、毎日長距離を走る習慣、身体に気を付けた食生活をするという習慣、これらは「やっていない人たち」から見るとすごいことだと思うんです。「1日1冊!?」みたいな感じになりますよね。
しかし、やっている方から見ると、なんか好きでさ、とか、落ち着かなくて、とかになります。これはやっている方は大したことがないと思っていても周りから見ると、というやつですが、「すごい」の基準を自分ベースから相手ベースにしたことによって生まれる現象だと思います。
スゴいことは?
私たち自身はあまり気付いていませんが、実は周りの人から見るとすごいことってなんですか。
絶対に1つはあります。
この発想はポジティブと言われそうですが、そうでもありません。
ポジティブというならそれでもいいのですが、もともと「基準点」が人によって異なっているから「評価」が生まれるので、その「評価」にポジティブなものもネガティブなものもないと思います。
視点を変えて習慣を褒める
さて、少々脱線しましたが、会社を10年以上続けている人はそれだけでもうスゴイになります。
当人にとっては惰性だよ、とか、止めたいんだけど他に雇ってくれるとこなくて、とか大体ネガティブな理由をつけてきますが、周りから見るとすごいんです。
1つの会社に10年以上、惰性で10年は続かないでしょうし、他に雇ってくれるところがないとかいうのであれば、その会社では価値を発揮しているということとも取れます。
習慣の前に価値判断
私たちはもしかすると、新しい習慣をつける前に、今ある習慣を見直し、その正しい価値判断をすべきかもしれません。
例えば、今の習慣を見直した時、マンガを読む、ゲームをするということが習慣になっているのであれば、それは今の人生を生きている自分にとって彩りを与えているものかもしれません。
しかし、逆に、目指すものが変われば、あまり必要のない習慣になるかもしれません。
なんとなく伝われば大丈夫です。
習慣に良し悪しもなく、目指すものに適切か不適切か、ということです。不適切なら、思考や行動を整え、理想の習慣を作っていきましょう。
その際は今の習慣に「ありがとう、目標を変えたので手放します」とでも心の中で唱えておきましょう。
あれも、これも、では結局何も手に入りません。
1つずつきちんと手に入れていきましょう!
虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。