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ママは子供! vol.39

我が子に、ママってどんなお母さん?
と聞くと『ママは、子供!』と言う。

頼りないのか聞くと
『いや、頼りは有るけど、落ち着きが無いというか
無邪気やねん。普通のお母さんは、公園とか行っても、はしゃいで走ったりせぇへんやん。

ママは誰よりも走るやん。そんな感じ♪』

と言う。

これを聞いた時に、うちの父が思い浮かんだ。

私が幼い頃、父は仕事で、殆ど家に居なかったけれど
年に2回、海水浴と、スキー旅行だけは欠かさずに連れて行ってくれた。

連れて行ってくれた。と言う表現より
父が大好きだから欠かさなかった!と言うのが正確かもしれない。

それは、決して悪い意味の表現ではなく、普段は私達が起きる前に仕事に出て行き、寝てから帰って来るような生活で

たまの休みには、いつも疲れて寝ていた。

けれど、年に2回の旅行だけは、父は息を吹き返したようにイキイキしていて、誰よりも楽しそうで、私はそんな父を見るのが大好きやったし

長時間、父と遊べる事が嬉しくてしかたがなかった。

いつまでも、この時間が終わらんといて欲しい!という気持ちが、旅行中何度も私の心を支配して

その事が頭を過ぎると、胸がギューンと痛くなるから、それを忘れるために、出来るだけ、この幸せを味わおうと努めた。

私は、父に遊んでもらった!と言う記憶がない。

父と一緒になって遊んだ!という記憶しかない。

友達のような関係か?と聞かれると、そんな事もないけれど、遊ぶ時は全力!!

夏の海では日が沈んで、母に怒られるまで
私達は、砂まみれになって遊んだ。

もちろん、父も一緒に、母に怒られる。

怒る母を横目に、父とはしゃぎながら、お風呂へと走るのも楽しかった。

とにかく、一緒になって本気で楽しむ事が
子供心に、嬉しく、今でも鮮明に私の中で生きている。

そんな幼少期の記憶から、子供に同じ事を
無意識にしていたのだと思う。

それを感じたのは、我が子が小さい頃に
旦那さんが子供に言った
『遊んでやってる』と言う言葉だった。

それは、ごくありきたりな言葉かもしれない。

でも、私の中で、え?遊んでやった?
何でそんな上から目線なん?
遊びたいから、一緒に遊んでるんじゃないの?
と言う思いが湧いて来て

その時はじめて、父が私にしてくれていた事は
世間の当たり前ではない事に気がついた。

一緒にその時間を楽しんでいるのか
やってやってると言う思いでやるのかは

相手に伝わる。

これは、何も私が凄いのではなく

父の当たり前が、私の当たり前になってる。

例えば、大人とは、はしゃいだりしないもの!
子供の様に振る舞ってはいけない。
冷静に、教える立場である。
弱みを見せてはいけない。
感情をさらけ出してはいけない。

など、◯◯とはこういうもの!
◯◯でなければならない!という思い込みは

親から一番、影響を受ける。

私の中にも、世間体を常に、気にしなければならない。
世間の常識からはみ出してはいけない。
と言う、親の教えも、深く根付いていたけれど

教えを超越するくらい、父の自分がまず楽しむ!と言う生き方を見せる事は、私に大きな影響を与えた。

もちろん、ちゃんと叱らないといけない場面はあるし
本当に無知な子供のままでは困るけれど

背中を見せる事、共に体感する事の大切さと、偉大さを知った出来事だった。

さぁ!子供達にどんな背中を見せて生きれるか!?
それも意識に入れて、生きたいと思う。

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