「哲学」では救われない
哲学とはヒトの思いの「体系」です。論理はあっても愛はありません。
分析はありますが救いがありません。
コトバはあっても力がありません。
命がないからです。
「始めに言葉があった」命は、ヒトの心を・魂を・肉をつくりあげます。
そのすべてに命を与えます。
命のない言葉は「死語」です。
批評・論評は私語であり、死語になりかねません。
それは、相手の痛みを共有しにくいからです。
「喜ぶ者とともに喜び、泣く者と共に泣く」言葉がないからです。
コトバが受肉されていないからです。
「あなたがたは虚しいだましごとの哲学で、
とりこにされないように気をつけなさい。
それは心に従わず、世のもろもろの霊力に捕えられた
魂人間の用いるコトバである」
死んだ言葉をもたないこと、
死語は相手の痛みを受け取ることができません。
なぜなら命が入っていないからです。
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