地球の肩たたき

今の世の中の不幸は、お金にならないことは軽視されてしまうことに尽きる。

どんなに自分では良いと信じている活動でも、作品でも、周囲から認められて、対価が得られなければ生業とはならないし、本人には気の毒だが、それは趣味か道楽とみなされるのだ。そして歳を増すごとに世間の厳しいジャッジに晒されるのだ。

目下、地域活動家として様々な活動を展開している私もこの例に洩れない。

理念だけではメシは食えない。確かにそのとおりだ。

例えば、明日にでも食うに困る家族がいるのに、それでも自身の理念や美学にしがみついているのは愚かである。

だが、

「オカネになるなら、法さえ犯さなければ何やっても良い。」というノリでここまで突っ走ってきて、このコロナ騒動において、やっと果たしてこの先の未来はどこに向かっているのか?と感じる人々が増えてきているのなら、現代人はようやく本当の意味での幸せを見出せる段階に来たのだと思う。

理念のみではメシは食えない。

だが、

カネだけでは幸せは続かない。

結局はバランスなのだ。

私は今後、自分の目的と理念を守りながら収益も生む活動にシフトしていくつもりである。

さて、前置きはさておき、

12/20の日曜日に、お世話になっている自然農法の農家の松島さんが主催する大落古利根川河川敷(越谷市船渡)でのゴミ拾いイベント「地球の肩たたき」にリーダーとして参画した。

出水期(降雨量が多い春から初秋頃まで)に上流から流されてきた缶や瓶などのゴミや不法投棄物が水量が減り陸地となって堆積して残ったものを撤去したいと考えたのが切っ掛けだ。人間の経済活動優先のツケを地球環境に回していることへのせめてもの償い、労いといった意味合いがこのイベント名「地球の肩たたき」に込められている。

もともと私が毎週日曜朝に公園掃除をライフワークで継続している実績を買われ松島さんからリーダーを打診され、快諾した。市役所との事前調整や備品の手配、当日の進行を一任させて頂いた。

正直そんなに人は集まらないと思っていたし、ゴミの量からも時間内に終わらないと踏んでいた。

ところが当日は小さなお子さん連れの女性や、10代の学生ボランティア等、総勢20名程の参加者があり、しっかりゴミは分別され片付いて大盛況であった。

これは何を意味するのか?

日頃から自然農法で育てている野菜とその環境についてSNSで記事を連ねてきた松島さんの努力はもちろんだが、

自分たちの出来る範囲で、世の中に良い動きがしたい、役立ちたい、と純粋に思っている人たちが身近に沢山いるということである。

無報酬、タダ働き。

寒空の中、風は強い。作業は疲れる。

それでも誰一人文句を言わずにゴミを拾う。

終了後は満面の笑みで互いを労い、食を囲む。

みんなで良いことをした、という達成感を共有することで、

幸せが増したのだと思う。

(個人的な意見を加えると、人間は土を踏む、緑の中に行く、川や海に触れる、といった自然体験をすることでで本来備わった能力や生きる力が漲るのでは、と考えている)

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今回は小さなお子さんも複数参加されていたが、本当に素晴らしい。連れてきた下さったお母様方に心から感謝したい。

私は常日頃から「隣人に感謝」「足るを知る」をテーマに動いている。

それは先ほど前述したように、コロナ禍や自然災害多発、見通し不明な未来において、それぞれが自分の幸せを自らが発見できるようになって欲しいからだ。

私の願いは、こうだ。

子ども達に幼い頃から、多様な大人たちと関わって、まちの行事で楽しかったと思える体験を沢山して欲しい。そのために大人は子ども達が参加して良かったと思える工夫や努力をしなければならない。そうでなければその街に対する本当の意味での愛着や郷土愛なんて生まれないからだ。物質的快楽や利便性の価値感の中では人は無節操に流動的にあちらこちらへ動いていくものだ。

私がこんにち、あえて時代錯誤甚だしい価値を標榜して動いているのはこうした願いに基づくものだからだ。

地球への肩たたきは、そのまま僕ら自身の心と体をもほぐすものだとつくづく思う。



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