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自己紹介【第三話】~未知との遭遇~

死にたいとは思わなかったけど、ずっと終わりのない
暗いトンネルが続いているようだった。


今よりひどくならなければ、良かったと思っていた。

息子に筋トレをするきっかけを作った人を恨んだ。

同じ痛みを分かち合う人がほしかった。
同じ痛みを知る人と話したかった。


これは当時、私の母が私の私生活から感じていた心の叫びでした。


心の健康家 高橋 崚(りょう)です。


いきなり、こんな入り方をしてしまいましたが、本当に必要な方に
私の記事を読んでほしい、お役に立ちたいという想いから、
母に許可を取り、母が当時 感じていたことを引用しました言葉です。


前回、前々回に引き続き、今回も私の暗い時代のエピソードになります。

暗い内容は見たくないけど、私が言うのも恐縮ではありますが、
もし、私の過去のことを知りたい!という方がいらっしゃいましたら、
5/4(土)に配信予定の記事(自己紹介)は、今までの苦しみから解放されていく
話になっていきますので、そちらからお読みいただけますと、
私も嬉しいです(^^)


↓前回、前々回のブログ(自己紹介)はこちらから↓
【第一話】:https://note.com/kokoronokenkouka/n/nc410351b6e94
【第二話】:https://note.com/kokoronokenkouka/n/nc86a010bf5b7


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思春期 真っ只中の僕。想像もしていなかった、入院生活が始まった。

「なんでこんなところで過ごさなきゃいけないんだ」「早く抜け出したい」
それが正直な気持ちだった。


けれど意外なことに、病院内では、色々なことができた。
大好きな卓球や将棋、映画鑑賞やテレビゲーム、陶芸をやる日もあった。

身体を怪我して入院をしているわけではなかったので、
心のリハビリ的なことは色々とあった。

想定外だった。病院生活は辛い中にもそれなりに楽しみがあった。
会話が弾む方も何人かいて、クラスにいるよりも、きっと人間関係は
良かったんだと思う。

もちろん、イジメなんてなかった。


周りにいるのが家族ではないからこそ、本当に見られたくない自分を
見せないことができた。
だからこそ、イヤな固定観念もあまり気にならなく過ごせていた気がする。

おかげさまで、冷静に筋トレ(今までやっていたようなメニュー)を時間に
縛られずにすることができていた。

私物も持ちこめる物があって、ウォークマンを持ち込んでは、
大好きなポルノグラフィティの曲を飽きずに一ヶ月間ぐらい
ずっと聴いていたりと、心のケアが家にいる時よりもできていたと思う。

あのときは、家に帰られない。家族と会えないのは辛かったけれど、

今思えば、家族から、距離をつくることの重要性も感じている。


ただ、この病院生活でも、大きな問題があった。
それは、ご飯を三食しっかり食べて、けっこう美味しくて、ついつい
おかわりもするから、みるみるうちに体重が増えていったこと(笑)

筋トレをいくらしようが、脂肪を燃やせる有酸素運動がほぼ全くできない。
隔離病棟内をたくさん歩いてもカロリー消費はほとんどできない。
もちろん、走ることもジャンプなんですることもできない。


今このブログを書いていて、こんな発言をしていて
入院費を出してくれていた、父に申し訳なさもでてきましたが(汗)


内心、当時は困っていた。


入院から一ヶ月と十日ぐらい経ち、ようやく退院ができたが、
約9キロも体重が増えてしまっていたことに。

まあまあ、笑い事ではなかった。


退院できてからは、すぐに学校生活に戻った。


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これは、最近の出来事であるが、地元を歩いていたら
当時、中学三年生の時のクラスメイトにばったり会った。

当時は、入院している理由(症状)を恥ずかしかったので、
学校にお願いして、「胃腸炎」と嘘をついていたことを思い出した。
仲の良い友達やクラスメイト、先生に迷惑や心配をかけてしまったこと。

症状を克服した今では、胃腸炎で入院は笑い話である(笑)

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そして、在学しながら中学校を無事、卒業。


中学生の三年間やっていた卓球が強い高校に入ることに。
けれど、その学校の卓球部の厳しさを聞いて、間近で練習を見て、
入りたかった卓球部の入部は断念することに。

その当時は自分自身に対して「根性ないな」と思っていたけれど、
あの時は正しい選択だったのかもしれない。


続けたかった卓球ができなかったこと、小学生の頃、クラブ活動と
スクールに通って、テニスをやっていたことがきっかけとなり、
バドミントンに興味を持ち、バドミントン部へ入部する。

小学生の頃みたいに、自分から話しかけにいって、
自分から友達を作りに行くことはできなくなっていた。

コミュニケーション能力が相当落ちてしまっていた。


バドミントン部でも、周りから相手にされず。

そんな部活動の生活を送っていました。


一度やり始めたことは、途中で投げ出したくない。
途中で投げ出してしまうことに、昔からすごく抵抗があったけれど、
いつしか退部してしまう。


そして、高校一年生の秋頃、一年前と同じ病院に再入院する。


再入院してから、一ヶ月半ぐらいは、前回と同じ隔離病棟へ。

隔離病棟を離れても、今回は退院できず、そこから、二ヶ月間くらい、
外出や外に出て近くまで散歩ができるようになったり、家族と電話ができる
病棟で過ごしました。

正直なところ、高校生活は楽しみがほとんどなかったけれど、
それでも、学校には通いたくて、病院からバスを使って、周りの生徒に
バレないように、今までと同じように高校にも通っていました。

そんなこんなで、二度目の入院から三ヶ月半が経ち、二度目の退院。

二度目の退院後は、体重が70キロ前後ありました。

そこから、二年の時が経ち、高校三年生になり、卒業間近。

一回目の入院前、中学三年生の秋頃と比べると、
ストレスによる暴飲暴食が続いた結果、約40キロ体重が増え、
約90キロの身体となり、体脂肪は当時の2倍以上。

身体を鍛えだした頃は、腹筋が割れシックスパックになっていたけれど、
当然そうはならなくなり、三段腹となってしまった。

筋トレを休んだら、筋肉が落ちてしまうかもしれない。
と、シビアになっていた僕が、筋トレに明け暮れていた僕が、
こんな身体になることは、きっと誰も思いもしなかったことだろう。


続く。


あとがき
いつか、母の当時の想い「同じ痛みを分かち合う人がほしかった。
同じ痛みを知る人と話したかった」を形にしたい!

当時の母と同じ苦しみを持つ方のお役に立ちたいと、
今回のブログを書くに辺り、母にインタビューをして思いました。

きっといつか、しっかりと考え、できるだけ近い未来に形にしたい。
そう思いました。

本当に必要な方に、私の想いが届くように、これからも心の健康家として
活動していきます!!

今回のようなエピソードの経験などの辛かったことを糧に
いま葛藤している方のお役に立ちたいです!


連日掲載させていただいております、自己紹介もやっと折り返し地点。
あと一話ぐらいは、暗い話が続いてしまうかも知れませんが、
気になった方、知りたいと思ってくださった方には、
ぜひ最後までお読みいただけましたら、嬉しいです(^^)


本日も貴重なお時間を使って、お読みいただきありがとうございます!☀

故郷の癒やされる写真を添えて。

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心の健康家 高橋 崚(りょう)

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