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冬の会津

 一月の松の内を過ぎた頃、福島県会津地方に、妻と一泊の温泉旅行に出かけた。目的地は、下郷しもごう町の湯野上ゆのかみ温泉と大内宿おおうちじゅく
 下車駅の湯野上温泉駅は、茅葺屋根と囲炉裏でよく知られる小さな駅だ。
 時期が時期だけに積雪を心配していたが、福島もやはり暖冬なのだろう。駅を出るとちらちら舞い始めていたものの、狭い駅前広場や道路に雪はまったくなかった。
 一軒の商店とタクシーの営業所に人影はなく、道路を歩く人の姿もなかった。人の気配のない建物が道路の両側に並んでいた。観光地とは思えない町並だが、町全体が観光地でもなければ、そう珍しい眺めではないのだろう。地方のごく平凡な町によく見るような、これといった特徴のない、どこかうらさびしい光景が広がっていた。

 駅のそばから出ているボンネットバスに乗って、まず大内宿に向かった。
 大内宿は江戸時代に宿場だった集落で、かつての姿がほぼそのままの状態で受け継がれているという。
 終点のバス停を降り、運転手さんに教えられた通りに歩くと、住宅が建ち並ぶ一角を抜けたところに、忽然と茅葺屋根の家並が現れた。ここでいいんだよなと左右を見渡すくらい、呆気ないくらい唐突な現れ方だった。
 広い街道は舗装されていない土の道で、大勢の観光客がそぞろ歩いていた。
 道の両側に建ち並ぶ茅葺屋根の民家の多くが、民芸品や名産品を売る店や、食事どころとなっている。

 雪が舞っていたが積もるほどではなかった。通りの雪はあらかた融けたのか、土が少しぬかるんでいるばかりだった。
 とはいうものの、やはり真冬の会津は寒かった。店の人の話では、前日までは暖かったということなのだが。
 軒下や屋根には雪が残っていて、時々屋根の雪が足元に落ちてきた。あちこちに看板があり、カミナリが多いのかと思ってよく見たら、「落雷注意」ではなく「落注意」だった。

 そんな民家の軒先では、大きな餅とも団子とも見えるものを、串に刺して炭火で焼いていた。南会津地方の名物で、「しんごろう」というそうだ。
 ある店先では、その家の女の子なのだろうが、正面にでんと座ってしんごろうを食べていた。はちきれそうな真っ赤な頬っぺただった。
 女の子は看板娘の役目を与えられていたのだろう。香ばしい匂いを通りに漂わせながら、客の目を十分意識したような食べ方は見上げたものだった。

 寒さの厳しいオフシーズンなのに、大勢の観光客が次々とやってきた。台湾からと思われるツアー客が、そのほぼ半数を占めていたように思う。若い男女のグループが、道端の汚れた残雪にもはしゃいでいて、雪を放り上げて遊んでいた。

 茅葺屋根の通りの長さは四五〇メートルと、観光集落の規模はそれほど大きいものではない。実際に訪れてみて、思っていたより大分短いと感じた。端から端まで歩いてもそう時間がかからない。
 大内宿では三時間を取っていたが、何度か往復するうちに、資料館や神社などを含め、見るべきものはほとんど見てしまった。店先で売られているものがみな同じようだったが、それはどこの観光地にも言えることだろう。

 通りの突当りに、森林に覆われた小高い丘があった。滑りやすい急な石段をのぼると、子安観音と弁財天が祀られた場所に出た。柵のある短い遊歩道があり、落ち葉が残雪をかぶっていた。展望台になっているようで、集落を見下ろすように視界が開けていた。
 ああこれだ、と思った。
 そこからは、茅葺屋根の民家が建ち並ぶ通りが見渡せた。寄棟造の民家の姿かたちもよくわかった。歩いていた時には気づかなかったが、民家の屋根にはまだたくさんの雪があった。
 すべてが雪に埋もれた白一色の雪景色ではなく、だから人の生活の息吹のようなものが十分に感じられた。店先で客と談笑する住人の姿もよく見えた。
 思い描いていた大内宿の眺めだと思った。歩いている時には見えなかった景色だ。なんとなく感じていた物足りなさが、そこでようやく満たされたような思いだった。

 だが、石段を下りながら、ある思いが胸に兆し始めた。
 今しがた目にした景色は、以前に見たことがあるものだった。それは既視感などではなく、旅行案内やウェブサイトで見た、大内宿の俯瞰写真だった。実際に展望台から大内宿を眺めてみて、写真と同じだと思ったのだ。
 それに気がつくと、満足感はやや異なる色彩を帯びてきた。茅葺屋根の雪や連なる民家や、そこで生計たつきを結ぶ人たちの姿に、心が動かされたのは間違いない。だが、思い描いていた眺めと信じていたのは、実は思い描いていたものなどではなく、写真の映像が脳に刻まれた記憶に過ぎないかもしれないのだ。

 われわれが観光地で見る景色のほとんどは、初めて目にするものではない。溢れかえる情報の中で、事前に多くの画像や映像に親しんでいる。実物を見る前に、見たような気になっていることもある。少なくとも、リアルな像はリアルなままに、記憶に刻み込まれる。
 そんな仮想体験を経たあとに出る旅は、その仮構を現実の中に確認するための手段になりかねない。だから、旅先で実物を見て覚える感動は、その少なからずの部分が、写真と同じものをこの目でみることができたという、一体感にも似た喜びだ。
 仮想体験では得られなかった、空間の広がりやスケールの大きさから受ける感動はあるものの、情報がまったくないまま実物に接した時の感動には及ばないだろう。

 予定調和になるような旅は旅とは呼べないが、無駄を省きコスパを優先すれば、そんな旅になるのもやむを得ないのだろう。
 情報の恩恵に溺れるほど浴しているこの時代に、われわれはずいぶんと貧しい旅を旅しているのかもしれない。
 だが、貧しさの中にも豊かさは見出せるはずだから、それを求めて私は旅をする。

 しかし、とにかく寒かった。
 店の中なら暖かいだろうと思ったが、店舗はそのまま住居になっているので、食事どころ以外は客を招じ入れるような造りになっていない。家の軒先に商品を並べて商っている。保存地区に指定されているから制約があるのかもしれない。中に入れるそば屋で、早々にお昼を食べることにした。 
 ネギ一本を箸代わりにして食べるねぎそばで、体はしばし温まったが、外に出て十メートル歩いたら元通りだった。

*  *  *

 湯野上温泉は、十数軒の民宿と旅館からなる静かな温泉だ。
 民宿街の裏手に渓谷の川が流れていて、道すがら宿の看板が掲げられていたが、それらがなければごく普通の住宅街と変わらない。宿泊する民宿の周囲にも、観光名所のようなところはなく、観光客の姿もなかった。ここにも雪はなかった。
 
 源泉掛流しの湯は熱かった。膝から下だけ入るのが精一杯だったが、こういう温泉なのだろうとガマンした。透明できれいな湯だった。
 翌朝女将さんに、熱くなかったかと聞かれた。湯に入る前に源泉の栓を開き、出る時に閉めるそうなのだが、閉め忘れた客がいたらしかった。
「いい湯加減でしたよ」
 と嘘をついた。

 食事はこの宿の名物らしく、次々に出てくる料理はどれもうまかった。そしてものすごい量だった。妻の分まで食べたので食べきれなくなったが、残すのが悪いようで無理に食べた。
 ほかの客を見たら、食べきれない分はタッパーに入れて持ち帰っていた。完食できる人は少ないという。
 早めに床に就くと、満腹感で時々目が覚めた。

 夜半過ぎから降り始めた雪が、朝になると十数センチの積雪になっていた。二階の部屋の窓からは、降りこめる雪にひっそり閉ざされたような、近隣の家々が眺められた。宿の前の駐車場の雪を、息子の若旦那さんが、小さな除雪車に乗って除雪していた。
 雪はやみそうになかった。若旦那さんが駅まで車で送ってくれるという。
「こんなに積もるんですね」
「いやあ、多い時は一晩で腰の高さまで積もりますからね。これくらいは全然少ない方ですよ」
 話好きな若旦那さんは、子供の頃の地元の話をいろいろ聞かせてくれた。
 駅までの町並は雪に覆われていた。前日歩きながら見た景色とは一変していた。

 駅舎と駅前広場も、降りしきる雪景色の中にあった。背中が丸くなる寒さなのに、何人もの観光客が写真を撮っていた。前日には見られなかった光景だ。さびれた雰囲気もなかった。
 白銀という言葉があるが、雪はどんなものをも白一色に美しく塗り込める。
 会津は真冬の雪の時期にこそ行くべきだという、妻の友人の言葉を思い出した。
 駅舎の中の囲炉裏に火が熾きていた。駅は売店にもカフェにもなっていて、注文すると女性駅員さんがコーヒーを淹れてくれる。コーヒーには小さなくるみようかんが添えられていた。
 囲炉裏のそばで熱いコーヒーを飲みながら、次は女将さんがすすめてくれたように、春に来ようと思った。


記 事 索 引


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