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プロテインいまむかし

「マッチョ」とは筋肉質の体、またはそういう体をした人をさす言葉だが、どんないわれがあるのか気になったので調べてみた。
 きちんとした辞書には載っていないだろうと思っていたが、なんと広辞苑に出ていた。
「男っぽいさま。特に、外面的な体形・筋肉などについていう。」の説明とともに、使用例として「マッチョ・マン」とまである。
 しかも「macho」は、英和辞典にも載っているれっきとした英語で、もとはスペイン語らしい。確かにメキシカンな響きがある。俗語かスラングのたぐいと思っていたが、そうではないようだ。
 調べた広辞苑は第五版で、一九九八年の発行だから、「マッチョ」はその頃にはすでに市民権を得ていたことになる。

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 テレビの何かの番組で、そんなマッチョな若い男がインタビューに答えていた。
 筋トレが趣味という彼は、食品を購入する際に、ラベルの成分表示を必ず見てしまうという。筋肉を作るために必要なたんぱく質がどれだけ含まれているか、贅肉のもとになる脂肪がどれくらい少ないかなどを知るためだそうだ。
 テレビで取り上げられるくらいだから、そんなことをする輩は珍しいのだろうが、それほど驚きもしなかったのは、自分もまったく同じことをしていたからだ。

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 中学の頃はえらく痩せていて、いつも青白い顔をしていた。休み時間のドッジボールや「なすきゅうり」は楽しかったが、基礎体力はなく、だから体育の授業は憂鬱だった。運動会などもってのほかだった。
 体育が好きという同級生は大勢いたが、本当は好きなんていうことはなく、明るく無害な生徒を装うためのウソだと思っていた。
 体育が好きな、つまり運動ができる生徒はクラスの人気者だった。逆に体育が駄目だと「運動神経が鈍い」とわらわれ、勉強が少しくらいできても軽く見られる傾向があった。

 このままではいけないと思ったのか、高校に入ってから自宅で筋トレを始めた。
 最初は哀しくも国語辞典を上げ下げした。次いで女性がダイエットに使うようなボールを持ち上げた。鉄製で三キロだった。それが四キロの鉄亜鈴になり、五キロになり、六キロになって、一番重い十キロまでいった。それ以降は二本をまとめて持ち、最終的に二十キロになった。両手で四十キロだが、これにもすぐに慣れてしまった。上腕二頭筋を鍛えるカールという運動だ。全身の筋肉を鍛えると十種類くらいになった。
 体育が好きになったのはこの頃からだ。筋トレはスポーツの補強トレーニングでもあった。

 筋肉が付きにくい典型的な外胚葉型体質で、筋肉質にはなったが基本的な体型はあまり変わらない。服を着ていると筋肉はわからず、「痩せてるね」と言われることが多いので、そのたびに「脱ぐとスゴいんだぞ」と言ってみたくなる。
 筋トレはほとんど生活の一部になっている。一時間にも満たない筋トレのために、一日の生活のリズムを整えていると言ってもよい。
 そして、たんぱく質中心の食事が筋トレとセットになっている。食事はただ食欲を満たし楽しむものではなく、筋トレ直後の筋肉にたんぱく質を補給するための手段なのだ。だから、筋トレなしの食事は価値が半減するようにも感じる。
 今はさすがにやらなくなったが、スーパーなどで食品を選ぶ際は、ラベルの成分表示に目を凝らし、たんぱく質が一グラムでも多いものを選ぶ。味は二の次だった。
 食事の際には、食品成分表を参考に、たんぱく質の摂取量を細かくグラム計算していた。一日の合計が必要量に届きそうにない時は、それを補う含有量の食べ物を、冷蔵庫をひっかき回して探した。そして、そんな煩わしさを解決するものがプロテインだった。

「プロテイン」とは本来、有機化合物としてのたんぱく質の意味だが、ほとんど商品名として使われている。
 現在はスーパーやコンビニの食品コーナーでも売られている。少し前はスポーツショップにしかなかった。それより前はボディービルのジムにしかなかった。だからわざわざジムまで買いに行っていた。

 そのジムは、元ミスター日本の人が会長を務めていた。あちこちの雑誌の広告には、会長の雄々しいポージング写真が出ていたが、税関のようなジムの受付には、会長自身がちょこんと座っていた。プロテインを販売していることは雑誌を見て知ったと思う。 
 ジムの片隅の広くはない事務室で、うわりに腕カバーをした女事務員さんが、ロッカーから引っ張り出した米袋のようなプロテインを、買ったというより分けてもらった、そんなイメージの記憶がある。
 プロテインは普通、牛乳に溶かして飲むのだが、その頃のプロテインはもっぱらボディービルダーがトレーニングの一環として飲むもので、牛乳に溶いても一般的な食品にはなり得なかった。現在のバニラ味やココア味のような大衆的なものはなく、文字通り味気ない実用本位のシロモノだった。牛乳にまぜても完全に溶けず、大きなダマになって浮いていた。
 プロテインは筋肉を作ることに特化した、ボディービルダーのためだけに用意されたものだった。

 今やプロテインはボディービルダーだけでなく、あらゆる分野のスポーツ選手が飲むものになった。種類や用途もさまざまで、筋肉をつけるためのものから、体重を落とす・増やすことを謳っているものもある。アスリートにとどまらず、健康志向を持つごく普通の人や、ダイエットに励む女性にも飲まれている。子どもプロテインというのもあるそうだ。コンビニには、ゼリー状やドリンクのものから、お菓子と変わらないようなものまで並んでいる。プロテインは選ばれた者だけのものではなくなったのだ。

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 限られた世界の人たちだけのものが、垣根を越えて広がっていくのは今に始まったことではない。しかし、今後そのスピードは加速していくことだろう。何かを選択するに際して、先入観や既成概念の影響を受けず、まったく自由な眼で見ることができる。そうやって選択肢が増えていくのはよいことなのだろう。プロテインの大衆化も、ボーダーレスな社会の一面に違いない。


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