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起こった物事に焦点をあて過ぎず、フワフワと、でも自分をギュッとしてうつろいたい



もう何で見たのかも覚えていないのだけど、
なにかのドキュメンタリー番組で誰かが言った言葉がとても胸に刺さってメモをした。
だいぶ前のメモだから記憶が曖昧。
たしか、海外に居る医師の言葉だったかな。
医療が行き届いていない地域の。
こういう人がこういうこと言うと妙に納得するのはなぜだろうか。さらりといった言葉には重みと深みが備わっていた。



「命の長さじゃないどう生きるかだ」



ここ数年ずっとずっと考えていることで、考えても考えても迷うことはいっぱいで。
でもシンプルにそこがブレずにいれば、どんなことが起ころうとも、そのときはばななさんが言うところのボディブローのようにくらってもまた元の位置に戻れる気がする。

気が散らずに、ああいう思いをさせるあの人が悪いとか、誰が悪い彼が悪いとか考えずに済む。

どうでもいい。
そんなのはもはやどうでもいいのだ。
そんな事を考えている暇はない。
相手を変えるのは不可能だ。
ああしろこうしろと自分の考えを押し付けるのも押し付けられるのも好きじゃない。

ただひたすらにノイズをシャットアウトするしかない。
自分に害のあるノイズをいかに消化できるか。
ここ数年で、自分にとって何が大事なのかちゃんとわかってきたので、そのへんを頭に入れながら日々のことや起こる出来事なんでも選別していく。
段ボール箱に分けて仕舞う作業に近い気がする。


好きとか嫌いとかじゃない。
自分の感覚を信じて動く。
自分の感覚で動けるようになってだいぶいろいろスムーズになってきた。


命の長さじゃなく、どう生きるか
どう生きるかにただただ誠実にいる日々だ。







人にはそれぞれのバランスがあるという。
それはそれぞれだから正解など何も無い。



例えばうちなんかは夫婦で性格真逆で、きっと一生根っこからわかり合えることはないと思う。
友人からは「あんたたちはケンカがコミュニケーションなんでしょ?」という目から鱗のお言葉を頂戴するほどいつも喧嘩をする。
でも、一緒にいる。
「本当に大変なら別の道もあることは頭に入れててね」
これもまた上記の言葉をくれた友人からの言葉。


何度も何度も一緒にいないほうがいいのかと考えたけれど、わたしの中の小さいわたしは「そうじゃない」という。
そうじゃないという理由はわからないけれど、もういいよとなるまでは一緒に居ようと思っている。



それがきっと私のバランス。
夫のバランスもきっとわたし。



お互いにでっかい(合わないという)バランスを抱えて生きている。







話はコロコロ変わって(久しぶりに書くので書きたいことがいっぱい!笑)、
ちょっと前の休日次女の友達親子とうちの一家と少しだけ離れたアスレチックに車で向かっていた。

ついでにコストコも行こう♫なんて言いながら。
通りがてらのコンビニでお昼買おうか?
でも、コンビニだったらもう少し行けばスーパーあるからそっちに行こう♫
なんて色々話しながら。


そしてめったに行かない場所のスーパーでわちゃわちゃ買い物をしていたら、ふと誰かに似た人を見た。
「ん?」
恐る恐るそーっと後ろをついていく。笑
その人は東京に居るはずの大切な友人だった!
そういやあ、ここのスーパー友人地元に近かったんだ!
と、頭でクルクルいろんなことが巡る。


最初は幻かと思ったけど。笑
去年の夏以来会ってなかったからな。(とはいえ、LINEのビデオ通話で4,5時間は3ヶ月に1回くらいのペースで話すのだけど!)
生身の彼女に会うのは久しぶりだったから、何度もハグをした。

「ごめん!急に思い立って帰ってきたから連絡しなかったんだ〜」
彼女は言った。


そんなことは全然気にならん。
むしろなにかの鎖にわたしが縛っている方が気に病む。
好きなように生きてほしい。
のびのびと自由に生きてほしい。
会えるときに会えれば良い。
好きなときに連絡すれば良い。

だってこうやって思いもよらず偶然会えたしな!



彼女はまた言った。

「◯◯◯(わたしの名前)がわたしを好きすぎて引き寄せたわ!」


自分で言うな?
あながち間違いじゃないがな。笑

























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