『本心』を読んで
平野啓一郎さんとpecoさんの対談を見たのをきっかけに、平野さんの著書『本心』を図書館で借りた。返却期限は今日。昨日の朝には3分の1程度しか読み進められていなかったものを、なんとか読了したところだ。ふぅ。
小説を読むのは久しぶりだった。時間がとれず読み進められなかったけど、つまらなくて読み進められないのとは違って、最後の最後まで絶対に読みたいと思わせられた。
舞台は四半世紀後。母を亡くした青年が<母の本心>を探っていく物語だ。
描写はさすがに巧みで、こういうとき、わたしの表現の稚拙さが残念でならないが、繊細に描かれる情景も、主人公の心情も、さらには時代設定も、どれもがリアルさをもって伝わってきた。
もうこの世に居ない人の、知りようもない<本心>に向き合っていく物語を読みながら、わたしは自然と、自分や家族の死との向き合い方を考え、一方でどう生きていきたいかも考えさせられていた。
わが家は家族問題を抱えているところだが、切望してきたのは<本心>で語り合うことだ。それで、<本心>を語りたがらない…というより自分で自分の<本心>を把握していない父の、奥底にあるものを探ろうとさまざまな取り組みと同時に喧嘩もしてきた。
「ひた隠しにする父の本心を引き出すことに意味があるのか」「出したくないという思いこそ本心ではないか」という考えが浮かぶこともあった。でも『本心』を読んで、やはり知るべきだ…というより知りたい。と思った。
ただ知りたいだけじゃない。
本当の心に触れ、共振したい。
それは生きている今しかできない。
向き合っても向き合っても、結局父の本心に触れることができなくても、諦めずに触れようとすることに意味があるのだろう。自分のために。
向き合うことをほとんど諦めようとしているわたしに葛藤が生まれている。
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