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絶望をあじわった日

2021年 5月 午前7時30分
私は自転車で号泣しながら出勤していた。

「うわぁーーーーん うわぁーーーーん」って
すれ違った人はびっくりしてたと思う。

そんな人目をはばかることもできないくらい
自分の気持ちがコントロールできなくなっていた。


原因はいろいろあったと思うけど、
一番大きいのは夫の長期不在と末っ子の不登校。

当時、看護師として働いていた私は
「ちゃんとしなきゃ」に包囲されていた。

・看護師としてちゃんとしなきゃ
先輩看護師より早く出勤して情報をとってちゃんと準備して
手術が滞りなく進むようにちゃんと勉強して準備して
職場で「使えないやつ」と思われないようにちゃんと周りに気を配り
ちゃんと残業して職場に貢献
コロナ禍で子どもたちは家に留守番させながら仕事にもちゃんと行かなきゃ

・母親としてちゃんとしなきゃ
のんびり屋の長女もちゃんとみんなと同じペースですすめるようにしなきゃ自閉症スペクトラムの長男もちゃんと学校生活に馴染めるようにしなきゃ
末っ子が不登校気味だけどちゃんと学校に行かせなきゃ
【普通】のレールに乗って【普通】の進路を進めるようにさせなきゃ
苦手は克服させなきゃ
お友達みんなと仲良くさせなきゃ
PTAとか嫌だけどちゃんと参加して、ちゃんとした母親だと思われなきゃ
子どもたちにもちゃんと手作りのご飯食べさせなきゃ
家事は苦手だけど母親だしちゃんと家事やんなきゃ

正直、いっぱいいっぱいだったけど、
あの頃の私は「マルチタスクができる自分すごいでしょ」ってドヤってた

家事やって、子育てしながらフルタイムで看護師して、PTAまでやって、
すごいやろ?って

たぶん、ずっと「しんどいよ〜」と心の中では悲鳴をあげてた。
でも、この生活を続けるしかないと思ってた。


朝は子どもを叩き起こしてご飯食べさせて、
着替えが選べないという長女に服を着せ、
忘れ物常習犯の長男の荷物をチェックして、
子どもより先に家をでて出勤。

職場でも緊張感の連続で息つく間もないまま、
休憩時間中も下っ端な自分は勉強したり
片付けをしたりと気を使いっぱなし。

仕事を終えて帰宅して
できるだけ手料理で栄養バランスのとれたメニューを作り
子どもに食べさせている傍ら正座したまま気を失い寝落ちする生活。

夜中に目を覚まし洗濯をして食器を洗い、
翌日の仕事の準備をして、

また朝を迎える…


そんな毎日だったけど、どうにか生きてきた。
毎日寝に帰ってくるだけの家。
子どもとまともな会話もない。
私何のために働いてるんだっけ?
いや、こういう生活に憧れて看護師になったんだよね?


何度となく転職を繰り返してた私にとって
看護師という国家資格をとって働くことは
人生をリスタートするために必須条件だと思っていた。

【社会から必要とされる人になる】
看護師として、
母親として、
必要とされるためには
ちゃんと仕事して、ちゃんとみんなの役に立つしかないって
思っていた。

でも、末っ子が小学一年生になった時、
看護師として働けなくなった。

入学式の2日後から不登校が始まった。
最初は張り切りすぎて疲れたのかな?とかあんまり深く考えてなかった。

長女も不登校な時期もあったし、
ま、様子見ようと思った。

とはいえ、仕事上遅刻はできない。
末っ子にあの手この手で学校に行くよう仕向けた。

それでもやっぱり行かない。
「なんで?」
「どうしていかないの?」
「行ってくれなきゃ困るんだけど」
「きーーーーー!!!」って

聞き合いどころか一方的に自分の不満を伝えてた。

もちろんそんな状況で事態が改善するでもなく。

頼れる夫も長期出張中で1ヶ月不在。

ワンオペの限界を超えた時、
絶望はすぐそこまできていた。


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