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「傾聴」の大切さー「心の傷を癒すということ」著作と映画より

能登半島地震の発災から1カ月が経過しました。テレビや新聞などメディアが伝える被災地の現状に接していると、被災した人たちの置かれている状況は極めて厳しく、多くの難しい課題をはらんでいることがうかがえます。
その震災関連報道の中でも、被災された人たちの「心のケア」の重要性・緊急性について伝える記事やレポートが最近、増えてきているのではないかと感じています。

そこで「阪神淡路大震災」の発災1カ月頃の状況はどうだったのか。改めて「心の傷を癒すということ」を読んでみると、次のような記述がありました。

作品社「心の傷を癒すということ 新増補版」

一月末から、中井久夫教授の要請で、大学病院にボランティア精神科医が来てくれるようになった。 三─五日単位で交代しながら、その後もいつも誰かが継続して来てくれていた。 私は彼らと避難所の訪問をはじめたが、当初の湊川中学校だけでなく、 神戸市の兵庫区と 中央区の一部にあるいくつかの避難所を巡回するようになった。
そのうちのある避難所に Jさんはいた。Jさんは、一日中不安と緊張の状態が続いていた。 少しでも余震があると地震の恐怖がよみがえった。 食事はのどを通らず、人と話をする気にもなれず、夜は眠られなかった。相談を受けたボランティアの医師が、大学病院の私の外来にJさんを連れてきてくれたのである。
はじめて診察室に来たJさんは無表情で顔色が悪く、ふるえる小さな声でようやく質問に返事ができるような状態だった。抗不安薬、 抗うつ薬、睡眠導入薬などを処方した。その後の診察で、少しずつJさんは「外傷体験」 について語るようになった。

安 克昌. 心の傷を癒すということ (新増補版 P70-71 作品社)

このJさんのお話がベースとなっているのが映画の次のシーンです。


@2021映画・心の傷を癒すということ製作委員会


「Jさん」にあたる方は、谷村美月さんが演じていらっしゃいます。被災時から続いている苦しみ、恐怖、不安、怒り、いらだち・・・心の中にあるものを、最初は警戒していた精神科医の和隆に徐々に打ち明けてゆくようになります。そしてそのJさんの告白に、このシーンでは和隆はただ頷いています。
このことについて、著作では次のように述べています。

Jさんに対していったいどういう専門的援助ができるだろうか。彼女に有益なアドバイスがあるだろうか。
この場合、私はただ傾聴するほかはない、と思う。しっかりしろ、気にするな、気持ちを明るくもて、運動はどうだ、などのアドバイスは彼女には届かないだろう。私は、ひたすら 彼女の話の邪魔をせずに、 批判や注釈を加えずに聞いた。もっともJさんは、 初診のときからすらすらと自分の気持ちを語ったわけではなかった。自分の苦しみの輪郭を語ることが できたのは、 やっと何度目かの診察のときであった。 一般に、心の傷になることはすぐには語らない。 誰しも自分の心の傷を、無神経な人にいじくられたくはない。 心の傷にまつわる話題は、安全な環境で安全な相手にだけ、 少しずつ語られる無神経な人にいじくられたくはない。 心の傷にまつわる話題は、安全な環境で安全な相手にだけ、 少しずつ語られるのである。
被災者の心のケアを行うさいには、この「安全な環境」「安全な相手」「時間をかけること」がとても大切だ。たとえば、隣の話し声が聞こえたりせずリラックスして話せる部屋を用意すること、家族水入らずの機会を設けること、また、継続して同じ人が相談を受ける体制を作ることなどの準備が必要だろう。だが、それは避難所においてはなかなか困難なことであった。
「同じ体験をした人でないとわからない」という彼女の気持ちは、まさにその通りである。同じ被災地にいても私は同じ経験をしていない。わかりますよ、といったとたんに、私の姿勢そのものが嘘になってしまう。
だが、彼女は助けを拒絶しているわけではなかった。誰にも理解できるはずがないと思いながら、それにもかかわらず理解してほしいとも思っていた。「わかりっこないけど、わかってほしい」のであった。

安 克昌. 心の傷を癒すということ (新増補版 P73-74 作品社)

この記述は、医療従事者や心理職など「心のケア」の専門家ではない多くの人たち(私も含めて)にも、「被災者の心のケア」さらには「心の傷に苦しむ人たちにどう寄り添うか」ということについて考える際の、「立脚点」のようなものを示しているように感じました。特に「傾聴」の大切さを説く部分は、奥深く心に響きました。
 
「Jさんの回復」について、著作と映画の紹介を交えて、次の投稿で少し考えてみたいと思います。

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