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発達障碍は私を生かしてくれた。

発達障碍について、Twitterで色々議論されていて、中にはとても勉強になり、また中には…言い方が非常に悪いのですが、本当にクソリプがあったりしてげんなりすることがあります。今日は、ちょっとあまりにもカチンときたので、私なりの障碍との付き合い方をつらつらと書いていこうと思います。

そもそもの発端はこのツイート。

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は????喧嘩なら7割増しで買うけどいいか?????(短気)

言いたいことはわかるけれど、言い方がとても幼稚で残念。何がこの方にあったのかは存じないけれど、「頭がお花畑」はあまりにもひどすぎる。私は「発達障碍(障害ではない)は個性」だと思っている人間です。でもここにたどり着くまでの道のりだって、平坦だったわけじゃない。自殺未遂や自傷だって5回や6回じゃない。ここに来るまで、自分の障碍を受け入れられるようになるまで20年かかりました。

そもそも、私が「発達障碍は個性」だと思うのは、その「発想の転換力」。私自身、絵を描いたり、小説を書いたり、演技をしたり、ボイスドラマを編集したり鼻歌レベルですが作曲したりと、どれも一流ではありませんが友人たちの間では「多趣味がそこそこ通用するタイプ」として知られています。「何故私が多趣味足りえるのか」。それこそ発想の転換だと思っています。

私自身、昔から長女気質かつイジメられっ子で、なかなか自分の思いを人に伝えることができない不器用な子でした(今でもそうです)それでも絵を描くことが大好で、下手くそながらアニメのキャラクターを描いて、今でいう「二次創作」で物語を考えて楽しんでいました。学生時代はそのことでイジメられたりいじられたりと、多感な中高生時代、大変だったのを覚えています。そんな中…絵を描く気力がなくなってしまったのです。10代の後半だったか…このあたりよく覚えていないのですが、発達障碍の二次障害であるうつ病に悩まされ、絵を描くことが一時的にできなくなってしまった時期があったのです。そこで思い立ったのが、ネットでの声の活動。折しも私の声を気に入ってくれて運よく採用してくださった企画がいつくかあった時期でした。その頃からか、高校時代に一度だけ発表したことがあるFF6の二次創作小説の経験を元に、友人のSF小説のリメイク版の執筆を始めました。こちらも結局はうつ病がきっかけで中断せざるを得ず、未だに未完のままの作品となっています。いずれにせよ、「何かしらの形で自分の感情を吐き出さないと自分をコントロールできなかった」のです。だから、「何か一つできなくても他に何が自分にできるか」と考える癖がついてしまっているようなのです。

元々発達障碍の特徴である「五感の鋭敏性」が顕著で、ちょっとの光でも声を上げて目を閉じてしまう、音や痛み、酸味に敏感である…いちいちリアクションが大きく、小中学校ではよくバカにされたものです。落ち着きもなく、音楽の時間でノリノリにリズムを取っていたらそれだけで笑われ、揶揄されたものです。他にも忘れ物がひどく理解力もそんなにいいほうではなく、高校を卒業して代々木アニメーション学院の声優科でダンスの先生から「貴女の笑顔は100万ドルの笑顔よ」と背中を押してもらうまでは、八重歯がひどく、口を開けて笑うこともままならない没個性の人間でした。そう思うと、今でも恩師と繋がりがある代アニでの多くの出会いが、私にとっての分岐点になっていたのだろうと思います。

絵がダメなら演技、演技がダメなら小説、小説ができなくなったらまた絵…と、ひたすら何か創作に手をつけていました。特に相性がよかったのが演技でした。だって非日常を叫べますもの。特にゲームボイスが大好きで、呪文の詠唱や戦闘ボイスの収録が楽しみで仕方ありませんでした。

そこからまた自分で企画を立てることがあり、編集にも挑戦することになりました。これがとても楽しい。自分がお願いしたキャスト様の声を重ねて、重ねて、物語を紡ぐことができる。世界に輪郭が作れる。これに関しては発達障碍の過集中が災いして、耳が中耳炎のようになってしまって眩暈を起こし、またまた中断せざるをえなかった一面もあったのでてすが、根性で乗り切ったというかなんというか。多方面でご迷惑をおかけしましたが、一応企画としては完成することとなります。その間にも絵を描いたり、小説を書いたり。とにかく自分の感情の赴くままに創作活動や、個人ではありますがサークル活動を続けていました。端から見ればさぞ気移りが激しい、根性のない人間に見えたことでしょう。でも私にとっては「どんな形でもいいから自分の思いや感情を吐き出したかった」のです。

きっと発達障碍でなければ、ここまでたどりつけなかった。

ただ、これは発達障碍だからなのか、たまたま私がそういう考えができる人間だったからかなのか…定かではありません。というのも、私は双極性障碍も持っており、治療のメインはどちらかというと双極性障碍に偏っており、コンサータのようなADHD治療薬を飲んでいないのです。ただ発達障碍(ADHD)の診断は間違いなく頂いております。比重が双極性に偏っているというだけなのでしょう。とはいえ、発想の転換を繰り返して私がここまでたどり着けたのは、他でもない私自身のアイディア(発想)です。自分でそこを否定してまうと、私のアイディンティティがなくなってしまうのです。そもそも、挫折はたくさんありましたが、その分喜びややり甲斐もたくさん感じました。「脳内お花畑」と揶揄した方は、もしかしたら一歩踏み出せないでいるのではないでしょうか?失敗するのが怖いのではないでしょうか?それは障碍・定型関係ないと思います。

踏み出すか、踏み出さないか。

ただそれだけ。自分の可能性を広げたいか、広げたくないかだと思います。

今の私は「発達障碍でよかった」と思っています。想像力が豊かな分、私の場合は負の経験も少なくないので人の痛みも想像しやすいのです。それがプラスになる事ばかりではありません。時にはマイナスになり、うつ病にまで陥ってしまうこともあります。人間関係なんて特に。それと感覚が鋭敏のせいで、ちょっとした気圧の変化でも眩暈を起こして寝込んでしまうことも最近では増えるようになりました。

ただ、今ご自身が発達障碍であると診断されているのであれば「どう生きるか」なのではないでしょうか?大変失礼ながら、冒頭で紹介した方は「負け犬根性丸出しだなぁ」という印象が否めません。私が勝ち組か?と問われれば、それはどうかわかりません。ただ発達障碍であるが故に享受しているギフトが多いのは確かです。コインの表裏、どちらを見るかだと思います。

できれば、少しでも多くの人が、ご自身に与えられたギフトに気づいて、「障害」ではなく「障碍」として生きる道を選ぶことができるようにお祈りしております。

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