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第三夜 雪にかえして

 こんな夢を見た。
 もう二月だというのに、今年は道路のコンクリートがまばらに見えるくらい、雪の少ない冬である。その朝、私は見知った山の麓で少女を拾った。五つか六つくらいだろうか。雪色の羽衣のようなものを纏った少女は、青白い顔をしながら、けれど瞳は凛とした強さを持って、私の前に現れたのである。
 私の故郷は毎年冬になると一面真っ白な雪景色に包まれる地域で、一年のうち約半分、十月の後半から、四月の末までは雪が解けずに残っているのである。私は幼い頃から、当たり前のように降り積もる雪と共に育ってきた。しかし、久しぶりに見た冬の故郷の景色はずいぶん様変わりしていたし、この田舎町で雪が少ないとなると、市街地の状況はもっと深刻だろうなと驚いていた矢先だった。
 どこから来たのか、名は何というのか、少女の情報は何一つわからなかったが、ただ一言「帰りたいのです。」というので、連れて帰ったのである。
 五年前に住んでいたアパートの一室はそのまま私の部屋として残っていた。がらんとしたその部屋は一人で生活するにはあまりに広くさみしく、床も空気も外と変わらないくらいひんやりとしている。
「灯油が切れてしまってストゥブが付かなかったので寒いけれど、すぐ暖めるからね」
 この町の暖房は灯油ストゥブが主流だ。
 五リットル入るポリタンクをいっぱいにすると、とても一人じゃ運べないので少しずつ買い足しては寒さを凌いでいるのである。
 急いで灯油を移し替えてスイッチを入れると、程なくして少女は口を開いた。
「あつい、あつい」
 少しずつ温度が上がっているとはいえ、まだ上着を脱げないくらい寒いはずの部屋で、少女は額や首元から汗を流しながらそう言ったので、奇妙だった。
「あついより寒い方が好み? 暖房は消そうか?」
 私がそう言うと、少女は何も言わずにじっとりとした瞳でこちらを見たので、慌ててボタンを押す。その時、どうしてか、彼女はきっと雪女か何かの子どもなんだろうと合点がいった。
 冷凍庫からいくつか保冷剤を取り出し渡してやると、彼女は満足そうにそれらを抱えた。
 それから部屋のストゥブは使われることがなく、私は毎日外に出る時とと変わらない防寒をして過ごすことになった。彼女が言葉を発することは多くなかったが、雪の積もる公園などに連れて行くと水を得た魚の如く喜んで駆け回り、また、凍えるほど寒い部屋で食べるかき氷がお気に入りなようだった。
 そして、しばらく雪の降らない日が続くと決まってさみしげに涙を流した。
「帰りたいのです。」
 月日が過ぎ、雪解けが進むようになると、彼女は外に出ることを嫌がり、ぽろぽろと涙を流し続けた。
「帰る家はどこなの? ここにずっと居たらいいじゃない。」
 問うても答えがないと知りながら、なんだか悔しくなった私は彼女を強く見つめてそう言った。
「私はもうじき無くなるので、帰ることができません。」
 真っ直ぐとした瞳をこちらに向けてそう返してくるのは初めてだったので、呆気にとられた私は茫然と彼女を見た。
「私が無くなったら、かき氷を食べてください。」

 次に目が覚めると、彼女の姿は見当たらず、代わりにリビングは水浸しになり、窓際には雪だるまのような塊がグシャリと崩れかけていた。
 私はその雪の塊をすくい上げながら、声を上げて泣いた。丁寧にそれらを集めて冷凍庫に入れ、また日が変わるまで泣き続け、すっかりひとかたまりになったそれをかき氷にして頬張る。
 一口食べるごとに、彼女が雪の中で楽しそうに遊んで回る声が聞こえるようだった。食べている間、私の脳は満たされ、良い思い出に浸ることができた。
 しかし、最後の一口を食べて残ったのは、さみしい心だけだったのである。

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