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拝啓、わたしの初恋の人。



その夜私が約20年ぶりに自身の初恋を思い出すことになったのは、自宅での仕事中、ふとした時のことだった。

何年も前に、おそらく遠い学生時代に登録してから、数年に一度くらいのペースで利用しているECサイトにログインしようとした時のことだ。

なぜだか、記憶していたはずのパスワードが間違っていると弾かれるのだ。何種類か、思い浮かんだものを試すものの、どれもハズレである。ほぇぇと変な声を漏らしながら思わず髪をかき上げた手の平は汗で湿っていた。

そんなはずは、と思いつつ、''パスワードをお忘れの方へ''と書かれたリンクに飛ぶ。

いくつかの入力項目を越えると、急に、最近すっかり見かけなくなった一文が私の目に飛び込んできた。

『 秘密の質問に答える 』

今でこそサイトログインのIDやパスワード管理は、指紋認証や顔認証などで事足りることが多いが、ひと昔前は、自分のパスワードが思い出せなくなった時のために、''自分だけの秘密の質問''を作っておくという流れが主流だったことを、幼い頃からインターネットと共に育ってきた私は知っている。

そういう時は、だいたい長い時が経っても覆されないような、レモンの色→黄色、というような、答えがすぐにパッと浮かぶ質問を用意しておくものだろう。

私の場合は『好きな(嫌いな)食べ物』や、『出身の学校』など、すぐに答えられるようなものを選択しておくことが当たり前だった。

これでやっとひらける、そう思い、クリックする。

『 あなたの初恋の人は? 』

思わず眉間に皺を寄せて画面を凝視してしまう。
これは本当に私の作ったアカウントなのか。

初恋のひと、と思わず声に出して考えてみる。

私は従来、人や物事に強い執着心を抱くことがほとんどない人間である。故に、こうして残しておきたいと思うほど、自分の人生において恋愛への比率は大したことないものだと考えていた。

「人間を恋愛から救うものは理性ではなく多忙である」

偏屈を拗らせて生涯を終えた芥川龍之介はそう述べたという。それを知ったハタチそこらの私は、この考えにひどく納得をし、どちらかというと、大人になるにつれより一層、私の人生は恋愛なんかに縛られずとも駆け抜けるように過ぎていく日々であるような、ある意味利己的なものであってほしいと信じていたのだった。

ただし、それは恋愛を一切してこなかったというわけではなく、私だってそれなりに、酸いも甘いも食らってきたはずである。ほら、私、興味が出ると一途だし。

誰に投げかけているのかわからない反抗心を巡らせながら、昔から初恋の話題になった時にだけ触れることにしている頭の中の引き出しを、ぶっきらぼうに開けた。

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小学校1年の同じクラスで出会った、色白で背の高い彼は、勉強のよくできる少年だった。

私は、小学校に上がってしばらく経つまで数字の9が書けないような子で、子どもが生活の中で少しずつ覚えていく、物事の「1日は24時間だ」とか「自分たちは自覚できないかもしれないけれど、地球は毎日回っている」とかいう「当たり前」として落とし込むような概念を理解することが苦手だった。

頭の中で次から次へと押し寄せる、それはどうして?誰がそんなこと決めたの?どうしてみんな納得できるの?という疑問は、小学一年生の私では解決することができない。いつも周りの友人たちが何も難しいことはないみたいにテストで高得点を取るのを見て、暗黙の納得を感じ取り、無理やり頭に叩き込むのであった。

新しいことを概念としてすり込む作業は大人になった今でも苦手だが、義務教育に就学すると共に、濁流のように押し寄せる能力の背比べにひどく戸惑い、あたかも自分は普通じゃないと言われているような、周りとの差に苦労したものである。

足の速い子がヒーローで、元気で明るい子は人気者で、みんなを笑わせる面白い子がえらい。

どれにも当てはまらなかったわたしは「正しい」「当たり前」でくくったクラスメイトの円から必死に外れないように、ただじっと、様子を窺っていた。

そんなわたしが誰かに想いを寄せるという感情を知ることになったのは、ある日、算数の授業中のことである。

わたしは、針時計が読めなかった。

針が同じ導線を2周したら1日が経つ。同じ場所を指しているのに夜と朝で時間が違う。
教室の黒板の上に取り付けてある大きな時計と、朝起きた時に止める目覚まし時計では、同じ時間を刻んでいる気がしなかった。針と数字の位置以外、違う物体で、それぞれ一個体であるものが、離れた場所で同じ動きをし続けるという状況が理解できない。誰が操作してそんなことできているの?
単純に「時計」というものの概念が難しかった。

時計のイラストがたくさん描かれたものの時刻を読む類のプリントは、理解度に誤魔化しがきかない地獄である。

「どうしたの?」

授業中に一人、ペンを持つ手を動かせないまま泣きそうになるのを堪えていると、隣の席の男の子が不思議そうにこちらを見ていた。

「全然わからなくて」

''わからない''という単語を口に出すと、周りの子と歩幅を合わせて物事を成すことの出来ない自分がどうしようもなく惨めで泣けてくる。

児童館で出会った一つ上の女の子とは「あの子とはもう遊びたくない」と母に相談するまで、自分がいじめられていて、それが苦しいと感じていた事に気が付けなかった。せっかく入れてもらったクラスの仲良しグループでの交換ノートだって、自分の番がくるたびに、綺麗に書けない字でページを埋めることが申し訳なくて、もう続けられないから抜けさせてくださいと、母に考えてもらった文章を書いた。

一生懸命生きているのに、どうして何をやっても人に合わせることができないのか、わからなかった。

「何でわからないの?」

私の中で、勉強も運動もできる人という認識だったその男の子は、丸い大きな目を細めながら、先生に怒られないくらいの小さな声でそう言った。

「午前と午後で、どうして針が同じ場所にあるのに時間が違うのかわからない」

「そういうもんなんだよ。書いてある通りに読んだら合ってるの」

「そういうもんなんだ」

自分よりうんと年上の大人からでなく、同い年の子に言われる''そういうもん''は、私の心を強く握った。

「長い針が10なのに、50分なのはなんで?」

「何でかはわからない、でも、そう決まってる。覚えるだけ。あの時計も、ここに描いてある時計も、同じように読むし、それが何でかはわからなくてもいいの」

黒板の上に取り付けられた大きな針時計を指差した彼は、世界の''理解と諦め''を感覚的に悟っているようで、なんだかすごい人に見えた。

「そうなんだ、じゃあ、覚えないと」

それまでモヤがかかっていた理解のできない決まり事の概念が、ただ覚えればいいという方向で腑に落ちた私は、それから勉強でわからないところは彼に聞くことにした。彼は毎回、どうしてわからないのかがわからないという困り顔をしながらも、私の腑に落ちるまで''そういうもん''のあれこれを教えてくれた。

彼が「それはわからなくてもいい」と言うと、私もなんだか世の中の多くはわからないままでいい気がしてきて、気持ちが楽だった。

それから、私の人生で起こることの大半は「わからなければ(できなければ)ならないこと」「わからなくても(できなくても)良いこと」そして「(きっとずっと)わからないこと」この3つに分類できることを知った。

どうしようもなく自分が追い付けないことに対し、わからなくても、できなくても良い。という判断ができることは、生きていく上で大変便利である。

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初恋と呼べるほどのトキメキに覚えはなかったものの「針時計の読み方を教えてくれた人」という情報で私の会話のネタとして使われるその彼は、最近結婚をしたそうだった。

なんでも、中学最後の年に私も含めて同じクラスだった女の子との結婚を決めたそうで、なんだか他人事とは思えず感心してしまったのを覚えている。

35歳になってお互い相手がいなかったら結婚しましょう、と卒業アルバムに書いたの、私、忘れてなかったんだけどな。

覚えていたとしても、覚えていなかったとしても、この時代に誰かと一緒になるという、幸せな選択をした彼の運命を嬉しく思った。ご結婚、おめでとうございます。

短く遠い思い出に耽りながら、名前を入力する。
この文字面、懐かしいな。
しかし私、こんな回答の質問作らないでくれよ。

急に誰かに押し付けたい恥ずかしさを感じ、思わずフッと笑いながら、エンターキーに指を伸ばす。

初恋の人の名前、送信。


『  回答が間違っています  』


拝啓、わたしの初恋の人。

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