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今日、赤いコードにサヨナラをする。

彼女はいつも赤を持ち歩いていた。
スマホの赤、キーケースの赤、ピアスの赤、洒落たジッポライターの赤。

「ライターは貰い物なんだけどね」

へらりと笑うとボブの髪がはらりと揺れる、火を付ける白くて細い指に思わずドキッとしてしまう。

「君いいね、いつまでもそうやって、普通の子でいなよ」

初来店の女性客に一杯勧められた新人店員の僕が、お酒は飲めないからと遠慮がちに断ると、アーモンドチョコをかじりながら彼女はにっこり微笑んだ。

彼女は僕が働くウイスキーバーの常連で、週に数回一人で来ては、こうしてカウンターで世間話をしながら小一時間ほど、決まってスコッチをロックで2杯だけ飲んで帰ってゆく。

もう何度も会っているのに、僕は聞き上手な彼女の素性を何も知らなかった。

「赤は好きよ、強くいられる気がするから」

唯一印象に残っている答えと言ったら、赤が好き、でも薔薇は嫌い、散ってゆく姿が醜いから。
それ以外に彼女の素性を問うような質問は、いつもへらりと笑って何気なくかわされた。

「そんなに私の赤が気になるなら君にもあげる」

彼女はそう言ってポーチから、箱に入った赤いイヤホンを取り出した。
新品なのにいいの、と聞いた僕に、新しいのを見つけたからいいの、と顎で促す。

少し前、イヤホンが壊れてしまったと何気なく呟いた僕にプレゼントとして渡すことを準備していたみたいで、優しさに思わず自分の頬が緩んでしまうのを感じた。

君の赤を僕も少しだけ分けてもらったみたいで、
それだけで強くなったみたいに思えた。

「君は、この場所だけが居場所だと思ったりする?」

ある時彼女は何気なく、そう聞いてきた。
その時の僕にはよく意味が分からなくて、その問いに寄り添うことができなかった。

あれからしばらく経って、なかなかバイトに入れなくなった僕は彼女に会うことも無くなり、ひとり赤いイヤホンを握っている。

そんなイヤホンの片耳が断線して、ついに聞こえなくなってしまった。

長く使い続けられなくてごめんなさい、と直接言いたいけれど、彼女も、僕らの居場所だったあのバーでも、出会えない。

「形に残るプレゼントは、いつか過去になっていく思い出の鱗片にしがみつくようで嫌。これはお下がりだと思ってね。」

そう割り切った彼女を過去にさせたくなくて僕ひとり、彼女の鱗片を大事に抱きしめていただけだった。

とっくに時間は経ってるってね。
僕はもう、前に進まなきゃ。

今日、赤い彼女にサヨナラをした。

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