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---今回の私の髪色は紫芋のムラサキだよ

紫色の髪をした彼女が、まだ温かい紫芋を頬張りながら真面目な顔でそう言ったので、僕は芋を喉に詰まらせて咽せた。

「水飲みなよ、ほら」

やれやれと言いたげな調子で雑にコップを突き出す彼女を横目に、何も言えないまま水を飲む。

「先週の録画してある?てかコタツ電源切れてない?寒いよ。」

慣れた手つきでテレビのリモコンをいじる彼女は入社2年目の会社の同期である。

親元を巣立った念願の一人暮らしも、2年目にもなれば週末さえ持て余すもので、彼女は気になったドラマを一通り溜撮りさせては毎週末こうして僕の家で時間を過ごして帰っていく。

「その紫、さすがに怒られないの?」

「まぁインナーだし大丈夫っしょ。こないだの金髪ほどじゃないよ。何日くらい持つかなぁ〜」

もはや内側に入れて日常で隠せる範囲には見えない綺麗なパープルカラーの髪色は、昨日の仕事終わりに僕の運転で市街地まで染めに行った結果である。

首元で切りそろえたボブの髪をゆらゆらと遊ばせながら上機嫌な彼女は、この小さな田舎町では目立った存在で、そんな周りの目を気にする素振りさえ一切見せないマイペースな姿は、いつも何故だかこの世のモノでないような、妖精みたいに思えた。

同期は他にも数名いるが、彼女ほど浮いた存在に皆があえて触れないのも事実で、僕だけが押し付けられるかのように彼女との関係を保っていた。

「芋おいしいね、お礼言っておいてね」

彼女の母はよくこの紫芋を送ってくるらしい。
同期の僕と仲が良いと知り、いつもより多めに送ってきたんだと笑った彼女を見て、家族の人柄の良さが感じられるような気がした。

「私、この芋でスイートポテト作りたいんだけど」

「また、発想が急だね」

「材料買いに行こう。車出して」

彼女は一度その気になるとすぐに行動に移したいタイプである。良くも悪くも周囲を一気に巻き込む行動力は、僕が一番知っているつもりだ。

急な坂を登った先、僕が住む社員住宅は整備のされた山の上にあり、朝日も夕陽も贅沢に眺められることがお気に入りの一つだったはずだが、2年目にもなると、車を使わないとどこにも行けないという立地の不便さを嘆かずにはいられない。

「あ、カノジョとのプリクラはっけーん」

夕方の日差しも目に優しくないと言って何気なく助手席のサンバイザーをいじった彼女が、挟まっていたプリクラに気がついてそう言った。

「あぁ、忘れてったみたい」

思わず上擦りそうになった声に注意しながら、シートベルトを締める。

「せっかくの思い出、こんなとこに挟んで忘れるなんてやーね」

なんら気にしない口調でそう言った彼女は、プリクラ加工といえどムラサキを纏う今の私の可愛さには敵わないか、と自分に言い聞かせるかのように続けた。

「そうだね」

嫌味にも冗談にも聞こえなかったので素直にそう答えると、ズルい奴め、と笑って返された。

「今日の晩ご飯は肉じゃがでどうかな、お兄さんよ。」

「芋だらけじゃん、食後にスイートポテトなんて食べたくないよ」

「たしかに、それは私も嫌」

目尻に二本、笑うとシワができて崩れる端正な横顔を見ながらアクセルを踏む。

「そういえば、ムラサキは前から好きなの?」

「いいや、なんだか私たちの関係って、紫色みたいだなって。」

「色が混ざってるってこと?」

「好きに調合ができる紫、なんだかズルくて好き。混じり気が居心地の良い、そんな感じ。」

「たしかに居心地の良さは抜群だね」

僕たちの関係はだらしなく曖昧で、互いを友達の一人と認めながらもなぜだかずっと、友達のフリをしているみたいだった。

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「ねぇ、私、ラベンダー畑見たい」

入社して半年が経った10月、土地柄故にすっかり冷え込んだ冬の昼休み、たまたま食堂で居合わせた彼女が淡々とそう言ったのは突然のことで、何か誰も触れたことのない、秘密事でも話されたような不思議な胸の高鳴りを感じた。

「地元に有名なラベンダー畑があるでしょう?」

「たしかにあるけれど、僕の知ってる紫のラベンダー畑は夏が見頃だよ。」

「紫以外のラベンダーがあるの?」

彼女の目が輝いたのを見て、しまった、と思った。

「いや、ごめん、ほかには知らない。」

「……じゃあ海が見たい」

彼女の中でなんの脈略があってそこに飛んだのかはわからないが、僕らの住んでいる町から車で20分ほど飛ばせば海に着く、まだ現実的だった。

「いつ?」

「今日。」

「…今日」

「今日」という単語を初めて聞いたかのように同じ音を繰り返してしまった僕を見て彼女は少しだけ微笑み、終わったら車の前にいるから時間外はしないでね、と加えて席を立っていった。

初めは何かの冷やかしか冗談かと思ったが、先輩からの食事の誘いをやんわりと断り、やや急ぎめで終業から10分後に車の側まで向かう。

薄暗い駐車場にひとつ、人影が自分の車の後ろ側にある塀に座っていた。

「10分遅刻だよ」

「ごめん、本当に居ると思わなくて。」

「本当にそう思った?」

「…少し急いで向かった」

声を出して笑った彼女は、寒いからすき家の牛丼が食べたい、とちぐはぐな事を言った。

「チーズ牛丼も食べたいけどおろしポン酢牛丼も食べたい。」

「どっちもは食べきれないんじゃないの」

「君が半分くれればいい。私も半分あげるから。」

「拒否権はないわけね」

「ハーフアンドハーフでお得に食べたいでしょ?」

彼女がどこかピザ屋のCMみたいに自慢げにそう言ったので、思わず笑ってしまう。

飽き性で気分屋な彼女は、一緒に居ると小さなわがままが多い事を知った。それでも、それが叶うと決まって上機嫌になるので悪い気はしなかった。

「夜の海って怖いんだね」

思ったのと違う、とでも言いたげなほど砂浜への歩みが進んでいない彼女は、深い闇に包まれた冬の海を見てそう呟いた。

「冬だもんね」

「てか風強すぎるよね」

「もう少し波打ち際まで行ってみる?」

「君、私もろとも突き落とす気?」

「まさか」

「...ちなみに私はその気」

人影のない砂浜、まばらな電灯だけがぼんやりと光を落とす黒い海、僕らは何も考えていなかった学生時代かのようにはしゃいだ。

いつしか後先や損得ばかりを考え、つい周りに溶け込んでしまいがちなこの''大人''という社会の中で、彼女だけが綺麗に縁取りのされた個を保っているように感じる。

それから週の40時間、決まって仕事をする以外の時間、僕らの夜は、週末は、何度も何度も訪れた。

甘ったるいリキュールを薄め合って一夜を明かすこともあったし、市街地までの長旅に頭をぶつけ合って眠ったこともあった。

「男に振られた、遠距離は無理だそうだよ。」

ある日彼女が大きなチャーシューの乗ったつけ麺を啜りながらそう言った。

「遠距離なんて前からじゃん。なんで今更」

「知らなーい、違う女でもできたんじゃないの?」

「これからやけ酒?」

「まぁね」

「という口実で週末を遊びたいだけでしょう?」

「よくわかってるじゃん、お兄さん。」

ジェットコースターのような彼女の気分に振り回されるほど、僕自身も個の縁を得たような気がして不思議と嫌な気はしなかった。

「君って、もう何度も私と同じ布団で寝てるのに手を出してこないよね」

遠出した時にはお互い恥じらいもなく安いブティックホテルに泊まるのが定番で、僕らは広いベッドに並びながら、何事もなく朝を迎えるのであった。

「その気もないくせによく言うよ」

「私も、親友は大事にしないとね」

無闇に手を出せばこの関係は終わってしまう。
そんな言葉の裏返しみたいにお茶目に笑う彼女をみて、ズルい女だと思った。

彼女がいなければ僕の日常はまた混沌の中で汚く染まってしまう。その時、絶対に壊したくない関係、距離感だと、強くそう感じた。 

----ところで私、今年度で退職しようと思ってるんだけど。

あまりにも突然だった。

欲張って大きく作りすぎたスイートポテトに飽きたと、残りを僕の皿に乗せた彼女は、お気に入りの紅茶を注ぎながらそう言った。

えっ、と驚いて目を見開いた僕を、綺麗な紫色の髪をした彼女が見つめ返した。

「嘘でしょ?」

「ほんと。もう退職届も出した。」

「え?何も言ってなかったじゃん。」

「何も言ってないし」

相談してよ、と思わず大きく息を吸って言いかけた僕の前には、あまりにも普段とテンションの変わらない彼女がいる。

---僕には相談をされる権利がない。そんな立場である決まった関係の名前がない。

悟ってしまった僕を見て柔らかく微笑んだ彼女は、

「私たち親友じゃん、だから今日言った。私、もうちょっと夢を見たくて。」

少しだけ照れ臭そうにそう言った。

「もっと前から知りたかった。そうしたら僕だって、」

「...僕だってこの仕事、辞めてた?」

続きの言えない言葉を遮った彼女の目を見られない僕は、ただ黙って下を向く。

紅茶の水面がゆらりと僕の顔を写した。

「私がいなくて寂しいと思ってくれるんだ」

「当たり前じゃん、毎日暇だよ」

「君は人付き合いも良いし、私のことなんてすぐに忘れるよ」

人の気持ちも知らないくせに。

視線を上げた先で、雰囲気を壊すかのように変顔をしていた彼女がいて、思わず吹き出してしまう。

「...海沿いの特盛カツ丼、明日ならイケる気がする。」

「いや、もう3回くらいチャレンジしてるじゃん、残ったカツ持ち帰って処理するのこっちなんだよ」

奢るから、と可愛らしくそう言った彼女は数ヶ月後、数日出張に行くくらいのテンションで、この町を出て行った。

見送りに来た数人の同期全員とハグをした彼女は、ありがと、また遊ぼうね、となんでもないみたいにそう言って僕の背中に腕を回す。

いつも隣を歩いていたと思っていた彼女とは意外にも身長差があったことを、その時初めて知った。

「あ、これあげる」

ポケットから取り出した小さな箱を僕に握らせた彼女は、そのまま何も言わずに軽快にバスに乗り込んだ。

箱の中には、紫色のアクセントが入ったネクタイピンがひとつ、綺麗に収まっている。

こんな日でさえ、手紙の一つも添えない彼女のプレゼントがなんだかとても愛おしく感じた。

すでに混じり合ってしまった紫の僕ら。
それならいっそ、いつまでも紫色でいよう。

赤にも青にもならない、遠くあいまいな君へ。

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