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小説 『夢幻鉄道』 (改訂版)

この小説は絵本作家にしのあきひろさんの今後出版予定の絵本「夢幻鉄道」の二次創作物です。



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夏休みが明けたばかりの9月。
転校生が来た。席は僕の隣。
先生から「海野、教科書を見せてやれ。」と言われた。

真栄田さんは当たり前のように自分の机を僕の机に近づける。何人かの男子が一瞬ニヤついたのを感じた。気付かないふりをした僕は、机の境界線ギリギリで教科書を広げる。

「ありがとう。「うんの」くんってどんな漢字書くの?」
「海に野原の野。」
「海。いいね、海。」
「そう?」
「うん。海、好き。」
そう言って彼女は前を向いた。

僕はただ「名前の1文字を好き」と言われただけだ。



休み時間、彼女がペンをしまっている。ペンケースの中に意外なものが入っているのが見えた。

御塩守って書いてある。おしおまもり?「お守り…。」ヤバい。思わず声に出てしまった。彼女がこっちを見た。

「うん。子供の頃行った海の神社でお父さんに買ってもらったの。でも無くしちゃって。同じものを買いに行ったんだ、この前。」
「海の神社?」
「うん。江ノ島の。」
「あ、江ノ島。」
「うん。前に家族で行ったの。」

大事な思い出のお守り。わざわざ買いに行ったんだ。




放課後、数人の女子たちが「サッカー部の高橋先輩がいる!」と教室の窓からグランドを見ている。

他の女子たちは、真栄田さんと話している。僕の席にも女子が座っている。戻る場所がない。

仕方なく僕は自分の席を通り過ぎた。窓際に寄りかかり何となくそのやりとりを聞いていた。

真栄田さんは学校の二駅先の緑が丘駅のそばに住んでいるらしい。へぇ。僕の塾と同じ駅だ。


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塾終わりの帰宅途中、駅前で誰かに名前を呼ばれた気がした。振り返ると真栄田さんが近づいてくる。

微笑んでないのに微笑んでいるように見える、得な顔だ。誰からも嫌われない感じは、高校生には大事だ。

「家、この辺?」
「いや。塾。」
「あ、塾なんだ。」
「うん。」
真栄田さん、塾は?と言いかけてやめた。
いつかの放課後、彼女は「父親が亡くなって引っ越してきた」と言ってたのを聞いた。今は、母親と妹の三人暮らしらしい。

「真栄田さん、前はどこに住んでたの?」思わず口をついて出た。
何言ってるんだ、僕は。気を悪くしたかな。思い出したくないことを思い出しちゃったかな。

「相模原市」
「あ。相模原にいたんだ。」
よかった。怒ってはいないみたい。表情はさっきと変わってない。たぶん。

「橋本っていう駅から15分くらい歩いたところに住んでた。駅からちょっと歩いただけで、すごくのどかになるんだ。家のすぐそばには川があって、畑とか養鶏場とかもあって。」

「昔からある大きなお屋敷みたいな家があってね。高い石垣の塀に囲まれてて、全然中が見えないの。ドラマとかに出てきそうな古いお屋敷。」
「へぇ。そうなんだ。」

こんなにしゃべる時もあるんだな。

「その頃、買ってもらったの。お守り。」
「え?お守り?」
「うん。江ノ島の。神社のお守り。」
「あ。いつも持ってるやつ。」
「うん。みしおまもり。」
「あ。あれ、みしおって読むんだ。おしおだと思ってた。」
僕たちは声を出して笑った。

そっか。御塩守って書いて「みしおまもり」って読むんだ。

「その時ね、不思議な星を見たんだ。」
「星?」
「うん。夜、みんなで浜辺に行ったんだ。その時に見たの。星が、ツゥーってまっすぐ動いてピタっと止まって。
また別の星がツゥーってまっすぐ動いてピタっと止まって。
で、また別の星がツゥーってまっすぐ動いて、ピタって止まって。」
「星ってそんなふうに動くんだっけ?」
「やっぱりね。」と言って真栄田さんはクスッと笑った。

「誰にも信じてもらえないんだ、この話。でも本当に見たんだよ、妹と一緒に。だから間違いないんだけどね。」
そう言って真栄田さんはまたクスっと笑った。

こんなにいっぱい笑うんだな。


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僕は部屋で塾の復習をしていた。テキストとノートを広げている。勉強してる感じはうまく出ている。ちょっとやっては、漫画を読み、ちょっとやってはスマホをいじる。
つまり、ほぼやってない。

いま、深夜0時か。夏の真夜中はアイスだよな。今日は珍しく父さんも母さんももう寝たみたい。早いな。でも好都合だ。アイスで決定だ。



コンビニを出てすぐに食べ始める。待ってらんない。
家に着く直前で食べ終えるように計算する。タイミングが大事だ。そんなことを考えながら歩いていた。

公園の前を通りかかる。
ん?ぼんやりと明るい。公園の奥の方が明るいみたい。なんだ?こんな時間に。

明かりにグングン近づいていく。自分の足じゃないみたい。僕の意思に関係なく足が勝手に向かっていく。

ホントはちょっと怖いのに、足は躊躇しない。なんだよ、この感じ。

気づくと、目の前には電車が止まっている。
え?なにこれ。電車?公園の中に?イベント?

頭が混乱しながらも、あまりにも煌々と明るいせいで、中が気になって仕方がない。と同時に足はまた勝手に電車の中に向かっていく。
だからなんなんだよ、これ。

足を一歩踏み入れた瞬間、気付いた。なんだろう、この変な空気。
何人もの人が乗ってるのに、全員微動だにしない。

車内はほんのりオレンジ色の柔らかい明かりだ。それがこの空気にまったく似合わない。

気味がわるい。降りよう。そう思って体の向きを変えようとした途端、音を立ててドアが閉まった。

「発車しまーす。座席におかけ下さい。」いつの間にか車掌が席についている。

「降ります。降ります!」車掌は前を向いたままこちらを見ようともしない。
ムシすんなよ。ウソだろ?こんな大声が聞こえないなんて。そんな事ある?

電車が動き出す。仕方なく僕は近くの席に座った。

どれくらい乗ってたんだろう。途中1度も止まらなかった。

「間も無く終点、橋本、橋本。終点です。」とアナウンスが聞こえた。
橋本?どこだよ、それ。



やがて電車が止まりドアが開いた。ぞろぞろと乗客たちが降りていく。僕も後に続いた。

降りた人たちは、みんな同じ方向に向かっていく。よく見ると、水面を滑るように走っていく。

なんなんだよ、マジで気味がわるい。早く帰ろう。他の乗客たちの姿はあっという間に見えなくなった。


あれ?そういえば夜が明けてる。そんなに電車に乗ってたっけ?


初めて来た場所。みたことのない街並み。何だろう、この変な感じ。街全体がぼやけている。

色だ。色が薄いんだ。看板の緑も、ポストの赤も、空の青も。色があるような、ないような不思議な景色。

この感じ、どこかで見たような、どこかにあったような。思い出せない、けどこの感覚は知ってる。

そんなことを考えながら、僕は歩いていた。どこに向かっているのかは分からない。

足が勝手に歩いている。この足は行き先を知っているみたいだ。

不思議と不安は感じない。初めから行くと決まっている場所に、ただ向かっているだけのような気がした。



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しばらく歩くと突然視界が開けた。正面には橋がまっすぐ伸びていて、その先には小さな島がある。橋の下は左右に砂浜が広がり、そのまま海につながっている。僕の足はまっすぐ伸びた橋を渡りはじめた。

橋を渡ってるあいだ、人も車も通らない。聞こえるのは、波の音、ウミネコの鳴き声、僕の足音だけ。
海に来たの、何年ぶりだろう?ひさびさの潮の匂いを思いっきり吸い込んだ。この状況を楽しむなんて、けっこう余裕あるな。意外と客観的な自分の大人っぽさにニヤニヤした。

橋を渡り切ると正面にはせまくてゆるい登り坂があり、左右にお土産屋さんがずらっと並んでいる。登り坂のその奥に赤い鳥居がのぞく。足は当たり前のように鳥居に向かって進んでいく。


神社は好きだ。鳥居をくぐった瞬間に感じる、静けさと凛とした空気。温度も湿度もすこし下がるような気がする。現実世界とつながってるのに切り離された、別世界に入り込んだような感じ。

坂をのぼり切ると、目の前に大きな階段と鳥居があらわれた。そこには「江島神社」と書かれている。

知ってる。この間、真栄田さんから聞いた。無くしたお守りを買いに来た神社。
ってことは、ここは江の島?不思議に思っているとどこからか、かすかに鈴の音が聞こえた。

チリチリン、チリチリン。なぜかその音に呼ばれるように階段を上り鳥居をくぐった。


僕はギクッとした。階段の一番上の端に小さな女の子が座っている。小学校1年くらいかな。この島で初めて会った人だ。その子の手の中から鈴の音がこぼれている。

その子はジッとこっちを見てる。感情を消したような、不思議な表情で。

「こんにちは。」
僕は声をかけてみた。
「こんにちは。」
返事が返ってきてちょっとホッとした。
「君はこの辺に住んでるの?」
その子は首を横に振る。
「1人で来たの?」
返事はなくうつむいている。
僕は少し離れて、そっと隣に座った。

困ったな。どうしよう。でもどうしても聞きたい事がある。
「ねぇ。ここはどこ?僕、迷子になっちゃってさ。家に帰れなくて困ってるんだ。」わざと明るく振る舞ってみた。
彼女はうつむいたままだった。手の中の鈴が鳴り始める。
チリチリン。チリチリン。
「ゆめ。」
「え?」鈴の音にかき消されるくらい小さな声。思わず聞き返した。
「ゆめのなか。」

彼女の目は手の中の鈴に向いている。よく見ると何かを握っていた。あのお守りだ。『御塩守』と書いてある。真栄田さんのと同じ、浄化の塩と水が閉じ込められた小さなお守り。そこについてる鈴が鳴っているんだ。

夢の中。どういう意味だ?
「ここは、夢の中なの?」
彼女はコクリとうなずく。
どういう事だろう。僕はもう一度聞いた。
「僕、電車に乗ってここまで来たんだ。ここは、夢の中、なの?」
彼女はまたコクリとうなずく。
「むげんてつどおってゆうんだよ。おとおさんがゆってた。ひとのゆめにはいるでんしゃなんだって。」



夢の中。むげん鉄道。人の夢に入る電車。何回も考えた。でも何回考えたって分からないものは分からない。僕は混乱した。


ふと横を見ると、あの子がいない。


いつの間にいなくなったんだろう。僕は急に不安になった。せっかく人に会えたのに。また1人になった。
座ったまましばらく動けなかった。

どれくらい経っただろう。もう帰らなきゃ。とりあえず駅に向かおう。あの電車できっと帰れる。


もと来た道をかえる。うつむいたまま、とぼとぼと歩く。
きっと今の僕の歩き方は、絵に描いたような「とぼとぼ感」だろう。はたから見たら、日本一うなだれて歩いているに違いない。
あまりの孤独と不安と混乱に心がつぶれそうだった。

行きよりも帰りの方が遠く感じる。なんなら、駅の方から来いよ!くそっ!頭の中で思いつく限りの悪態をついた。


「え?!」
突然、左側から強烈なひかりが顔にぶつかる。あまりのまぶしさに目が慣れるのに時間がかかった。僕はおそるおそる左を向く。
電車!電車だ!一瞬息が止まった。音もなく突然あの電車があらわれた。

あまりの出来事にぼう然としていたが、すぐに気持ちを切り替えた。
だって!電車の方から迎えにきてくれたんだから。とにかく乗るんだ、早く。僕は考えることをやめて電車に飛び乗った。もう何がどうだろうとどうでもよかった。疲れて、不安で、帰りたくて。何も考えたくなかった。


車内は来た時と同じ、柔らかいオレンジの明かりと微動だにしない乗客たち。不気味なのも同じだ。
僕はそばの席に座る。しばらく目を閉じた。あまりに混乱してて、何ひとつ情報は欲しくなかった。


「発車しまーす。」いつの間にか席に車掌が座っていた。
扉が閉まり、電車が動き出した。僕は必死に何も考えないようにしていた。このまま眠ってしまいたい。と思ってたらウトウトし始めた。


「夢の中はいかがでしたか?」突然話しかけられた。車掌だ。いつの間にか横に立っていた。
「え?」この人、しゃべるんだ。
「夢の中は初めてですか?」
「…はい。」
「いかがでしたか?」
「いかがも何も…本当に夢の中なんですか?ここは。」
「はい。」
「むげん鉄道?」
「はい。ゆめまぼろしの夢幻鉄道です。」
「なんで?」
「とおっしゃいますと?」
「なんで僕が?」
「さあ。その夢を見ている誰かが、あなたを呼んだのでしょう。」
「誰か?誰かって…だいたいあの夢は誰の夢なんですか?」
「さあ。私にもわかりません。」そういうと車掌は、席に戻っていった。



「次は、四季の森公園、四季の森公園でーす。」

四季の森公園。電車に乗った公園。
「降ります!」
車掌と目があったような気がした。
電車のスピードが落ち、止まった。扉が開くと同時に飛び降りた。


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僕は目だけで電車を見送り、ぼう然としていた。頭の中を整理しようとしても全然まとまらない。

ん?手に何か持ってる。アイスだ。電車に乗る前にコンビニで買ったんだ。まだ半分くらい残ってる。僕は無意識に一口食べた。アイスだ。

僕は残りのアイスを食べながら歩いていた。いま自分の身に起きた事は何だったのか。

人の夢に入る、夢幻鉄道。いったい誰の夢?
誰かに話したい。誰に?どうやって?

「昨日電車で江ノ島に行ってさ。」
普通だ。ただの報告だ。

今日見たもの、感じたことをどうやって言葉にしたらいいのかわからない。

僕の足はピタッと止まった。見上げると家の前だった。あれ?そう言えばまだあたりは真っ暗だ。家の明かりもついてない。
アイスはいま食べ終わった。食べ終えたタイミングは完璧だ。



自分のベッドに寝転んだ。
帰ってこれた。枕に顔を押し付けた。自分の匂いだ。

普段なら、「くっせーっ」て思うだけだけど、こんな匂いすら嬉しい。

天井を見ながら、いろいろ思い出していた。疲れているのに興奮して全く眠くない。

いったいどれくらいあの場所にいたんだろう?
コンビニで買ったアイス。戻ってきた時まだ半分近く残ってた。真夏に何時間も溶けずに残るだろうか。

電車の往復だけでも体感では30分くらいだ。一体どういう事なんだろう。


寝不足だ。結局、昨日の出来事について、次から次へといろんな疑問が浮かんでは消え浮かんでは消え、一睡もできなかった。

誰にも話せないから、吐き出す事もできない。頭の整理もつかないまま、堂々巡りだ。


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「おはよう。」
僕はビクッとした。真栄田さんだ。
「おはよう。」
それしか言えなかった。なぜか言葉が出てこない。
「寝不足?なんか眠そう。」と言ってクスッと笑った。
最近ときどき見せるいつもの笑顔だ。何か話したいけど、何を話せばいいんだろう。


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真栄田さんのペンケースから、御塩守がチラッと見えた。無意識にじっと見てたらしい。彼女が気付いた。


「ん?お守り?」
「え?うん。あの、そのお守り。最初はお父さんに買ってもらったって言ってたよね?お父さんて、どんな人だったのかなって思って。」思わず聞いてしまった。まるで何かを取り繕ってるみたいだ。

「うーん。どんな人って。うん。普段はちょっと厳しかったよ。ときどき優しかったけど。」
「厳しいって例えばどんな風に?」
「例えば?そうだな。何でも。勉強のことも、箸の持ち方とかも、友達の事とかも。私、人見知りだから、友達も出来なくて。だからもっと積極的になった方がいい、自分から話しかけなさい、とか。」
「そうなんだ。お父さんのこと、嫌いだった?」
「うーん。嫌いって言うか、何か言われるたびに『お前はダメだ』って言われてるみたいで、ときどき苦手だったかな。でも嫌いなわけじゃなかったよ。なんて言えばいいか、難しいけど。」

僕は、もっと話していたかった。話を長引かせたかった。話している間だけは、昨日の混乱を忘れていられた。

「そっか。顔は?」
「え?顔?」
「あ、いや。うん、そう。顔。顔は、似てるのかなって思って。」
「え〜。顔かぁ。似てるって言われた事はあるかな。嬉しくないけど。」
そう言って彼女は笑った。

そりゃそうだ。女の子だもんな。
「そうだよね。ごめん。なんか、ごめん。」
「ううん。別にいいんだけど。そんなの。」僕たちは2人で笑った。


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家にいても何をしてても、昨日のことが気になって落ち着かなかった。

もう1度あの公園に行ってみようか?そんな事がよぎる。そう思ったら、もういてもたってもいられなくなっていた。



結局僕は公園に向っていた。昨日と同じくらいの時間。

昨日の車掌の言葉が正しければ、僕は誰かにあの夢に呼ばれたことになる。僕は誰に、なぜ呼ばれたのか?どうしても気になった。

昨日は混乱でヘトヘトになってしまったけど、今日はきっと大丈夫だ。


公園の前に着いた。おそるおそる中をのぞく。どうだろう。あの電車来てるとい…来てるっ、来てるっ!あの明るさは絶対そうだ。僕は走っていた。

やっぱりそうだ。僕は電車に飛び乗った。車内は昨日と同じだ。他の乗客はみんな背筋を伸ばし前を向いたまま微動だにしない。

車内の柔らかいオレンジ色の光に似合わない不気味さだ。でも、もう慣れた。2回目だからね。僕は近くの席に座った。「発車しまーす。」

ドアが閉まるとすぐに動き出した。外は真っ暗で景色が見えない。走る電車の規則的な音だけが聞こえる。


「間も無く終点、橋本、橋本。終点です。」


橋本駅。昨日と一緒だ。よし、着いたぞ。僕は気合を入れた。


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駅の外に出た。やっぱりだ。夜が明けている。いや、そもそも夜になってないのかも。

昨日と同じ景色。昨日と同じ感覚。景色の色が全体的に薄い。なんだっけな、この感じ。
あ、そうだ。橋本駅。思い出した。真栄田さんだ。転校してくる前「相模原の橋本駅の近くに住んでた」と言ってた。

それに昨日から感じているこの景色の違和感。掴みどころのない感じ。初めて見たときの彼女の表情と重なった。
そして、江島神社とお守り。
突然、扉が音を立てて開いた気がした。



駅前にある小さなロータリーを回り込むようにして、その向こうの、まっすぐに伸びた道を歩いていく。やっぱりこの街には誰もいない。人影のない街は寂しい。


僕は左右をキョロキョロしながら歩いた。昨日の子がいるかもしれない。


しばらく歩いていると、人影が目に飛び込んで来た。右手側にあるお店の前のベンチに座っている。男の人だ。父さんと同じくらいの年齢かな。

心臓が指でピンッとはじかれたみたいにバクバクし出した。それでも僕の足は迷う事なくまっすぐその男の人に向かっている。どうしよう。誰だろう?


僕が近づいていくと、おじさんは顔を上げた。
「こんにちは。」向こうから声をかけてきた。

「こんにちは。」僕は返事をした。
「誰かを待ってるんですか?」そんな風に見えた。でも、表情には掴みどころがない。

「あぁ…。まあね。」おじさんは、ポツンと返事をしてそのままジッと地面を見つめてる。
僕は、なんとなく隣に座った。


「誰を待ってるんですか?」しばらく間があっておじさんは話しはじめた。
「娘だよ。君は知っているだろ?ここが夢の中だってことを。」


やっぱり。


「はい。」
「ここに居れば会えるんじゃないかと思って待っているんだ。娘は、僕を何度も何度も夢の中に呼んでくれるんだ。でも一度も会えなくてね。どこかに居るはずなんだけどな。」
「どうしてそう思うんですか?」
「何ていうのかな…気配を感じるんだ。確かに近くにいる気配を感じてるんだよ。間違いない。でもどこにいるのか全く分からなくてね…。」そう言うとおじさんはまた、だまって地面を見ている。

それから、おじさんは娘さんの事を話してくれた。2人の間にあった事も、娘さんへの思いも。



「僕、探して来ます。」
「え?」
「僕、探して来ます。見付けてきます。」
おじさんは、僕を見たまま何かを考えているみたいだった。きっとどう返事をすれば良いのか迷ってる。僕は返事を待たなかった。
「とにかくここにいて下さい。すれ違っちゃうと困るから。」
立ち上がったと同時に、足が走り始めた。


僕は自信があった。きっと見つける。さっきから、気になっていたんだ。でもおじさんの顔を見て、話を聞いて僕は確信した。絶対間違いない。


日が陰ってきた。きっとすぐに夜が来る。


  
足はこの街を知ってるみたいに走る。右に曲がり、すぐ左に折れて、道なりに行く。しばらく走り続けたから、さすがに息があがる。

潮の匂いがしてきた。
やっぱり、そうか。

「海、好き。」僕はあの時の言葉を思い出した。

突然視界が開けた。僕の予想通り砂浜に出た。周囲を見渡しても誰もいない。足は急にスピードを落とした。今度は砂浜を歩く。何ひとつ見落とさないよう、ゆっくり少しずつ進んでいく。
ん?誰かいる。人影だ。


真栄田さんが空を見上げていた。


「真栄田さん!」僕は思わず声を上げた。「真栄田さん。」ゆっくり近づいて行く。彼女はゆっくりとこっちを見た。そして黙ったまま視線を落とした。

「探したよ。君に会いたがってる人がいる。その人の代わりに探しにきたよ。」


彼女は空を見上げた。
「星。」
「え?」
「あの星。見てて。動くから。」
「動く?」
「うん。ほら。」


彼女の視線の先を追うと、星が動き出した。5〜6個ある星が1つずつ動き出す。
1つが下に向かって真っ直ぐツゥーっと動いてピタッと止まる。
すると別の星が右に向かってツゥーっと動いてピタッと止まる。
そしてまた別の星が斜め下にツゥーっと動いてピタッと止まる。

そうやって代わるがわる動いている。「あの星。。。なに?」
「前に言ったでしょ。不思議な動き方をする星を見たって。お父さんが亡くなる前、最後に家族で出かけた時にね、見たんだ。あんな星を見たの初めてで、不思議で。ずーっと見てた。」



「さっき、君に会いたがってる人がいるって言ったでしょ?誰だか、わかってるよね?あの人、もしかして亡くなったお父さん?」
彼女はうなずいた。


僕はおじさんから聞いた事を話して聞かせた。


(回想)
 「おじさんはね、あまり良い父親ではなかったんだよ。」僕はただ聞いていた。「あの子は、小さい頃から泣き虫で人見知りでいつも母親の後ろに隠れているような子供だった。言葉を覚えるのも遅かったし、幼稚園に行ってもなかなかお友達ができなくてね。」

「ときどき、おじさんが幼稚園にお迎えに行くことがあってね。そういう時も、あの子はいつも1人でポツンとしてた。他の子たちはお友達や先生と遊んでいるのに、娘だけは1人でね。なんだか、可哀想になってしまったんだ。」

「一緒にいられる間は、どんな事をしたって絶対に守ってやれる。でもいつかは自立する時がくる。その時この子は、ちゃんとやっていけるんだろうかってね。心配で心配でたまらなくなったんだ。」

「妻には笑われたよ。『今からなに言ってるの。気が早すぎるわよ。』って。」

「だからね、おじさんは、娘には厳しくすることにしたんだ。1人でも生きて行けるように。勉強のことも、箸の上げ下ろしひとつとってもね。とにかくあの子が1人でも困らないようにって、そればっかり考えてたんだ。」
「でも、娘には僕の気持ちは伝わってなかったんだよ。いや、僕が伝えられてなかっただけかも知れない。だんだんあの子が僕と距離を置くようになってね。」「それに気付いた時、正直僕は、どうして良いのかわからなかった。」「僕は、おじさんは娘に嫌われてしまったみたいだ。」


ただじっと黙って聞いていた彼女が、ポツポツと話し始めた。

「知ってるよ。」
「え?」
「私はずっとお父さんから嫌われているって思ってた。でも、本当はそうじゃなかった。お父さんの遺品整理をしてたら、昔の日記が出てきてね。それを読んだんだ。」
「いっぱい私のことが書いてあった。私のことで悩んだり、迷ったり。いっぱい書いてあった。」

彼女は淡々と続ける。あえて体温も色も消しているみたいだ。
「それで分かった。私は間違ってたんだって。嫌われてたわけじゃなかった。
私、お父さんにすごく嫌な態度を取ってた。わざと無視したり、イヤな顔をしたり。後悔してる。でももう遅いよね。だってお父さん、死んじゃったんだもん。謝ったって。今さらだよ。」
「そんな事ない。絶対そんな事ない。」



僕は、謝る事には2つの意味があると思ってる。ひとつは傷つけた相手への謝罪。もうひとつは自分への贖罪。
「誰かを傷つけた」と知った時、自分の心にも傷が付く。その心の傷を癒すために、自分のためにも謝らないといけないんだ。

謝ったって、やったことは帳消しになんてならない。でも、区切りをつけて前を向くことはできる。謝ることは、そのきっかけを自分に作ることでもあるんだ。


「真栄田さん、行こう。」
僕は彼女の手をつかんだ。そして、歩き始めた。足は、おじさんのいる場所に向かってる。彼女の歩幅に合わせて少しゆっくりと。

もうすぐ夜が明ける。東の空が少しずつオレンジ色になっていく。じきに空が白み始めてくるだろう。


……………………………………………………


僕は彼女の手をつかんだままだ。さっき気付いたんだ。とっさに手をつかんでしまったのは良いけど、放すタイミングを失った。

意識しすぎて手に汗をかいてるかもしれない。どうしよう。手汗はちょっと恥ずかしい。

人影が見えた。おじさんだ。真栄田さんの方を見た。彼女はその人影を見つめている。

完全に夜が明けた。

「探してきてくれたんだね。ありがとう。ありがとう。本当に。」
おじさんは僕の顔をじっと見つめて言った。おじさんは、涙を流さずに泣いている。そんな気がした。


道の反対側にベンチがあった。「僕、向こうで休んでます。」ベンチを指差す。「うん。ありがとう。」そう言って、おじさんは彼女の方に向き直った。

道の反対側からぼんやりと、見るともなく2人の様子を眺めてた。真栄田さんはうつむいたまま。おじさんは時々彼女の方を見てる。なにを話してるのかはわからないけど、2人は今一緒にいる。


あれ?景色がさっきと違う。いや同じだけど、何かが違う。何だろう?

色だ。さっきより全体的に色が濃くなっている。看板の緑も、ポストの赤も、空の青も。真栄田さんの心の色。さっきまではぼんやりしてたのに今は違う。全てがはっきりと見える。

そんな事をボーッと考えているうちに、強烈な眠気がやってきた。

「海野君、海野君。起きて。もう帰らないと。」おじさんに起こされた。寝ちゃったんだな、人の夢の中で。

夢の中でも眠くなるんだなぁ、とぼーっとしてたら、もう一度「海野君。はやく、はやく帰るんだ。颯子が目を覚ましそうだ。」

僕は思いっきり揺さぶられた。
颯子が目を覚まし…ん?
「ふぁい…。」僕はまのぬけた返事をした。颯子。真栄田颯子。真栄田さんの名前だ。

「そうか。君は知らないんだったね。」そう呟くとおじさんは思いっきり早口で説明を始めた。
「いいか?よく聞いて。これは颯子が見ている夢だ。だから颯子が目を覚ましたら、この世界は消えて無くなる。君も一緒に消えてしまうんだ。海野君、分かるかい?」
「はい…僕も一緒に消えて…え?!」
ヤバい!何それ?!

周囲を見渡すと、景色が少しずつ崩れ始めていた。まるで壁が崩れていくようだ。

「ハイっ。帰ります。」立ち上がるとおじさんが僕の手をつかんだ。
何でだろう、あったかい。

「本当にありがとう。これで僕は思い残すことはないよ。」おじさんは笑った。僕はただうなずいた。

「さあ、帰りなさい。走るんだ。」
僕は「はい。」とだけ言った。そのとたん、足は走り出した。勝手に走る足。でも悪くない。僕と足は全力で走った。

そういえば真栄田さん…ま、いいや。僕はまた明日会える。



……………………………………………………



超絶寝不足だ。2日連続だ。そりゃ寝坊もするよ。校庭を横目に下駄箱に急いでいた。

「おはよう。」靴を履き替えながら顔を上げると真栄田さんが笑っていた。
「おはよう。」
なんだかいつもと表情が違う。スッキリしてるような、今までとは違う感じ。

僕は彼女の顔をじっと見つめてしまった。
「え?何かついてる?」
「いや。別に。」

僕たちはふふっと笑った。


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