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食うために生きるのか、生きるために食うのか、それとも…

きみのお金は誰のため: ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」

最近読んだ本の感想録です。
前回の更新から間が空いてしまいました。
大変ご無沙汰しております。生活環境が大きく変化して、更新が手つかずになっておりました。どんな調子で書いていたのかも記憶の遥か彼方ですが、
まだ教師を続けていたら子供たちに勧めていたであろう本と出会ったので、こうして筆を取っているところです。
伝えたかったことが、ちゃんと形になっているものと出会うと感動するものです。お金のために生きるのではなく、それがあくまでもツールであり、その先にたくさんの人がいることを知ってほしいなと思っています。

本書はただの経済書ではなく、Amazonのレビューにもあるように、「感動」がある経済書です。
小難しい話が流れていくのではなく、「お金を通して世界と関わっている」ということを知る本です。
贈物として送りたくなる気持ちもわかります。

私が本書をお勧めする理由は、お金があるから生きていけるのではない(貧乏でも幸せみたいな話ではない)、ということが綺麗ごとではなく、本質であるとわかるからです。世界の仕組みとして貨幣経済が発達しただけで、お金は人と人とをつなぐキッカケにしかすぎないのです。

本の内容については、詳しくは語りません。
通読して考えたことを綴ります。

食うために生きるのか          

生きるために食うのか

お金が大切な理由はそれぞれの立場で、それぞれにあると思います。
多くの人に共通する理由は「食べるためにお金が必要」ということです。
あとは暮らしや、遊びや…と色々あるでしょう。
基本は食べていければ、自分の生存は維持されます。
ここが極論としての、お金が大切な理由ではないでしょうか。

次に考えるのは、食べるために働くのかということです。
明日を生きるために働くのでしょうか。
ここにお金のために生きているかどうかが見える気がします。
給料はできるだけ高いに越したことはないでしょう。
しかし、高い給料をもらえること自体が生きがいになるのでしょうか。
最初のうちは楽しいでしょうし、嬉しさもあるに違いありません。
そのこと自体が幸福かと問われたら、これもまた違うと思うのです。

お金の先には、そのモノやサービスを提供する人、生産者が存在します。
野菜一つとっても、農家の方がいるわけですね。よくスーパーで見かける「産地の顔が見える」みたいなものが分かりやすいのではないでしょうか。
スーパーに野菜が並ぶ前には仲介業者をはさみ、店頭に野菜が並びます。
その各工程にお金が発生します。取引があるわけですね。
それは、サービスに対する料金であったり、野菜そのものの値段であったり、その都度異なります。お金があるからシステムが動いているのです。

農家の前には、どんな提供者がいるでしょうか。土地を貸してくれる人がいれば、もっと遡って土地を所有する前まで考えれば、その土壌を用意してくれた天地の恵さえも供給者です。しかし、天は一銭も要求しません。

お金の先に人がいるのです。私たちはお金を通して、誰かの厚意を受け取っているのです。だから、自分が働くということは、誰かに返していくことでもあるのです。そうやって、誰かと誰かが支え合っているから世界は形を成しているのです。

総論

食うために生きるのか、生きるために食うのか
上記のように投げかけて始めましたが、「何のために生きるのか」を考えることは、人間誰しもあることではないでしょうか。
「生まれる」ということは偶然のように見えますが、理由があって生まれていると考える方が「生きる理由」を見つけやすいと思うのです。
そうしたことを前提としたときに、「食うために生きるのか、生きるために食うのか」と考えると、それはどちらも違う気がするのです。
内村鑑三が「後世への最大遺物」という話を残しました。生のための生ではなく、誰もがいつか迎える死に向かう生であるならば、世界に何か精神的な遺産、あるいは物質的な遺産でも、誰かにバトンを繋いでいくことに、生きる理由があるのではないでしょうか。
かくして、うために生きるのではなく、生きるために食うのでもなく、真理のために生きるということを考えた時に、私たちは消費を通して誰かのバトンを受け取り、仕事を通して誰かにバトンを繋いでいるのだと思うのです。

お金の向こうに人がいる。それは、生かされいることを感じ取ることができる生き方ではないかと思った、そんな書籍でした。

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